第36話 白鷺六花は笑えている。
放課後。
最後のホームルームが終わると同時に、教室は一気に騒がしくなった。
「じゃあね六花〜」
「また明日〜」
女子たちが次々と声をかけていく。
六花はそのたびに笑顔で手を振っていた。
相変わらず人気者だな、と尚哉は思う。
「橘〜」
灰原が鞄を肩にかけながらやってきた。
「帰るぞ」
「先帰ってくれ」
「なんで」
「ちょっと残る」
「ほほう」
灰原がニヤリとした。
「なんだその顔」
「いや別に?」
「絶対ろくでもないこと考えてるだろ」
「考えてない考えてない」
全く信用できない反応。
だが灰原はそれ以上何も言わず、小春を連れて教室を出ていく。
「またね〜」
小春が手を振った。
「おう」
そうして教室には数人だけが残った。
◇
しばらくして。
尚哉が席を立った時だった。
「あ」
前の席から声がした。
六花だった。
「橘くんも今帰るの?」
「まあ」
「そっか」
それだけ言って。
六花も鞄を持った。
そのまま二人は教室を出る。
別に待ち合わせたわけではない。
シンプルに、
帰る方向が同じだけだった。
◇
夕方の通学路。
オレンジ色の光が街を染めている。
しばらくは他愛のない話だった。
授業のこと。
先生のこと。
小春の財布事件のこと。
「小春、今日も財布確認してたよ」
六花が笑う。
「何回目だよ」
「たぶん六回くらい」
「増えてるじゃねえか」
「本当に心配なんだと思うよ」
二人で少し笑った。
沈黙が落ちる。
だが不思議と気まずくはなかった。
「そういえばさ」
六花が言う。
「橘くんって将来やりたいこととかあるの?」
「ない」
即答で返す。
六花が吹き出す。
「返し早すぎ」
「考えたことはあるけどな」
「それで?」
「よく分からなかった」
「……そっか」
六花は少しだけ空を見上げた。
「白鷺は?」
「ああ、私?」
「ああ」
六花は少し考える。
夕陽に照らされた横顔は穏やかだった。
けれど。
どこか遠くを見ているようにも見えた。
「ない。……かな」
そう言って笑う。
「へぇ、意外だな」
「そう?」
「優等生らしからぬ発言」
「なによそれ」
六花が困ったように笑った。
「別にそんな立派な人じゃないよ、わたし」
「そうは見えないけどな」
「君が見てるわたしは、世を忍ぶ仮の姿かも知れないよ〜」
冗談っぽく言う。
尚哉も少しだけ笑った。
だが。
「本当になにもないのか?」
そう聞くと。
六花は少しだけ黙った。
ほんの数秒。
それだけだった。
「今がね、楽しいから」
そして笑う。
「今が楽しいなら、それで……十分かなって」
夕陽を受けながら。
六花はそう言った。
どこか大人びていて。
けれど少しだけ寂しそうで。
尚哉は返す言葉が出てこなかった。
◇
「ねえねえ、甘いもの嫌い?」
突然六花が聞いた。
「普通」
「じゃあちょっと付き合ってよ」
数分後。
二人は駅前のクレープ屋の前にいた。
「なんでこうなった」
「私が食べたかったからだよぅ」
悪びれもせず言う。
尚哉は呆れた。
六花は苺と生クリームのクレープを買った。
一口。
二口。
幸せそうに頬張る。
「おいしい……」
本当に幸せそうだった。
思わず尚哉は見てしまう。
「……なに?」
六花が首を傾げる。
「いや別に」
「もしかして今、食べ方変だった?」
「違う」
「ほんと?」
「ああ」
六花は少し安心したように笑った。
「よかった」
そしてまたクレープを頬張る。
しばらくして。
小さく。
本当に小さく。
「……こんなのズルいよ…」
「ん?」
尚哉が聞き返す。
六花はハッと我にかえるように、
「えっ?」
「何か言ったか?」
「あ……ううん」
六花は慌てたように首を振る。
「なんでもない」
そう言って笑った。
いつもの笑顔だった。
その時何を言おうとしたのか。
尚哉には分からなかった。
◇
別れ道に着く。
「じゃあね」
六花が手を振る。
「また、明日ね」
「ああ」
六花は笑った。
見慣れたいつもの笑顔。
学校で見せる笑顔。
誰にでも向ける爽やかな笑顔。
そのはずなのに。
なぜだろう。
少しだけ尚哉の胸が痛んだ。
それでただ、なんとなく、
夕暮れの中で手を振る六花を、
この目に焼き付けておきたいと、
ぼんやりと思っていた。




