第104話 白鷺六花は安心できない。
尚哉は学校へ戻ってきた。
教室へ入った瞬間、小春が大げさに立ち上がる。
「生きかえったー!」
「死んでない」
「でもめっちゃ倒れたじゃん!」
「ちょっとだろ」
「全然ちょっとじゃないし!」
朝から教室が騒がしかった。
灰原も呆れたように笑う。
「マジ心配したんだぞ」
「悪い悪い」
「軽いなぁ」
「実際そんな大したことないし」
尚哉はそう言いながら席へ座った。
いつも通りだった。
声も。
表情も。
態度も。
全部いつも通りだった。
だからこそ。
六花は安心できなかった。
◇
授業中。
六花は何度も尚哉の方を見てしまう。
ちゃんと座っている。
ノートも取っている。
居眠りまでしている。
普段と変わらない。
それなのに。
少しでも尚哉が俯くと胸がざわつく。
少しでも咳をすると顔を上げてしまう。
自分でも分かる。
気にし過ぎだ。
でも止められない。
◇
昼休み。
「六花ちゃん」
小春が声を掛ける。
「ん?」
「まだ心配?」
六花は少し黙った。
否定できなかった。
「だって急だったし」
「まあね」
小春も珍しく真面目な顔になる。
「でも橘くん元気そうじゃん」
「うん」
「検査もまだ結果出てないんでしょ?」
「うん」
「じゃあ今は待つしかないよ」
その通りだった。
分かっている。
分かっているけれど。
不安は理屈では消えてくれない。
あ、やばい。涙出そう。
六花は俯いたのをやめて、真上を見上げる。
◇
放課後。
いつものように二人で帰る。
夕日が長い影を作っていた。
「見過ぎ」
突然、尚哉が言った。
「え?」
「今日ずっと俺見てるだろ」
六花は思わず目を逸らした。
「そんなことないよ」
「ある」
「ない」
「ある」
少しだけ沈黙。
そして尚哉がため息を吐く。
「まだ気にしてるのか」
六花は答えなかった。
代わりに小さく頷く。
尚哉は困ったように頭を掻いた。
「だから大丈夫だって」
「……」
「検査終わってないだけだし」
「うん」
「結果出たら分かる」
「うん」
六花は頷く。
頷くしかない。
でも。
その言葉だけでは足りなかった。
◇
駅が見えてくる。
人の流れ。
信号の音。
夕方の街。
何も変わらない景色だった。
なのに。
六花の中だけ何かが変わってしまった気がする。
倒れる前なら。
尚哉が大丈夫と言えば信じられた。
今は信じたいのに信じ切れない。
それが苦しかった。
◇
「六花」
尚哉が呼ぶ。
「ん?」
「そんな顔するな」
また同じ言葉だった。
六花は少しだけ笑う。
「どんな顔?」
「不安そうな顔」
尚哉は即答した。
「分かるの?」
「分かる」
六花は少しだけ驚く。
尚哉は視線を前へ向けたまま続けた。
「最近ずっとそうだから」
六花は何も言えなかった。
自分では隠しているつもりだった。
でも全然隠せていなかったらしい。
「ごめんね…」
「いや、心配かけてるのはこっちなんだが」
俯いてしまう六花。
尚哉はバツの悪そうな顔をしながら、俯いた六花の頭にそっと手を置く。
「!」
「その…なんて言うか、元気だせ」
「それ、私のセリフなのに…」
六花は今にも泣きそうな顔のまま、少し微笑んだ。
◇
別れ道。
「じゃあまた明日ね」
六花が言う。
「ああ」
尚哉が頷く。
それだけ。
いつもと同じ。
いつもと同じはずなのに。
六花は少しだけ立ち止まった。
尚哉が振り返る。
「どうした?」
「……何でもない」
六花は首を振った。
そして小さく笑う。
「また明日」
もう一度言う。
今度は確かめるみたいに。
尚哉は不思議そうな顔をしたあと、
「ああ」
と答えた。
その背中が見えなくなるまで見送る。
夕暮れの中。
六花は胸の前で小さく手を握った。
まだ何も分かっていない。
病名も。
原因も。
これからどうなるのかも。
それなのに。
どうしてこんなに不安なのだろう。
白鷺六花は安心できない。




