第102話 白鷺六花は待ち続ける。
尚哉が突然倒れた。
何が起きたのか理解できないまま、周囲だけが慌ただしく動き始める。
「先生呼んで!」
「救急車!」
「橘!」
誰かの叫び声が飛び交う中、六花はその場から動けなかった。
ついさっきまで普通に話していたのだ。
来年の祭りのことや猫のことを笑いながら話していたはずなのに、今は床に倒れたまま動かない。
「尚哉くん…尚哉くん!」
呼んでも返事はない。
もう一度呼んでも同じだった。
目を閉じたままの姿を見ていると、胸の奥を「怖い」という感情だけが埋め尽くしていった。
◇
病院の待合室。
白い壁と天井をぼんやり見つめながら、六花はただ座っていた。
何も分からない。
何も出来ない。
ただ待つしかなかった。
時計を見るたびに、ほとんど時間が進んでいないことに気付く。
体感では何時間も経ったようなのに、現実は数分しか過ぎていなかった。
◇
スマホが震えた。
小春からのメッセージだった。
『今どこ!?』
六花は短く『病院』とだけ返す。
すぐに『行く』という返信が届いた。
◇
待合室のテレビはついているが、内容は頭に入らない。
周囲の話し声も耳には届くのに意味として認識できなかった。
スマホの連絡先を開く。
そこにはいつも通り『尚哉くん』の名前がある。
変わらないはずなのに、今はひどく遠く感じた。
メッセージ画面を開いては閉じる。
何を送ればいいのか分からないし、そもそも読める状態なのかも分からない。
胸が締め付けられるように苦しかった。
◇
一時間ほどして、小春と灰原が病院へ駆けつけた。
「六花ちゃん!」
小春の顔を見た瞬間、少しだけ肩の力が抜ける。
一人ではなくなったからだ。
その安心感と同時に、涙がこぼれそうになる。
「大丈夫?」
そう聞かれても、六花は首を横に振るしかなかった。
「分からない」
自分でも驚くほど弱々しい声だった。
小春は何も言わず隣に座り、六花を抱きしめる。
灰原も反対側へ腰を下ろす。
「きっと大丈夫だろ。橘なら」
根拠のない言葉だと分かっていても、灰原なりの励ましだった。
六花は小さく頷く。
本当に大丈夫であって欲しいと、それだけを思っていた。
◇
もし、もう一緒に帰れなかったら。
もし、来年の祭りを迎えられなかったら。
もし、約束した未来がなくなってしまったら。
考えたくないのに、そんな想像ばかりが頭をよぎる。
不安で胸が張り裂けそうだった。
◇
ふいに花火の下で交わした約束を思い出す。
『来年も一緒に来ようね』
『当たり前だろ』
そして尚哉は言った。
未来が欲しい、と。
六花も同じ気持ちだった。
だから怖い。
失いたくないと思うほど、恐怖は大きくなっていく。
◇
診察室の扉が開いた。
六花は反射的に立ち上がる。
小春も灰原も顔を上げた。
だが出てきたのは看護師だった。
「ご家族の方は来られていますか?」
その問いに、六花は何も答えられない。
恋人ではあっても家族ではない。
誰より近くにいるつもりでも、知らされないことがある。
何も決められず、ただ待つことしかできない。
その事実がどうしようもなく苦しかった。
六花は小さく拳を握り、閉ざされた診察室の扉を見つめる。
その向こうにいるはずの尚哉を思いながら。
白鷺六花は待ち続ける。




