第57話 白鷺六花は思い出す。
説明会が終わって数日が経った。
忙しかった毎日も終わり、学校はすっかりいつもの日常に戻っている。
小春が騒ぎ、灰原が呆れたようにため息をつく。
玲奈は静かに笑い、尚哉は面倒くさそうに返事をする。
変わらない教室。
変わらない毎日。
六花は窓の外へ視線を向けた。
春の空は穏やかだった。
それなのに、胸の奥は少しだけ重い。
説明会の間は、考える暇もないくらい忙しかった。
だから良かったのかもしれない。
けれど終わってしまえば、また元に戻る。
一人になれば考えるし、何もしていなくても考えてしまう。
考えないようにしても、結局は同じだった。
「……」
六花は小さく息を吐いた。
鞄の中にはのど飴が入っている。
あの日にもらったものだ。
可愛らしい包装は、何度見ても間違えて買ったようには見えない。
それを思い出すと少しだけ胸が暖かくなる。
そして、その直後に少しだけ苦しくなった。
期待しないと決めたはずなのに。
もう何度もそう決めたはずなのに。
それでも心は思うようにはならなかった。
◇
放課後。
六花は駅前を歩いていた。
今日は小春もいない。
夕方の風は少しだけ冷たかった。
帰り道を急ぐ人々が行き交う中、六花はぼんやりと歩きながら考えていた。
最近の尚哉のこと。
のど飴のこと。
何を考えているのか、自分でもよく分からない。
ただ、気付けばそうしていた。
「ねえ」
不意に声を掛けられる。
六花は足を止めた。
知らない男子高校生が二人いた。
「今一人?」
「すみません」
六花は目を合わせず軽く会釈する。
「急いでいるので」
そう言って歩こうとした。
だが。
「ちょっとくらいいいじゃん」
「どこの学校?」
進路を塞がれる。
「……」
六花は俯いて小さく息を吐いた。
断ればいい。
それだけだ。
いつもならそうしていた。
けれど今日は少しだけ疲れていた。
体ではない。
心が。
だから、言葉が出てくるのが少し遅かった。
嫌だ。
怖い。
そう思っているのに動けない。
その時、急に背後から、
「あー、ごめんごめんお待たせ」
聞き慣れた声がした。
六花は顔を上げる。
尚哉だった。
男たちの間へ割り込むようにやって来る。
「はいはい悪い悪い」
そう言いながら六花の手首を掴んだ。
「みんな待ってるからさ」
「え?」
「ほらほら急いで、行くぞ」
返事も待たずに歩き出す。
勢いだけだった。
男たちも呆気に取られている。
その隙に尚哉は六花を連れて人混みの中へ入っていった。
◇
角を曲がったところで足が止まる。
「……」
「……」
少しだけ沈黙が落ちた。
その時、六花は気付く。
尚哉の手がとても汗ばんでいた。
「あ」
尚哉も気付いたらしい。
慌てて手を離す。
「悪い」
「ううん」
六花は首を振った。
「ありがとう」
「いや、別に」
いつもの返事だった。
けれど。
「……正直」
尚哉がぽつりと呟く。
「ビビってた」
「え?」
「いや、ああいうのマジ苦手だわ」
気まずそうに頭を掻く。
「アイツらガラ悪そうだし、しつこく絡まれたらどうしようかと思ったし」
六花は思わず笑った。
「笑うなよ」
「ごめん」
「心臓がまだうるさいわ」
全然格好良くない。
全然スマートじゃない。
きっと尚哉自身もそう思っている。
それでも、この人は来てくれる。
怖くても。
面倒でも。
困っている人を放っておけないから。
「……」
六花は下を向いた。
変わらない。
本当に。
この人は変わらない。
どうしてだろう。
そのことが、どうしようもなく胸に迫る。
俯いていた視界は少し滲んだ。
「…白鷺?」
尚哉が心配そうに呼ぶ。
六花は顔を上げた。
「うん?」
「大丈夫か?」
その言葉に、六花は少しだけ目を細める。
「うん」
今度は自然に頷けた。
「うん、大丈夫」
夕暮れの風が吹く。
六花は小さく笑った。
思い出していた。
どうして自分が、この人を好きになったのか。
白鷺六花は思い出す。




