第2話 朝比奈小春は財布を忘れる。
朝のホームルームが始まる直前になっても、朝比奈小春の財布は見つからなかった。
「うぅ〜……」
小春は机に突っ伏した。
「終わったぁ……」
「大袈裟だろ」
尚哉が言う。
「大袈裟じゃないもん〜……」
小春は顔だけこちらへ向けた。
「今日のお昼代も入ってるし〜……」
「いくら入ってたんだよ」
「千七百八十円」
「微妙だな」
「微妙じゃない!」
机を叩く。
「わたしには大金!」
その勢いに周囲が笑った。
六花も肩を震わせている。
「笑わないでよ〜」
「ごめんごめん」
六花は苦笑した。
「でも見つかると思うよ」
「根拠は?」
「なんとなく」
「適当だ〜」
「適当じゃないよ」
そう言って笑う。
その笑顔を見ながら。
尚哉は昨日のノートを思い出していた。
【朝比奈小春は財布を忘れる。】
偶然。
ただの偶然。
そう思いたい。
だが。
こうして現実になっている以上、気にならないはずがなかった。
「おーい」
灰原が後ろから現れる。
「財布なくしたんだって?」
「そうなの〜……」
「かわいそうに」
「でしょ?」
「俺なら泣く」
「もう泣いてる〜」
「じゃあ一緒に泣こう」
「なんでやねん」
小春が即座に突っ込む。
教室に笑いが広がった。
灰原は満足そうに頷いた。
「よし」
「何がよしなの」
「場が和んだ」
「自分で言うな〜」
小春が呆れた顔をする。
そんな何気ないやり取りを見ながら。
尚哉は少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも今は。
いつも通りの朝だった。
◇
昼休み。
結局財布は見つからなかった。
「放課後探しに行こう」
六花が言う。
「コンビニとスーパーと本屋だっけ?」
「うん〜……」
「じゃあ一緒に回ろう」
「神〜……」
「大袈裟」
「六花たんまじ神」
「やめて」
苦笑する六花。
小春は本気で拝み始めた。
「じゃあ俺も行くか」
尚哉が言う。
「橘くんも?」
六花が少し驚いた顔をする。
「どうせ暇だから」
「それ言われるとなんか複雑〜」
小春が抗議する。
六花は小さく笑った。
「ありがとう」
「いや、別に」
それだけ返して、尚哉は購買のパンへ手を伸ばした。
その時だった。
不意に六花と目が合う。
六花は一瞬だけ不思議そうな顔をして。
すぐに微笑んだ。
それだけだった。
それだけのはずなのに。
何故か胸の奥がざわついた。
理由は全く分からない。
分からないまま。
昼休みは過ぎていった。
◇
放課後。
結局財布は見つからないまま、一日が終わった。
「よ〜し、捜索隊出動だよ〜」
小春が拳を突き上げる。
「元気だな」
尚哉が呆れたように言う。
「元気出さないとやってられないもん〜」
「それもそうか」
灰原が頷いた。
「じゃあまずはコンビニだな」
「昨日、最後に寄ったのそこだしね」
六花が言う。
四人は学校を出た。
夕方の街はどこか柔らかい風が吹く。
部活帰りの生徒。
買い物帰りの主婦。
仕事を終えたサラリーマン。
そんな人の流れの中を歩いていく。
「そういえばさ〜」
小春が尚哉を見る。
「橘くんって放課後なにしてるの?」
「帰ってる」
「それは知ってる〜」
「じゃあ聞くな」
「趣味とかないの?」
「特に」
「え〜つまんな〜い」
即答だった。
「お前な」
「もっとこう、ギターとか」
「やってない」
「バンドとか」
「やってない」
「秘密組織とか」
「やってない」
「うーん残念」
「何がだよ」
灰原が吹き出した。
「秘密組織はちょっと見てみたくね?」
「わたしも見てみたい」
六花まで乗っかる。
尚哉はため息をついた。
「お前ら……」
そんなやり取りをしているうちに。
目的地のコンビニへ到着した。
「すみません」
六花が店員へ声をかける。
「昨日、財布の忘れ物ってありませんでしたか?」
店員は少し考え。
「ああ」
と頷いた。
「ありますよ」
一瞬。
全員の動きが止まる。
「え?」
小春が固まった。
「あります」
店員はもう一度言った。
「黒い財布ですよね?」
「そそそ、それですぅぅぅぅ!」
小春が叫ぶ。
数分後。
財布を受け取った小春は胸に抱きしめていた。
「ふぇ〜ん、よかったよぅ〜……」
本気で泣きそうになっている。
「千七百八十円の生還だな」
灰原が言う。
「命の恩人みたいに言わないで」
六花が苦笑する。
「でも本当に良かったね」
「うん〜……」
小春は何度も頷いた。
その光景を見ながら。
尚哉だけが黙っていた。
あのノートは。
偶然なのか。
まだ何も分からない。
ただ。
気味の悪さがくすぶっていた。
◇
夜。
自室。
机の引き出しからノートを取り出す。
この黒いノート。
一体どういう事なのか。
何かを断定するにはまだ早い気もする。
だが。
小春の財布の件を見た今。
ただの悪戯とも思えなくなっていた。
尚哉はゆっくりとページを開く。
最初のページ。
そこに書かれていた文章は変わらない。
【白鷺六花は嘘をついている。】
最後のページを見る。
【朝比奈小春は財布を忘れる。】
その下に。
昨日はなかったはずの文字が増えていた。
【灰原陸は本当のことを言わない。】
「……は?」
尚哉は思わず呟いた。
誰もいない部屋に。
静かな沈黙だけが落ちていた。




