第119話 白鷺六花は隠している。
朝の教室はいつも通り騒がしかった。
「おはよー!」
小春が元気よく手を振る。
「おはよう」
六花も笑顔を返した。
最近は笑うのが上手くなった気がする。
少なくとも周りには気付かれていない。
「そういえばさ」
小春が椅子を引き寄せる。
「橘くんのやつ」
「ああ」
灰原が頷く。
「治療できるかもしれないんだろ?」
「らしいな」
尚哉は頬杖をつく。
「まだ確定じゃないけど」
「いや十分すごいだろ」
灰原は笑った。
「マジでよかったじゃん」
「まあな」
尚哉も少しだけ笑う。
その笑顔を見て、六花は胸が苦しくなった。
「その人さ〜すごいよね」
小春が言う。
「その人?」
尚哉が首を傾げる。
「協力してくれる人!」
「ドナーってやつ?」
「そうそう!」
小春は何度も頷く。
「絶対いい人じゃん」
「会ったらお礼言わなきゃだね」
「まあ」
尚哉が言う。
「会えるなら言いたいな」
「何を?」
「ありがとうって」
小春が笑う。
「それ絶対泣くやつじゃん」
「泣かねぇよ」
教室に笑い声が広がる。
六花も笑った。
笑うしかなかった。
本当のことを知っているのは、この中で自分だけだった。
◇
昼休み。
屋上へ続く階段に座りながら、六花は空を見上げていた。
スマホが震える。
病院からだった。
息を止めながら通話ボタンを押す。
「白鷺さんでしょうか」
「はい」
「適合検査の結果が出ました」
胸の音だけが大きく響く。
「適合が確認されました」
六花は目を閉じた。
「治療は実施可能です」
予想していた。
覚悟もしていた。
それでも現実になると違った。
「白鷺さん。最終意思確認になります」
六花は目を閉じた。
怖くないわけじゃない。
あわよくば治療も成功して、自分も死ななかったらと淡い希望すら持ってしまう。
今までの事。
これからの事。
今でも生きたい。
怖くて仕方がない。
それでも。
「……お願いします」
声は震えていた。
答えはもう決まっていた。
◇
放課後。
二人で歩く帰り道。
「映画さ」
尚哉が言う。
「うん」
「今週公開のやつ面白そうだった」
「そうなんだ」
「見に行く?」
「行きたい」
自然に答えた。
嘘じゃなかった。
本当に行きたかった。
「あとさ」
尚哉が続ける。
「冬のイルミネーション」
「うん」
「結局どこ行く?」
六花は少しだけ笑った。
「まだ早いよ」
「そうか?」
「そうだよ」
尚哉も笑った。
本当は。
全部叶えたかった。
◇
夜。
スマホのグループチャットが動く。
『今度みんなで遊び行こう!』
小春だった。
『賛成』
灰原。
『適当で』
尚哉。
六花はしばらく画面を見つめていた。
それから文字を打つ。
『楽しみだね』
送信。
すぐに小春からスタンプが返ってきた。
六花はスマホを置く。
机の引き出しを開ける。
病院の封筒。
検査資料。
説明書類。
誰にも見せられないもの。
静かに奥へしまう。
尚哉にも。
小春にも。
家族にも。
誰にも言えない。
白鷺六花は隠している。




