第10話 一色玲奈は何も言わない。
放課後。
尚哉は自然と図書室へ向かっていた。
自分でも否定する気はない。
一色玲奈が何故か気になっている。
理由は分からない。
多分、あのノートのせいかもしれない。
ただ、あまり理由を気にしても仕方ないと思っていた。
図書室の扉を開く。
静かな空気。
紙の匂い。
いつもの光景。
「あ」
玲奈がいた。
いつもの窓際の席。
今日も本を読んでいる。
玲奈は尚哉に気付くと、小さく会釈した。
「どうも」
尚哉も軽く手を上げる。
数日前より自然になっている気がした。
◇
しばらくして。
図書室の扉が開く。
「あれ?」
聞き覚えのある声だった。
尚哉が振り向く。
「白鷺」
「橘くん?」
六花だった。
意外そうな顔をしている。
「橘くんも図書室とか来るんだ」
「なんか失礼だな」
「来なさそうじゃん」
「まあ来ないな」
「認めるんだね」
六花が笑う。
その時だった。
六花の視線が玲奈へ向く。
「あ」
玲奈は少しだけ肩を震わせた。
「えっと……」
どうしていいか分からない様子だ。
六花はそんな玲奈へ近付く。
「一色さんだよね?」
「は、はい」
「同じ学年の白鷺六花です」
六花は笑顔で言った。
「知ってます……」
玲奈が小さく答える。
「ほんと?」
「有名なので……」
六花が少し照れたように笑う。
「そうなの?…なんか恥ずかしい」
◇
気付けば三人で話していた。
話題は自然と本のことになる。
「一色さんってどんな本読むの?」
六花が聞く。
玲奈は少し迷った後。
手元の本を見せた。
「こういうのです」
「へぇ」
六花が目を輝かせる。
「面白い?」
「はい」
その瞬間。
玲奈の声が少しだけ大きくなった。
「感情の描写が繊細で……」
そこまで言って。
玲奈は慌てたように口を閉じる。
「あ……」
「うん?」
「…すみません」
「なんで謝るの?」
六花が首を傾げる。
玲奈は困ったように視線を落とした。
「つい……」
六花は少しだけ笑った。
「好きなものの話なんだから、いっぱいしていいんだよ」
玲奈は驚いたように顔を上げる。
その表情を見て。
尚哉は何となく思った。
玲奈は。
こういう言葉をあまり言われ慣れていないのかもしれない。
◇
「私なんて」
玲奈が小さく言った。
「本くらいしか取り柄ないので……」
六花の笑顔が少しだけ止まる。
ほんの一瞬。
それだけだった。
「そんなことないよ」
六花は優しく言う。
だが。
玲奈は首を横に振った。
「あります」
静かな声だった。
強く言ったわけでもない。
なのに。
なぜかその言葉は妙に重く聞こえた。
六花は何か言いかけて。
結局何も言わなかった。
ただ。
少しだけ寂しそうに笑った。
◇
帰り道。
図書室を出た後。
尚哉と六花は並んで歩いていた。
「一色」
尚哉が言う。
「どうだった」
「どうって?」
「初対面だろ」
六花は少し考える。
「いい子だった」
「それだけ?」
「うん」
それから少しだけ間を置いて。
「なんだか放っておけないなって思った」
そう言った。
尚哉は少し驚く。
まるで自分と同じことを言われた気がした。
「…俺も」
思わずそう答えていた。
六花は少しだけ目を丸くして。
それから笑った。
「だと思ったよ」
◇
夜。
尚哉は机の前に座っていた。
黒いノートを開く。
最後のページ。
そこには変わらず文字が並んでいる。
【一色玲奈は何も言わない。】
その文章を見つめる。
今日の玲奈は話していた。
六花とも話していた。
笑っていた。
少なくとも。
何も言わないようには見えなかった。
やっぱり考えすぎだったのかもしれない。
そう思いながらページをめくる。
そして。
尚哉の指が止まった。
新しい文字。
黒々と刻まれた一文。
【一色玲奈は落ちる。】
「――は?」
心臓が跳ねた。
落ちる。
何が。
どこから。
どうして。
意味が分からない。
これは、
分からないままではいられないのでは。
尚哉はその文字を見つめ続ける。
嫌な予感だけが。
胸の奥でじわじわ膨らみはじめていた。




