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115/133

第115話 白鷺六花は決めている。

 放課後。


 教室にはいつもの声があった。


 小春が笑っている。


 灰原が何かを言い返している。


 玲奈が本を閉じて、少しだけ微笑んでいる。


 尚哉は机に頬杖をつきながら、それを面倒そうに見ていた。


 見慣れた光景だった。


 何でもない日常。


 当たり前のように流れる時間。


 六花は少し離れた場所から、それを眺めていた。


 この時間が好きだった。


 みんなと過ごす、何気ない毎日が。


     ◇


「六花ちゃん?」


 小春が首を傾げる。


「どうしたの?」


「ううん」


 六花は笑う。


「何でもないよ」


 嘘だった。


 でも今は、そう答えるしかなかった。


 小春は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐにいつもの笑顔へ戻る。


「じゃあ帰りにコンビニ寄らない?」


「今日はやめとく」


「そっか」


「ごめんね」


「謝ることじゃないよ」


 小春は軽く手を振った。


 その何気ない優しさが、今は少しだけ胸に刺さった。


     ◇


 帰り道。


 尚哉と並んで歩く。


 夕方の空は薄く赤く染まり、風には少しだけ冷たさが混じっていた。


「映画、週末でいいか」


 尚哉が言う。


「うん」


「時間調べとく」


「ありがとう」


「別に」


 何気ない会話。


 普通の約束。


 それなのに胸が苦しくなる。


「冬になったらさ」


 尚哉が言う。


「うん」


「イルミネーション、どこ行くか考えとく」


 一瞬だけ足が止まりそうになった。


 けれど六花は歩き続ける。


「うん」


「何だよ」


「え?」


「変な返事」


「そうかな」


「そうだろ」


 尚哉は少し笑った。


 六花も笑い返す。


 冬も春も、その先も。


 尚哉と一緒に歩きたかった。


     ◇


 別れ道。


「じゃあまた明日」


「うん」


 いつもの言葉。


 六花は尚哉の背中を、姿が見えなくなるまで見送った。


     ◇


 夜。


 自室は静かだった。


 机の上には写真立てとガラス細工、そしてスマホ。


 どれもいつもと変わらない場所にある。


 六花はベッドに腰を下ろした。


     ◇


 何度考えても答えは変わらなかった。


 選ばなければ尚哉は死ぬ。


 選べば自分がいなくなる。


 どちらも嫌だった。


 助けたい。


 そして、生きていたい。


 その願いは最後まで消えなかった。


     ◇


 写真立てを手に取る。


 夏祭りの日の写真。


 花火。


 浴衣。


 笑顔。


 約束。


 未来。


 大切なものがそこに詰まっていた。


 来年の夏祭りにも行きたかった。


 映画も観たかった。


 卒業もしたかった。


 クリスマスも、お正月も、春も。


 全部。


「生きたい……」


 ぽつりと呟く。


     ◇


 でも。


 六花は知ってしまった。


 自分が何もしなければ。


 尚哉は死ぬ。


 尚哉がいない教室。


 尚哉がいない帰り道。


 尚哉がいない未来。


 それだけは、どうしても受け入れられなかった。


     ◇


 涙が落ちる。


「やだよ……」


 震える声が漏れる。


「そんなの……」


 嫌だった。


 尚哉が苦しむのも。


 未来を失うのも。


 いなくなるのも。


     ◇


 答えは、本当はずっと前から決まっていた。


 あの日、病院で聞いた日から。


 ただ認められなかっただけだ。


 尚哉と一緒にいたい未来を、諦めきれなかったから。


     ◇


「尚哉くんには……」


 涙が頬を伝う。


「生きていてほしい」


     ◇


 それが六花の答えだった。


     ◇


 スマホを手に取る。


 病院の連絡先を開く。


 指先が震える。


 怖い。


 死にたくない。


 消えたくない。


 それでも。


 六花は目を閉じた。


 大きく息を吸う。


 そして発信ボタンを押した。


     ◇


 呼び出し音が鳴る。


 一回。


 二回。


 三回。


『はい、○○病院です』


 六花は震える声で言った。


「白鷺です」


 一度だけ唇を噛む。


「ドナーの件ですが――」


     ◇


 白鷺六花は決めている。

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