第12話 一色玲奈の未来は変わる。
階段を一気に駆け上がる。
一段飛ばし。
息が切れる。
胸が苦しい。
それでも足を止める訳には…!
頭の中にはただ一つの言葉だけが響いている。
【一色玲奈は落ちる。】
嫌な予感が消えない。
ただの思い込みかもしれない。
勘違いかもしれない。
むしろそうあってほしいと願う。
とにかく、急げ。
屋上へ続く最後の踊り場。
尚哉は勢いよく扉を押し開けた。
ギィ――――。
重たい音。
夕方の風が吹き込む。
赤く染まりはじめた空。
フェンス。
広がる街並み。
そして。
一色玲奈はそこにいた。
昨日と同じ場所。
フェンスの近く。
空を見上げている。
「一色!」
思わず叫ぶ。
玲奈が振り返った。
「あ……」
少し驚いた顔。
だが。
その表情にはどこか虚ろな印象を受けた。
「橘くん……」
「何…してる…んだ」
息を切らしながら言う。
玲奈は少しだけ困ったように笑った。
「何って……」
それから空を見る。
「分かりません…」
小さな声だった。
尚哉は言葉を失う。
分からない。
その答えが一番怖かった。
「なんだよ、それ」
「私も分からないんです」
玲奈は笑った。
でも。
笑っているのに。
泣きそうだった。
「本読んでても」
玲奈が言う。
「学校にいても」
風が吹く。
長い髪が揺れる。
「家にいても」
小さな声。
「なんだかずっとずっと苦しくて」
尚哉は黙って聞いていた。
「私、別に嫌なことなんてないんです」
玲奈は言う。
「いじめられてるわけでもないし」
「……」
「家族も優しいし」
「……」
「友達だっているし」
「なのに」
玲奈は笑った。
「何も…ないんです」
その笑顔が。
痛々しかった。
「勉強も普通」
「……」
「運動も普通」
「……」
「特技もないし」
「……」
「本くらいしか好きなものなくて」
玲奈は俯く。
「だから」
小さく。
本当に小さく。
「私がいなくなっても、きっと誰も困らないから」
そう言いかけた瞬間、
「勝手に決めるな」
尚哉の声が響いた。
玲奈が顔を上げる。
驚いた顔。
「え……」
「なんで、お前が決めるんだよ」
尚哉は言った。
「誰も困らないとか」
「でも……」
「でもじゃない」
言葉が止まらなかった。
「白鷺だって」
玲奈の肩が震える。
「お前のこと心配してただろ」
「……」
「俺だって」
そこで一瞬だけ詰まる。
だが。
言った。
「気にしてた」
玲奈の目が大きくなる。
「図書室行って」
「……」
「本の話して」
「……」
「そんなおまえが消えて平気なわけないだろ」
沈黙。
風だけが吹いていた。
玲奈は何も言わない。
ただ。
唇が震えていた。
「……ずるいです」
ぽつりと。
玲奈が言った。
「え?」
「そんなこと言われたら」
声が震える。
「やめられなくなるじゃないですか……」
そして。
ぽろりと涙が落ちた。
一滴。
また一滴。
止まらない。
玲奈は泣いていた。
初めて。
本当に泣いていた。
尚哉は思い出す。
黒いノート。
そこに書かれていた一文。
【一色玲奈は泣いている。】
あれは。
このことだったのかもしれない。
玲奈は子供のように泣き続けた。
今まで抱え込んでいたものを吐き出すように。
尚哉は何も言わなかった。
ただ。
そこにいた。
それだけでよかった。
やがて。
玲奈はゆっくりとフェンスから離れた。
その一歩で。
未来は変わったのかもしれない。
◇
その夜。
尚哉は黒いノートを開く。
最後のページ。
そこに書かれていた文字。
【一色玲奈は落ちる。】
その下に。
新しい文字が浮かび上がる。
【一色玲奈の未来は変わる。】
尚哉は息を呑んだ。
初めてだった。
ノートに書かれた未来が。
変わった。
その文字を見て尚哉は、
安心している自分に気づいた。




