第5話 一色玲奈は本を読む。
放課後。
尚哉は再び図書室へ来ていた。
特別本が好きなわけではない。
別に読まないわけでもないが、わざわざ放課後に通うほどでもない。
それなのに。
気が付けば足が向いていた。
「……何やってんだ俺」
小さく呟く。
自分でもよく分からない。
図書室の扉を開く。
この静かな空気は割と好きだ。
紙の匂い。
ページをめくる音。
窓から差し込む夕方の光。
そして。
昨日と同じ席に、一色玲奈はいた。
膝の上に本を置き、静かにページをめくっている。
まるでその場所だけ時間がゆっくり流れているみたいだった。
尚哉は適当に近くの席へ座る。
特に話しかけるつもりはない。
ただ。
少し気になっただけだ。
純粋にそれだけだった。
◇
しばらくして。
玲奈が本を閉じた。
栞を挟み、本棚へ向かう。
その途中。
ふと尚哉と目が合った。
「あ……」
玲奈が小さく声を漏らす。
昨日と同じ反応だった。
「どうも」
尚哉が言う。
「……は、はい」
玲奈は少しだけ頭を下げた。
それで終わりかと思った。
だが。
玲奈はその場から動かない。
何か言いたそうにしている。
「あの……」
「ん?」
「昨日は……ありがとうございました」
昨日。
本を拾った件だろう。
「いや、別に」
「でも……」
「そんな大したことしてないだろ」
「そうかもしれませんけど……」
玲奈は視線を下げた。
指先が落ち着かなく動いている。
緊張しているのが分かる。
「本、好きなんだ?」
尚哉は話題を変えた。
玲奈が抱えていた本を見る。
「あ」
玲奈は少しだけ表情を和らげた。
「読むの…好きなんです」
「その本、面白い?」
「はい」
その瞬間だった。
今まで小さかった声に、少しだけ熱が宿る。
「登場人物が優しくて……」
言いかけて。
玲奈は慌てたように口を閉じた。
「あ、ごめんなさい」
「え?」
「え……」
玲奈が固まる。
「いや、本の話しただけじゃん」
「あ……」
「謝るところか?」
「……そうですよね」
玲奈は困ったように笑った。
どこかぎこちない笑顔だった。
◇
「一色さん」
奥から声がした。
図書室の先生だった。
「この前お願いした本の整理、助かったよ」
「あ……」
玲奈は慌てて立ち上がる。
「いえ」
「丁寧にやってくれて本当に助かった」
「そんな……」
玲奈は首を横に振った。
「私なんて全然ですから」
先生は少し困ったように笑う。
「そんなことないよ」
「いえ……」
それ以上は言わなかった。
だが。
尚哉には妙に引っかかった。
感謝されている。
褒められている。
なのに。
まるで怒られている時みたいに見えた。
◇
帰る時間になった。
玲奈は本を鞄へしまう。
尚哉も席を立った。
図書室の出口。
そこで再び玲奈が立ち止まる。
「あの」
「ん?」
「昨日と今日……ありがとうございました」
「だから何が」
尚哉が言う。
「本を拾ってくれたり……お話してくれたり……」
「普通だろ」
「でも……」
玲奈は少し迷って。
それから小さく頭を下げた。
「嬉しかったです」
その言葉だけ残して。
玲奈は先に図書室を出ていった。
尚哉はその背中を見送る。
不思議な子だと思った。
少し話しただけ。
それだけなのに。
尚哉は例のノートの一文を思い出す。
【一色玲奈は泣いている。】
今日の玲奈は泣いていなかった。
だからこそ。
その言葉が余計に気になった。




