第51話 彼女は数えるのをやめた。
夏祭りの翌朝。
白鷺六花は少しだけ寝不足だった。
昨日の夏祭り。
小春と歩いた屋台。
花火。
射的。
たくさん撮った写真。
思い出すと少しだけ笑ってしまう。
楽しかった。
◇
「おはよー!」
教室へ入ると、
小春がいつものように手を振った。
「おはよう」
六花も笑う。
「昨日楽しかったねー!」
「うん」
「写真あとで送る!」
「いっぱい撮ってたもんね」
「百枚くらい!」
「撮りすぎじゃない?」
「青春だから!」
意味はよく分からなかった。
でも。
小春らしいと思った。
◇
しばらくして。
灰原が教室へ入ってくる。
「おはよー灰原くん!」
小春が言う。
「…おう」
短い返事。
六花は少し気になる。
顔色がとても悪い。
どこか疲れて見える。
「どうしたの?」
思わず聞く。
「ん?」
「なんか眠そう」
「あー……」
灰原は少しだけ視線を落とした。
「…なんでもない」
「そういえば」
六花が言う。
「玲奈ちゃん楽しんでた?」
「昨日一緒だったんでしょ?」
小春も聞く。
「浴衣かわいかった?」
灰原は一瞬だけ黙った。
「……」
そして。
「途中で足ひねってさ」
静かに言った。
「普通に歩けるくらいだけど」
「今日は休んでる…」
「えっ」
六花が目を瞬く。
「大丈夫なの?」
「多分」
灰原は頷く。
それ以上は話さなかった。
いつもなら。
もう少し何か言う気がする。
なのに。
今日は違った。
「そっか……」
六花は小さく呟く。
少しだけ。
胸に違和感が残った。
◇
チャイムが鳴る。
ホームルームの時間だった。
担任が教室へ入ってくる。
教室が静かになる。
けれど。
いつもと少し違った。
先生の表情が硬い。
どこか重い。
そんな気がした。
「……」
誰も話さない。
静かな空気。
六花はいつもと違うと感じた。
その時だった。
担任が口を開く。
「残念なお知らせがあります」
教室の空気が止まる。
「昨日の夏祭りの際」
先生はゆっくりと言った。
「歩道橋で事故がありました」
ざわめき。
六花の指先が少しだけ動く。
けれど。
まだ意味が分からない。
「その事故で」
先生は言った。
「橘尚哉くんが亡くなりました」
◇
何を言われたのか。
分からなかった。
理解できなかった。
教室が静かになる。
誰かが息を呑む音。
小さな泣き声。
椅子が軋む音。
全部聞こえる。
聞こえるはずなのに。
遠かった。
橘尚哉。
亡くなりました。
その言葉だけが。
頭の中で何度も繰り返される。
◇
嘘だと思った。
冗談だと思った。
何かの間違いだと思った。
だって昨日。
生きていた。
昨日の朝も。
学校にいた。
笑っていた。
話していた。
夏祭りにも来ていたはずで。
それなのに。
「……」
声が出ない。
何も言えない。
六花はただ前を見ていた。
◇
気付けばホームルームは終わっていた。
どうやって過ごしたのか覚えていない。
授業も。
休み時間も。
何も覚えていない。
小春が泣いていた気がする。
灰原はずっと俯いていた気がする。
誰かが話しかけてくれた気もする。
何も分からなかった。
◇
帰宅後。
部屋。
静かだった。
鞄を置く。
制服のまま座り込む。
視線の先。
机の上には猫のぬいぐるみ。
あの日。
取ってもらったもの。
「……」
何も考えられない。
考えようとすると。
頭の中が真っ白になる。
◇
しばらくして。
六花は静かに引き出しを開けた。
一冊のノート。
見慣れたもの。
ただ。
読者には中身は見えない。
六花は何も言わない。
ページをめくる。
静かな部屋。
小さな音だけが響く。
「……」
その時。
一滴。
涙が落ちた。
ノートの上に。
ぽつりと。
小さな雫が落ちる。
文字が滲む。
六花はそれを見つめていた。
ずっと。
見つめていた。
◇
もう。
分からなかった。
どれだけ繰り返したのか。
どれだけ願ったのか。
どれだけ失ったのか。
数えていたはずなのに。
いつからか。
その数字は意味を失っていた。
そして今。
もう数えたくなかった。
数えることができなかった。
六花は静かに目を閉じる。
涙がもう一度落ちた。
部屋には誰もいない。
ただ静寂だけがあった。
彼女は数えるのをやめた。




