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1ー8

 積み上げられた本の横で、ノクスは一つの図鑑を開いていた。

 床に直接座ると言い始めた時は焦ったが、椅子に座るには今のノクスの体は小さすぎる。

 仕方なく許すと、ノクスはルカも隣に座れと促し、一人黙々と本を読み始めること1時間が経過していた。


 (これ、僕要らなくない?)


 けれど、子供を一人にもできない。

 足をモゾモゾと動かすと、どこかに行くのかと腕を掴んでくる。

 妙な距離感にルカの背中がむず痒くなる。

 そもそも、子供なんてもっと騒がしいと思っていた。

 なんなら、自分なら外を走り回り、虫を捕まえ、自生する木の実を口いっぱいに入れていた。

 随分とおとなしい子供に、ルカは感心するばかりだ。

 大きなノクスの印象なんて、無口、無愛想、守銭奴、出不精。どれもマイナスの言葉ばかりが出てくる。

 今との対比に、ルカの口から笑みが溢れる。


「これ、ルカの目と同じ色」


 不意に出たノクスの言葉に、ルカは慌てて図鑑を覗き込んだ。

 図鑑のタイトルは『宝石の世界』。


「ヘリオドールって書いてある」


 金色の宝石。ルカの胸がドキリと鳴った。

 紙に書かれた文字を、子供の指がなぞる。

 今のノクスは5歳前後といった年齢で、歳の割に文字が読めるようだ。

 これが貴族育ちなら当たり前なのだが、平民であるノクスならば、優秀と認めざるを得ない。

 だが、ルカの関心は別のところにあった。


「僕の目の色と同じ?」


 子供は無邪気に頷く。

 一呼吸、ルカは息を止めた。




 その時、思い出したのは初めてノクスと会った時のこと。

 落ち込んでいた自分を、カイとアルヴェが部屋に案内してくれた。手を引かれ、扉の先にいた大きな男。

 ボサボサの髪にヨレヨレの白いワイシャツ――散らばるレポートに囲まれた、大男はルカを見て口を開く。


「ヘリオドール」

「ヘリオドール?」


 挨拶でも無い、自己紹介でも無い。ノクスから聞きなれない言葉が出る。

 パチリと瞬きをし、ノクスをみれば真っ直ぐな視線が刺さった。


「太陽光を含んだベリル。黄色の発色は鉄イオンによるものだ。お前の目によく似ているよ」


 無口な男が流暢に喋った言葉にドキリと胸がなる。

 もっと色々なことが聞きたい――そう思わずにはいられない。泉のように湧き出る知識にルカの胸は踊る。


「……目を離しにくい」


 淡々と語った言葉に、ルカの心臓が跳ねる。思わず、目を見開いた。

 その一言が、長いあいだ胸に残り続けている。

 妖精たちは好意を寄せてくれても、それを口にすることがない。だから、あんなにまっすぐに言葉をぶつけられたのは初めてだった。



 


「ルカ?」


 ノクスが声をかける。

 ルカはハッとしてノクスを見た。

 緩やかな光に二人の輪郭が暈ける。

 ルカの指に、小さな指が重なる。


「どうしたの?」

「君が、僕にくれた言葉を思い出したんだ」


 ノクスは自分を指差し、首を傾げる。

 それはそうだ。彼にとって、その言葉は未来で、ルカにとっては思い出の一つ。

 隣で座る子供に囁く。

 ――大きな彼も、覚えていないだろうけど。


「ヘリオドール、太陽の贈り物……」


 ルカは微笑む。

 

「貴方が僕にくれた言葉」


 ぴくりとノクスのまつ毛が震える。それからツンと唇を尖らせた。


「ノクス先輩?」

「せんぱいじゃない」


 ふるふると頭を振り、顔を背ける。小さな拒絶にルカはあわあわと手を振った。


「どうしたの? 僕、悪い事、言っちゃった?」

「違う」

「もしかして、お腹が痛いとか?」

「違う」

「……なら、言葉にしてよぉ」


 ルカの泣き言に、ノクスは罰が悪そうに顔を覗き込む。


「大きなぼくは先輩だけど、今は違う」

「先輩って言われるの、嫌だった?」

「違う……」


 子供の目が泳ぐ。大きな彼なら、事実だけを言って終わらせるところを、どうにも的を得ない物言いに、ルカはお手上げだ。


「おぼえてないからやだ」

「覚えていないから?」

「ルカがうれしそうだった」


 言われて気がつく。その感情にはルカも身に覚えがあった。

 疎外感——、自分が思い出話をすればする程、幼い彼は置いてけぼりになった気分になる。

 ルカは頬を指で掻くと、子供の頭に手を置いた。


「そっか、寂しくさせちゃったね」

「ルカは悪くない」


 けれど感情を抑えるには、彼は幼すぎる。


「ねぇ、大きなぼくはどんな人?」


 ノクスの小さな手が、ルカの服の裾を引っ張る。

 ルカは思わず眉を下げた。


「ええっと、とっても頭が良くて、とても大きいかな? それと、……強い人」

「つよい……」


 嘘は言っていない。これはルカのノクスに対する正当な評価だ。

 確かに無口で無愛想で付き合いにくい面があるが、それを差し引いても、褒めるところがたくさんある。

 これはルカの彼に対する憧れも含まれていた。

 ノクスは他者に依存するところを見たことがない。人の顔色ばかり伺う自分とは大きく違う。

 しかし小さな彼は、強いという単語をどう受け取ったのか、俯いた。


「そっか、つよくなれるんだ」

「せんぱ……ノクス?」


 先輩と言いかけて、慌てて訂正する。

 だが、ノクスはルカの言葉に反応しない。


「つよくなりたいんだ、だれかを守れるくらい」

「守りたい人がいるの?」


 好奇心に似た感情が口から溢れた。

 ノクスが顔を上げる。その瞳が揺れていて、思わずルカは息を呑んだ。

 今までノクスの触れてこなかった部分に、今自分は足を踏み入れている。

 それは大きな彼にとって、本意ではないかもしれない。

 けれども、アルヴェの「もっと知るべき」と言う言葉がルカの背中を押した。


「いない」


 予想外の答えに、ルカは大きく目を見開く。


「でも、ぼくは守られたから、生きていて、だから、守れるくらいつよくなりたい」


 それは幼い体からは想像できないほどの決心。——感情ではなく、生存理由。

 背中に走るケロイドは、誰かに守られた痕なのか。

 カイは事故だと言っていた。ノクス本人から聞けとも。

 胸がざわつき、ルカは小さく息を吐く。


「やっぱり、ノクスは強いなぁ」


 ノクスは、ルカの頬に手を添える。

 子供特有の高い体温が、じわりと頬から脳へと伝わった。


「ルカも守るよ」

「僕?!」


 思わず体を引き離す。

 触れられた部分に、熱が残っているようで、顔が熱くなっていく。

 こんな幼い子の言葉を間に受ける気はない。

 けれど、ルカは胸が苦しくなった。

 ノクスなら、ほんとうにその約束を守ってくれそうだとさえ思える。


「無理だよ」

「ぼくが小さいから?」

「そうじゃなくて……」


 言葉を濁す。

 きっと元に戻れば、ルカはノクスの視界の端に映る程度の小さな煩いルームメイトで、興味すら持たれない。

 守られたい訳じゃない。

 ただ、この距離がなくなってしまうのは、名残惜しい。

 ルカは自分の感情を、誤魔化すように首をさする。


「僕だって、強いんだよ」

「そうなの?」

「すごい魔眼を持ってるんだから!」


 虚勢で胸を張る。


「最強の精霊術士になるんだ」


 半分本気の言葉を吐く。


「おとぎ話で聞いたことがある。きんいろの目……」


 子供の目の奥が、好奇心できらりと光った。


「ルカの見ている世界を、ぼくも見たいな」


 ノクスの言葉に、ルカはぎこちなく笑うしか出来なかった。

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