第120話 白鷺六花は残している。
夜になった。
部屋の中は静かだった。
机の上にはスマホが置かれている。
充電ケーブル。
三脚代わりの本の山。
少しだけ不格好な撮影準備。
六花はベッドの端に座っていた。
何度も深呼吸する。
それでも心臓は落ち着かなかった。
◇
スマホの画面を見る。
録画アプリ。
赤い丸。
それを押すだけなのに指が動かない。
何を話せばいいのか分からなかった。
伝えたいことはたくさんある。
本当にたくさんある。
でも。
言葉にしようとすると全部消えてしまう。
◇
六花は意を決して録画ボタンを押した。
数秒後。
画面の向こうの自分と目が合う。
「えっと……」
声が出る。
でも続かない。
「……」
沈黙。
何秒経ったのか分からない。
六花は録画を止めた。
そしてそのまま削除した。
◇
もう一度。
録画ボタンを押す。
今度こそ。
ちゃんと。
そう思った。
「尚哉くんへ――」
そこで終わった。
名前を呼んだ瞬間。
視界が滲む。
涙がこぼれる。
「っ……」
声にならない。
泣きながら停止する。
削除。
また最初から。
◇
何をやっているんだろう。
六花はスマホを見つめる。
こんな簡単なこともできない。
言葉を残すだけなのに。
たったそれだけなのに。
どうしてこんなに悲しくて苦しいのだろう。
◇
三回目。
録画開始。
笑顔を作る。
なるべく明るく。
いつも通りに。
そう決めていた。
「こんにちは」
…これは違う。
停止。
削除。
◇
四回目。
「尚哉くん」
停止。
削除。
◇
五回目。
「その……」
停止。
削除。
◇
気付けば一時間経っていた。
ゴミ箱フォルダには失敗した動画が何本も並んでいる。
どれも最後まで残せなかった。
六花は両手で顔を覆った。
「無理だよ……」
小さく呟く。
「こんなの……」
無理だった。
だって。
これを残すということは。
◇
自分がいなくなるかもしれないということだから。
◇
その事実が、どうしても六花の心を押し潰す。
病院で決断した。
答えを出した。
それでも。
こうして動画を残そうとするとリアルが迫ってくる。
逃げられなくなる。
これは誰かの話じゃない。
自分の話だ。
白鷺六花の話だ。
◇
机の上の写真立てへ視線が向く。
夏祭りの日。
花火。
浴衣。
尚哉。
自分。
二人の笑顔。
六花はその写真を見つめた。
「もっともっと一緒にいたかったな……」
思わず声が漏れる。
誰もいない部屋。
返事はない。
当たり前だった。
◇
来年の夏祭り。
映画。
卒業。
イルミネーション。
クリスマス。
お正月。
春。
全部欲しかった。
本当は全部欲しかった。
諦めたわけじゃない。
今だって諦めたくない。
◇
六花は涙を拭いた。
そしてスマホを手に取る。
録画ボタンを押す。
赤いランプが灯る。
画面の向こうには自分がいる。
少しだけ泣き腫らした顔。
最後に見せるのがこんな情けない顔なんて。
でも。
もう逃げたくなかった。
◇
六花は大きく息を吸う。
そして。
ようやく口を開いた。
「――」
◇
部屋の中で、赤い録画ランプが静かに光っていた。
白鷺六花は残している。




