第109話 白鷺六花は願っている。
放課後。
尚哉は病院の日だった。
校門を出たところで立ち止まる。
「じゃあ」
尚哉が言う。
「うん」
六花は頷いた。
いつもなら駅まで一緒に歩く。
でも今日は違う。
病院へ向かう尚哉と、帰宅する六花。
進む方向が途中で分かれる。
「検査だっけ」
「ああ」
「そっか」
六花はそう言った。
本当はもっと何か言いたかった。
頑張って。
気を付けて。
行ってらっしゃい。
でも、どれも上手く言葉にならなかった。
「じゃあまた後で」
尚哉はそう言って手を振る。
「うん」
六花も小さく手を振った。
尚哉の背中が少しずつ遠ざかる。
見えなくなるまで見送って。
それから六花はゆっくり歩き出した。
◇
家へ帰る。
鞄を置く。
制服のまま椅子へ座る。
参考書を開く。
五分後には閉じていた。
内容が一切頭に入らない。
文字を読んでいるはずなのに意味が残らない。
スマホを見る。
時間を見る。
まだ検査は終わっていない。
当たり前だった。
とにかく落ち着かなかった。
◇
リビングへ行く。
テレビがついている。
母が何かのドラマを見ていた。
「六花?」
「うん?」
「どうしたの?」
「何が?」
「元気ない」
六花は少しだけ笑った。
「そんなことないよ」
「そう?」
「うん」
嘘だった。
でも説明できる気がしなかった。
母はそれ以上聞かなかった。
六花もそれ以上話さなかった。
◇
部屋へ戻る。
机の上。
ガラス細工。
夏祭りの写真。
自然と視線が向かう。
写真の中の二人は笑っていた。
花火の後だった。
名前を呼び合った夜。
来年も来ようと約束した夜。
未来の話をした夜。
「……」
六花は写真を見つめる。
少し前の出来事なのに。
ずっと昔のことみたいに感じた。
◇
ベッドへ腰掛ける。
スマホを握る。
連絡はまだ来ていない。
当然だ。
まだ病院にいる。
分かっている。
分かっているのに。
不安だった。
もし。
また倒れたら。
もし。
検査結果が悪かったら。
もし。
未来が本当に失われてしまったら。
考えたくないことばかり浮かぶ。
◇
ふと。
昔のことを思い出した。
海。
夏の日。
強い日差し。
冷たい水。
泣き叫ぶ声。
「……」
六花は目を閉じる。
あの日も何もできなかった。
ただ願うことしかできなかった。
助かってほしいと。
消えないでほしいと。
それだけだった。
そして今も。
自分は同じだった。
◇
窓を開ける。
夜風が入ってくる。
空は暗かった。
星はほとんど見えない。
六花は夜空を見上げた。
神様なんて信じているわけじゃない。
お祈りをする習慣もない。
それでも。
「お願いします……」
言葉が漏れる。
「お願い……」
それ以上は続かなかった。
何を願えばいいのか分からなかった。
ただ。
失いたくなかった。
それだけだった。
◇
スマホが震えた。
六花は反射的に手を伸ばす。
画面を見る。
『検査終わった』
尚哉だった。
六花は息を吐く。
気付かないうちに詰めていた息を。
ゆっくりと吐き出した。
続けてもう一通届く。
『帰る』
短い。
いつも通りの文章。
それだけなのに。
涙が出そうになる。
六花はすぐに返信した。
『おかえり』
送信。
数秒後。
返信が来る。
『ただいま』
たった四文字だった。
それだけだった。
それだけなのに。
六花はスマホを胸へ抱きしめた。
今日も帰ってきた。
今日も話せた。
今日も繋がっている。
それだけで救われる自分がいた。
未来はまだ分からない。
不安も消えていない。
それでも。
どうか。
明日も会えますように。
来週も。
来月も。
来年も。
どうか尚哉と一緒にいられますように。
六花は静かに目を閉じた。
白鷺六花は願っている。




