第115話 白鷺六花は決めている。
放課後。
教室にはいつもの声があった。
小春が笑っている。
灰原が何かを言い返している。
玲奈が本を閉じて、少しだけ微笑んでいる。
尚哉は机に頬杖をつきながら、それを面倒そうに見ていた。
見慣れた光景だった。
何でもない日常。
当たり前のように流れる時間。
六花は少し離れた場所から、それを眺めていた。
この時間が好きだった。
みんなと過ごす、何気ない毎日が。
◇
「六花ちゃん?」
小春が首を傾げる。
「どうしたの?」
「ううん」
六花は笑う。
「何でもないよ」
嘘だった。
でも今は、そう答えるしかなかった。
小春は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「じゃあ帰りにコンビニ寄らない?」
「今日はやめとく」
「そっか」
「ごめんね」
「謝ることじゃないよ」
小春は軽く手を振った。
その何気ない優しさが、今は少しだけ胸に刺さった。
◇
帰り道。
尚哉と並んで歩く。
夕方の空は薄く赤く染まり、風には少しだけ冷たさが混じっていた。
「映画、週末でいいか」
尚哉が言う。
「うん」
「時間調べとく」
「ありがとう」
「別に」
何気ない会話。
普通の約束。
それなのに胸が苦しくなる。
「冬になったらさ」
尚哉が言う。
「うん」
「イルミネーション、どこ行くか考えとく」
一瞬だけ足が止まりそうになった。
けれど六花は歩き続ける。
「うん」
「何だよ」
「え?」
「変な返事」
「そうかな」
「そうだろ」
尚哉は少し笑った。
六花も笑い返す。
冬も春も、その先も。
尚哉と一緒に歩きたかった。
◇
別れ道。
「じゃあまた明日」
「うん」
いつもの言葉。
六花は尚哉の背中を、姿が見えなくなるまで見送った。
◇
夜。
自室は静かだった。
机の上には写真立てとガラス細工、そしてスマホ。
どれもいつもと変わらない場所にある。
六花はベッドに腰を下ろした。
◇
何度考えても答えは変わらなかった。
選ばなければ尚哉は死ぬ。
選べば自分がいなくなる。
どちらも嫌だった。
助けたい。
そして、生きていたい。
その願いは最後まで消えなかった。
◇
写真立てを手に取る。
夏祭りの日の写真。
花火。
浴衣。
笑顔。
約束。
未来。
大切なものがそこに詰まっていた。
来年の夏祭りにも行きたかった。
映画も観たかった。
卒業もしたかった。
クリスマスも、お正月も、春も。
全部。
「生きたい……」
ぽつりと呟く。
◇
でも。
六花は知ってしまった。
自分が何もしなければ。
尚哉は死ぬ。
尚哉がいない教室。
尚哉がいない帰り道。
尚哉がいない未来。
それだけは、どうしても受け入れられなかった。
◇
涙が落ちる。
「やだよ……」
震える声が漏れる。
「そんなの……」
嫌だった。
尚哉が苦しむのも。
未来を失うのも。
いなくなるのも。
◇
答えは、本当はずっと前から決まっていた。
あの日、病院で聞いた日から。
ただ認められなかっただけだ。
尚哉と一緒にいたい未来を、諦めきれなかったから。
◇
「尚哉くんには……」
涙が頬を伝う。
「生きていてほしい」
◇
それが六花の答えだった。
◇
スマホを手に取る。
病院の連絡先を開く。
指先が震える。
怖い。
死にたくない。
消えたくない。
それでも。
六花は目を閉じた。
大きく息を吸う。
そして発信ボタンを押した。
◇
呼び出し音が鳴る。
一回。
二回。
三回。
『はい、○○病院です』
六花は震える声で言った。
「白鷺です」
一度だけ唇を噛む。
「ドナーの件ですが――」
◇
白鷺六花は決めている。




