第11話 一色玲奈は落ちる。
翌日。
尚哉は朝から落ち着かない。
理由は明確。
例の黒いノート。
そこに書かれていた一文。
【一色玲奈は落ちる。】
それが頭から離れない。
【落ちる】
その言葉だけが妙に生々しかった。
何が。
どこから。
どうして。
何も分からない。
だから余計に気味が悪い。
◇
昼休み。
尚哉は四組の前を通った。
教室の中。
玲奈はいた。
窓際の席で本を読んでいる。
いつも通りだった。
少なくとも。
【落ち】そうには見えない。
「……」
自分でも馬鹿げていると思う。
ノートに書いてある通りに、人が落ちるかもしれないから様子を見る。
そんなの。
普通じゃない。
だけど実際、
ノートに書かれた内容は今まで概ね外れていない。
それが問題だった。
◇
放課後。
図書室。
「こんにちは」
玲奈が小さく頭を下げる。
「よう」
尚哉も返す。
少し前なら考えられなかった。
今では自然に挨拶を交わしている。
玲奈の向かいには六花もいた。
「橘くん遅いよ」
「別に待ち合わせしてないだろ」
「そうなんだけど」
六花が笑う。
玲奈も少しだけ笑った。
最近は三人で話すことも増えていた。
◇
「あ、そういえば」
六花が言った。
「一色さんって、休みの日なにしてるの?」
「本読んでます」
「予想通りだったな」
尚哉が言う。
玲奈が少し慌てる。
「ほ、本以外もありますよ」
「例えば?」
「えっと……」
玲奈は考える。
だが。
なかなか答えが出てこない。
「散歩とか……」
「今考えたろ」
「あ……」
図星だったらしい。
玲奈が小さく縮こまる。
六花が吹き出した。
「ごめんごめん」
玲奈も少しだけ笑う。
穏やかな時間だった。
だからこそ。
尚哉には分からなかった。
この子の何が危険なのか。
◇
しばらくして。
話題は将来のことになった。
「一色さんは?」
六花が聞く。
「将来やりたいこととかある?」
玲奈は少し考えた。
そして。
「特には…これと言って…」
小さく答える。
「好きなことはあるんだろ?」
尚哉が聞く。
「本は好きです」
「じゃあそれ関係とか」
玲奈は首を横に振った。
「私じゃ絶対無理なので」
自然な口調だった。
まるで当たり前のことを言うように。
「なんで?」
六花が聞く。
「だって私ですし」
玲奈は笑った。
自虐でもなく。
冗談でもなく。
本当にそう思っている顔だった。
その瞬間。
六花の表情が固まる。
「それ」
六花が言った。
珍しく強い声だった。
「そういう言い方、よくないよ」
玲奈が目を瞬かせる。
「え……?」
「自分のこと、そんなふうに言っちゃ駄目だよ」
六花は笑っていた。
でも。
どこか必死だった。
玲奈は困ったように視線を落とす。
「ご、ごめんなさい」
「謝ることじゃなくて……」
六花はそこで言葉を止めた。
何か言いたいことがある。
そんな顔だった。
だが結局。
それ以上は何も言わなかった。
◇
帰り道。
三人で校門まで歩く。
途中で玲奈は四組の校舎側へ曲がった。
「またね、一色さん」
六花が言う。
「はい」
玲奈は小さく笑った。
そして去っていく。
その背中を見送りながら。
尚哉は口を開く。
「珍しかったな」
「何が?」
「さっき」
六花は少し黙った。
「……別に」
「そうか?」
「そうだよ」
だが。
その笑顔は少しぎこちなかった。
◇
翌日。
放課後。
尚哉は図書室へ向かった。
扉を開く。
だが。
「……あれ」
玲奈がいない。
いつもの席は空だった。
司書の先生に聞く。
「一色さんなら今日は来てないよ」
「…そうですか」
胸の奥がざわつく。
嫌な予感。
気のせいかも知れない。
だが。
足は勝手に動いていた。
◇
四組。
いない。
中庭。
いない。
昇降口。
いない。
胸騒ぎが強くなる。
その時だった。
「あれ?」
通りかかった女子生徒が言う。
「橘くん?」
「一色の事、見なかったか?」
「一色さん?」
女子生徒は少し考える。
そして。
「ああ」
と言った。
「さっき屋上の方に行くの見たよ」
尚哉の心臓は止まりそうになった。
屋上…屋上!
その言葉と同時に。
黒いノートの文字が頭に浮かぶ。
【一色玲奈は落ちる。】
目の前の女子生徒に礼も言わず、尚哉は駆け出していた。




