第111話 白鷺六花は聞いてしまう。
週末。
病院の廊下は静かだった。
白い壁。
白い天井。
消毒液の匂い。
何度来ても気持ちいい場所ではない。
六花は待合室の椅子へ座っている。
隣には尚哉がいた。
診察の順番を待っている。
「眠い」
尚哉が言った。
「寝不足?」
「たぶん」
「ちゃんと寝て」
「寝ようとはした」
「しただけ?」
「しただけ」
六花は少し笑った。
尚哉も少しだけ笑う。
最近はこういう時間が増えていた。
病院へ付き添うこと。
検査を待つこと。
結果を聞くこと。
本当なら必要なかった時間。
でも六花は一度も嫌だと思わなかった。
少しでも一緒にいたかった。
少しでも支えたかった。
今はただ、それだけだった。
◇
名前を呼ばれる。
尚哉は診察室へ入っていった。
今日は追加の検査結果を聞く日らしい。
六花は待合室へ残る。
スマホを取り出す。
でも集中できない。
数分おきに時計を見てしまう。
時間が進むのが遅かった。
◇
しばらくして。
六花は飲み物を買いに立ち上がった。
自販機は少し離れた場所にある。
冷たいお茶を買う。
戻ろうとした時だった。
角を曲がった先。
医師と看護師の声が聞こえた。
別に聞くつもりはなかった。
本当に偶然だった。
「適合者が見つかれば可能性はあります」
その言葉に足が止まる。
◇
「ただ、非常に特殊な症例です」
「成功例は少ないですが存在します」
「血液内の特殊成分移植になります」
「適合条件がかなり厳しくて……」
六花は息を止めた。
聞いてはいけない気がした。
でも耳が離れなかった。
「つまり」
看護師が言う。
「ドナーが見つかれば……?」
「助かる可能性はあります」
◇
その瞬間。
六花の胸が大きく鳴った。
助かる。
今。
確かにそう聞こえた。
助かる可能性。
未来。
希望。
頭の中で言葉が何度も反響する。
◇
来年の夏祭り。
文化祭。
映画。
卒業。
未来。
尚哉が欲しいと言った未来。
六花が願った未来。
全部が一気に浮かんだ。
助かるかもしれない。
尚哉は生きられるかもしれない。
◇
気付けば六花は小さく笑っていた。
久しぶりだった。
心から安心したのは。
未来を想像できたのは。
あの日以来だった。
◇
「六花?」
声がした。
振り返る。
診察を終えた尚哉が立っていた。
「どうした」
「え?」
「なんか笑ってる」
六花は慌てて首を振る。
「何でもない」
「そうか?」
「うん」
嘘だった。
本当は今すぐ言いたかった。
助かるかもしれないよ。
大丈夫かもしれないよ。
そう言いたかった。
でも。
まだ確証はない。
期待させるのが怖かった。
だから飲み込む。
◇
二人は病院を出る。
空は少しだけ明るかった。
風も柔らかい。
世界は何も変わっていない。
それなのに。
六花には違って見えた。
未来はまだ消えていなかった。
手を伸ばせば届く場所にある気がした。
それが嬉しかった。
ただ嬉しかった。
だから。
この時の六花はまだ知らない。
その希望の先にあるものを。
自分がこれから知ることになる真実を。
白鷺六花は聞いてしまう。




