第117話 朝比奈小春は気付いていない。
朝。
教室の扉を開けた瞬間だった。
「六花ちゃーん!」
元気な声が飛んでくる。
小春だった。
今日も朝から騒がしい。
「おはよう」
「聞いて聞いて!」
挨拶より先だった。
六花は少しだけ笑う。
「何?」
「昨日コンビニで新しいアイス見つけた!」
「うん」
「めちゃくちゃ美味しかった!」
「よかったね」
「今度一緒に食べよう!」
小春は本気で嬉しそうだった。
その顔を見ていると、少しだけ気持ちが軽くなる。
◇
一時間目。
授業中。
小春は眠そうだった。
というより、ほとんど寝ていた。
「朝比奈」
先生の声。
「はい!」
勢いよく立ち上がる。
でも何も聞いていない。
教室に笑いが起きた。
「寝てただろ」
「寝てません!」
「寝てたな」
灰原が即答する。
「裏切り者!」
「事実だろ」
尚哉も笑っている。
六花も笑った。
いつもの光景だった。
◇
変わらない。
本当に変わらない。
◇
先生が黒板へ文字を書く。
小春がまた眠そうにする。
灰原がちょっかいを出す。
尚哉が面倒そうな顔をしている。
全部いつも通り。
◇
来年も。
見たかったな。
◇
その考えが浮かんで。
六花は慌てて目を伏せた。
◇
昼休み。
いつものメンバーで昼食を食べる。
「そういえばさ」
小春が言う。
「今度みんなで遊び行こうよ」
「急だな」
灰原が言う。
「いいじゃん」
「まあ別に」
「六花ちゃんは?」
小春が聞く。
六花は一瞬だけ言葉に詰まった。
「うん」
笑顔を作る。
「行く」
「やった!」
小春が喜ぶ。
◇
嘘だった。
◇
行けるかもしれない。
行けないかもしれない。
本当のことは誰にも分からない。
でも今は言えない。
◇
「というか」
小春が急に身を乗り出した。
「六花ちゃん最近変じゃない?」
六花の心臓が跳ねた。
思わず顔が強張る。
気付かれた。
一瞬そう思った。
◇
でも。
◇
「恋してる顔してる」
「は?」
灰原が吹き出した。
「また始まった」
「だってしてるもん!」
「してないよ!」
「してる!」
小春は自信満々だった。
「だって最近ずっと橘くん見てるし!」
「見てない!」
「見てる!」
「見てない!」
尚哉は面倒そうに頬杖をついた。
「うるさいな」
「あ、本人いた」
「最初からいるわ」
教室に笑い声が広がる。
◇
小春は気付いていない。
◇
本当に。
何も。
◇
放課後。
珍しく小春と二人で帰ることになった。
尚哉は病院。
灰原は部活。
だから今日は二人だけだった。
◇
コンビニへ寄る。
小春はアイスを買った。
「ほら」
「ありがとう」
「貸しだからね」
「えぇ」
「ちゃんと返してもらうから」
小春は笑う。
六花も笑った。
◇
歩きながら。
小春が言う。
「卒業したらどうなるかな」
六花は少しだけ足を止めそうになった。
「…どうだろうね」
「みんなバラバラかな」
「かもね」
「でも絶対また集まりたい」
小春は大きく手を広げて言う。
「灰原も」
「玲奈ちゃんも」
「橘くんも」
「六花ちゃんも」
当たり前みたいに言う。
◇
「また遊ぼうね」
◇
六花は少しだけ俯いた。
「うん」
それしか言えなかった。
◇
夜。
自室。
ベッドへ座る。
今日一日を思い出す。
◇
小春は笑っていた。
未来の話をしていた。
卒業後の話もしていた。
また遊ぼうと言っていた。
◇
何も知らないから。
◇
スマホが震える。
小春からだった。
『アイス代ちゃんと覚えといてね!笑』
六花は思わず吹き出した。
本当にどうでもいい内容だった。
でも。
それが嬉しかった。
◇
画面を見ながら小さく笑う。
そして少しだけ涙が滲む。
◇
小春は気付いていない。
だから笑っている。
だから未来の話をする。
だから――
◇
それが嬉しかった。
◇
朝比奈小春は気付いていない。




