第123話 白鷺六花はいなくなっている。
退院の日。
病院の玄関を出た瞬間、尚哉は思わず目を細めた。
空が青い。
風が気持ちいい。
ただそれだけなのに、少し嬉しかった。
しばらく見られなかった景色。
しばらく歩けなかった道。
未来が戻ってきた。
そんな気がしていた。
◇
数日後。
尚哉は学校へ来ていた。
教室の前に立つ。
久しぶりだった。
少しだけ緊張する。
扉を開ける。
「橘くーーーん!」
小春だった。
ものすごい勢いで駆け寄ってくる。
「生きてる!?」
「その確認やめろ」
「だって心配したんだもん!」
「うるさい」
灰原が笑う。
「おかえり」
玲奈も小さく頭を下げた。
「無事でよかったです」
「ありがと」
教室の空気はいつも通りだった。
騒がしくて。
少しうるさくて。
居心地が良かった。
◇
だから。
最初は本当に気付かなかった。
◇
自分の席へ向かう。
鞄を置く。
そして何気なく教室を見渡した。
その時だった。
「……あれ」
小さく呟く。
視線の先。
一つの席。
窓際。
そこだけが空いていた。
◇
六花の席だった。
◇
「休み?」
何気なく聞く。
誰かが答えると思った。
風邪かもしれない。
病院かもしれない。
そういう話だと思った。
でも。
誰も答えなかった。
◇
小春が黙る。
灰原も黙る。
玲奈も俯いた。
◇
「……?」
尚哉は首を傾げる。
「どうした」
返事がない。
妙な空気だった。
教室の音が少しずつ遠くなる。
「六花は?」
もう一度聞いた。
それでも誰も答えない。
◇
その時。
教室の扉が開いた。
「橘」
担任だった。
「少し来なさい」
◇
職員室ではなかった。
小さな会議室。
机と椅子だけの部屋。
担任は向かい側へ座る。
何も言わない。
尚哉はだんだん苛立ってきた。
「先生」
「……」
「六花は?」
担任は目を伏せた。
そして。
長い沈黙のあと。
静かに口を開く。
◇
「白鷺さんの件なんだが」
◇
嫌な予感がした。
理由は分からない。
でも。
胸の奥が冷たくなる。
◇
「治療中に容体が急変した」
◇
意味が分からなかった。
◇
「助からなかった」
◇
尚哉は理解できない。
言葉が頭に入ってこない。
聞こえている。
意味も分かる。
でも。
理解できない。
◇
「……は?」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
◇
違う。
何かの間違いだ。
六花が?
なんで?
どうして?
何の話をしている?
◇
先生は何か言っている。
でも聞こえない。
頭の中で音が遠ざかっていく。
◇
六花は確かにいた。
映画にも行った。
笑っていた。
イルミネーションの話もした。
また明日と言った。
◇
また明日。
◇
また明日。
◇
また明日。
◇
尚哉は立ち上がった。
椅子が大きな音を立てる。
「橘!」
先生が何か言う。
でも構わなかった。
◇
会議室を出る。
廊下を歩く。
どこへ向かっているのか分からない。
ただ。
その話を否定したかった。
◇
嘘だ。
そんなはずない。
六花が死ぬわけない。
◇
スマホを取り出す。
トーク画面を開く。
六花。
その名前はまだそこにある。
最後のメッセージ。
『起きた』
『たぶん大丈夫』
既読はついていない。
◇
尚哉は画面を見つめる。
長い時間。
ただ、見つめる。
◇
何も変わっていない。
名前もある。
トークも残っている。
写真もある。
思い出もある。
◇
なのに。
◇
白鷺六花はいなくなっている。




