第45話 白鷺六花は嬉しかった。
土曜日の駅前。
白鷺六花は待ち合わせ場所へ向かっていた。
何度もスマホを見る。
待ち合わせ時間の十分前。
少し早い。
早すぎるかもしれない。
「……」
少しだけ足を速める。
そして。
「あ」
思わず声が漏れた。
待ち合わせ場所には既に尚哉がいた。
「早いな」
尚哉が言う。
「橘くんこそ」
「家出る時間を見間違えた」
「そうなんだ」
それは嘘。
多分。
お互いに分かっていた。
◇
買い出しは思ったより順調だった。
文房具店。
ホームセンター。
掲示用の材料。
ガムテープ。
ペン。
画用紙。
必要な物を買い揃えていく。
「これで全部かな」
六花が紙を見る。
「多分な」
尚哉が言った。
「思ったより多かったな」
「ごめんね」
「なんで謝るんだよ」
六花が少し笑う。
尚哉も肩をすくめた。
◇
荷物を倉庫へ運び終えた頃には、
流石に少し疲れていた。
「終わったね」
「ああ」
「手伝ってくれてありがとね」
「別に」
尚哉は言う。
「一人だったら大変だっただろ」
「そうかも」
六花は苦笑した。
「じゃあお礼に何か奢るよ」
「いらない」
「そんなすぐ断らなくても」
「別に手伝いたくて手伝っただけだし」
「それでも…」
六花は少し考えて。
「飲み物くらい」
「……それなら」
「うん、決まり」
六花が少し嬉しそうに笑った。
◇
近くのカフェ。
窓際の席。
冷たい飲み物が運ばれてくる。
「はぁ…生き返る……」
六花が呟いた。
「大げさだな」
「だって結構歩いたもん」
「それは確かに」
二人で少し笑う。
静かで優しい時間。
黙っていても気まずくない。
無理に話さなくても落ち着く。
そんな空気。
「そういえばさ」
六花が言う。
「一色さん、最近よく笑うようになったよね」
「ああ」
尚哉は頷く。
「前より話すようになったしな」
「よかった」
六花は小さく笑った。
本当に安心したような顔だった。
「小春も相変わらずだし」
「あいつは元気すぎる」
「灰原くんも」
「ツッコミが追いついてないな」
また笑う。
飾らない会話。
何気ない時間。
ただそれだけなのに。
六花は妙に安心感を感じる。
すると。
尚哉が不意に言った。
「白鷺といるとさ、楽なんだよな」
六花の動きが止まる。
「……え?」
「いやなんかさ」
尚哉はストローをくわえながら言った。
「変に気を遣わなくていいし」
六花は何も言えない。
「灰原とか小春といるのも楽しいんだけど」
尚哉は続ける。
「なんか違うんだよな」
何気ない口調だった。
本当に。
何気ない一言。
それがすごく。
六花は嬉しかった。
ほぼ同時に。
胸の奥が少しだけチクっとする。
「どうした?」
尚哉が聞く。
「顔赤いぞ」
「えっ」
六花は慌てて顔を逸らした。
「な、なんでもない!」
「そうか?」
「そう!」
自分でも声が少し上ずっているのが分かった。
尚哉は不思議そうな顔をしていた。
◇
帰る途中。
ゲームセンターの前を通る。
その時だった。
「あ」
六花の足が止まる。
クレーンゲーム。
中に猫のぬいぐるみが入っていた。
白と黒のハチワレ猫。
不機嫌そうな、どこか愛嬌のある顔。
「欲しいのか?」
尚哉が聞く。
「べ、別に」
「分かりやすいな」
「分かりやすくないもん」
絶対嘘だった。
尚哉は少し笑う。
そして財布を取り出した。
「え?」
「一回だけな」
「いいよ」
「いいから」
コインを入れる。
アームが動く。
失敗。
「あー」
「ほら」
「今のは練習」
二回目。
失敗。
三回目。
失敗。
「あー、ボタン離すのミスった」
「あんまりうまくないね」
六花が笑った。
「誰のためだと思ってる」
「別に頼んでないし」
「じゃあやめるか?」
「それは嫌」
即答する。
尚哉が吹き出す。
「やっぱ欲しいんじゃねえか」
「う……」
反論できなかった。
◇
その後も挑戦は続いた。
失敗。
失敗。
失敗。
六花は何度も笑った。
最近こんなに笑っただろうか。
自分でも分からない。
そして。
もう一回。
アームが動く。
ぬいぐるみが揺れる。
落ちる。
コトン。
一瞬。
時間が止まった。
「……え」
六花が目を見開く。
尚哉も固まる。
「取れた」
次の瞬間。
「やったやったー!」
思わず声が出た。
本当に。
思わずだった。
気付けば。
尚哉の手を掴んでいた。
「すごいすごい!」
満面の笑み。
心の底から嬉しかった。
そして。
数秒後。
気付く。
「……あ」
手。
握っている。
六花の顔が一気に熱くなった。
慌てて離す。
「ご、ごめん!」
「ん?」
尚哉はきょとんとしていた。
「そんな嬉しかったのか」
「え」
「まあ確かに結構苦労したしな」
全然意味が伝わっていない。
それが少しだけ悔しくて。
少しだけ安心した。
「もう……」
六花は顔を隠した。
尚哉は理由が分からないままだった。
◇
帰り道。
六花は猫のぬいぐるみを抱えていた。
「なんか子供みたいだな」
尚哉が言う。
「失礼な」
六花が頬を膨らませる。
「取ってくれて嬉しいのに」
「それは悪かった」
尚哉は少し笑った。
そして。
「でも似合ってる」
何気なく言う。
六花が固まる。
「……」
「どうした?」
「…なんでもない…」
言えるわけがなかった。
そのまま二人は歩く。
夕暮れの街。
互いの肩が触れそうな距離。
穏やかな時間。
ずっと続けばいいのにと思うくらいに。
楽しかった。
本当に。
幸せだった。
だから。
今はそれで充分だった。




