第131話 橘尚哉は疑わない。
夕日に照らされた教室は静かだった。
机の上には例のノート。
開かれたままのページ。
【白鷺六花は嘘をついている。】
その文字の上に、ぽたりと涙が落ちる。
滲む。
揺れる。
六花は俯いたまま動けなかった。
「ごめん」
また零れる。
何度目かも分からない。
「ごめん……」
声が震える。
涙が止まらない。
尚哉は何も言わなかった。
言えなかった。
教室には沈黙だけが流れていた。
◇
時間がループする。
未来日記。
四月一日。
何百回もの死。
何百回ものやり直し。
話の内容は理解を超えていた。
普通なら信じられない。
信じられるはずがない。
だけど、
尚哉の頭から離れないのは別のことだった。
白鷺六花は……
これを何回繰り返したんだろう。
何回。
尚哉の死を見たんだろう。
何回失ったんだろう。
数えるのをやめた。
六花はそう言った。
それがどれだけ重い言葉なのか。
尚哉には想像もつかなかった。
◇
「なあ」
尚哉が口を開く。
六花の肩が小さく震えた。
「一個だけ聞いていいか」
六花は俯いたまま頷く。
「……うん」
「その話」
尚哉は言葉を選ぶ。
「今まで誰かに話したことあるのか」
六花は少しだけ目を見開いた。
予想していなかった質問だった。
しばらく沈黙する。
そして。
「ない」
小さく答えた。
「一度も」
夕日が揺れる。
「信じてもらえるわけないからね」
六花は笑おうとした。
でも失敗した。
「私だって最初は信じられなかったし」
四月一日に戻るなんて。
謎のノートが現れるなんて。
何度繰り返しても運命が変えられなかったなんて。
そんなこと普通はあり得ない。
「だから……」
六花は未来日記を見る。
「信じなくてもいいよ」
静かな声だった。
「変な話だし」
「証拠もないし」
「私がただそう言ってるだけだから」
諦めたような声だった。
何百回も繰り返すうちに身についた声。
期待しないための声。
◇
尚哉は未来日記を見る。
そして六花を見る。
少し考えて。
小さく息を吐いた。
「いや」
六花が顔を上げる。
「正直」
尚哉は苦笑した。
「全然分からん」
「……」
「四月に戻るとか」
「俺が毎回死ぬとか」
「そんな不思議な事が、本当にあるのかなんて分からない」
六花は黙って聞いていた。
当然だと思った。
その反応が普通だ。
「でもさ」
尚哉は続けた。
「お前が嘘ついてるとは思わない」
六花の瞳が揺れた。
◇
「だってさ」
尚哉は頭を掻く。
「こんな話」
「嘘つく意味なくないか」
六花は言葉を失う。
「それに」
尚哉は未来日記へ視線を落とす。
「お前」
少しだけ笑った。
「嘘つくの上手くなさそうだし」
「……何よそれ」
思わず声が漏れる。
少しだけ。
本当に少しだけ。
いつもの六花に戻った声だった。
「いや、なんとなくだけど」
「ひどい」
短いやり取り。
それだけだった。
それだけなのに。
胸の奥が少しだけ軽くなる。
◇
尚哉は真面目な顔に戻った。
「だから」
静かに言う。
「俺は疑ってない」
六花の話も。
自分が死ぬかもしれない運命の事も。
まだ分からない。
理解できているわけじゃない。
ただ一つ。
目の前の白鷺六花はずっと苦しんでいる。
それだけは。
疑いようがなかった。
◇
六花は言葉を失っていた。
何百回も繰り返した。
何百回も失った。
何百回もやり直した。
でも。
こんなことは初めてだった。
誰かに話したことも。
話を最後まで聞いてもらったことも。
一度もなかった。
疑われると、信じてもらえないと思っていた。
だから今。
ひとりぼっちの暗闇の中から手を引いてくれたような気がした。
何を言えばいいのか分からない。
ただ。
涙だけが零れた。
今度は少しだけ。
さっきまでとは違う涙だった。
橘尚哉は疑わない。




