1ー6
「えっと……?」
幼い子供がエントランスや廊下、教室に至るまで走り回っている。一人二人ではない――。
みな、一様に裸足、サイズの合っていない服を着ている。
白い壁には落書きがされ、紙飛行機が空を飛ぶ。
思わずルカは息を飲み、ロイルを見た。
「ロイ、なにこれ」
「私に言われても……」
お互い、驚きの表情のまま顔を見合わせた。
一歩遅れたところにいたエヴァンは、眼鏡を上げゴシゴシと目を擦る。ポカンと口を開けたまま、何も言葉が出てこないようだ。
「なんで、幼い子供が……?」
ロイルの言葉に、ルカもエヴァンも首をかしげることしか出来ない。
「多分、マルコ先生の爆発だよね?」
「みなまで言うなよ、ルカ」
ロイルはげんなりと肩を落とす。
エヴァンは声を上擦らせながら、指を指した。
「あ……あ、あれ」
エントランスを突き抜けた先に、グシャグシャの赤茶色の髪をした少年が、大笑いしながら走っているのが見える。
制服ではない、薄汚れた白衣を着た少年。どことなく見覚えのある顔にルカはぷるっと体を震わせた。
「マルコ先生に、似てる……?」
ルカの記憶が正しければ、マルコ先生は40代。どう若く見積もっても、少年には見えないはずだ。
けれど、あの特徴的なタレ目はどう見ても――。
「そう言えば、昨日の夕方……、先生がラボに色々持ち込んでいました」
エヴァンが恐る恐る手を上げる。マルコは、エヴァンの所属するマレアストラの寮監でもある。
マレアストラ寮の自室でマルコが怪しい実験をしているのは、生徒の間では有名な話だ。
「珍しい材料が手に入ったから……、よ、四年生の授業で見せたいって」
手を合わせ、もじもじとするエヴァン。自信なさげな言葉だが、ロイルとルカが予想するには十分な情報だ。
「珍しい材料って?」
ロイルが聞くと、エヴァンは肩を縮こまって床を見る。
「分からない」
消え入りそうな小さな声。だが、ぐっと口を食い縛ると顔を上げた。
「ちょっと寮に戻ってくる! この子供たち、四年生な気がするんだ」
その予想は、ロイルもルカも同じである。
だが、なぜこのタイミングで寮に戻るのか。
言うが早いか、エヴァンが駆け出す。
「今なら先輩からレポートを取り戻せるかも!」
なるほど――、納得する。もし、レポートを盗んだ先輩が、子供になっているなら、どんなに気の弱いエヴァンでもレポートを取り戻せるだろう。
別れの挨拶を言う暇もなく、残されたロイルとルカはぱちくりと瞬きをした。
「ルカ〜、縮んでない〜?」
混乱するルカの後ろから、聞き慣れたのんびりとした声。
アルヴェがのらりくらりとやって来て、ルカの頭に手を乗せる。身長をあわせるように身を屈め、じっとルカの目を覗き込んだ。
「もうっ! 嫌味ですか、アルヴェ先輩!」
ムスッと頬を膨らませる。ルカは小柄な方だが周りの子供たちほど、あんなにあからさまに子供じゃない。
「あはは、ごめんごめん。気に障ったなら謝るよ」
カラカラと笑い、周りを見渡す。アルヴェは濃紫の髪を気だるげにかきあげて、ため息をついた。
「しかし、凄い状況だねぇ。特にアレ」
アルヴェの細い指が、エントランスの先――、少年マルコを指さした。
アルヴェはそっと手招きをする。
「ほら、二人ともおいで。せっかくだし近くで見てみよう」
好奇心に満ちた顔。アルヴェは朗らかに、軽い足取りで中庭に向かう。
ロイルとルカは顔を見合わせてから、アルヴェからの誘惑に耐えきれず後をついていくことにした。
「見て。先生が苦戦してる」
身体強化で距離を詰め、懐から縄を取りだし蛇にする。
あくまで捕縛を目的とし、攻撃の意思は一切ない。
だが、マルコは捕まらない——。
ロイルは唾を飲んで、拳を握りしめた。
「先生の魔術が通用しない?」
「セリウス先生は、かなり制限をかけてる。あれじゃ、捕まらないよ」
セリウスから繰り出される技をすんでのところで耐え、避けきる少年。
楽しそうにキラキラと輝く目と対照的に、やっていることはえげつない。
一方のセリウスは疲れの色が見えている。
それもそうだ。幼い子供を避け、標的のマルコすら傷つけないように慎重に動いている。
「あれは、記憶と思考まで見た目と同じ年齢まで下がってるね」
アルヴェは洞察深く、少年の動きを見る。
少年マルコは、セリウスの猛攻をただ避けているのではない。
ぶかぶかの白衣に隠された、魔道具を使って妨害している。
「流石、少年まで力が戻ってもこの学院の教師になる人だよね」
アルヴェの率直な感想に、ルカは頭を縦に振る。それは、ロイルも同じことで、食い入るようにマルコを観察していた。
羽虫のような小さなそれがマルコを守るように飛び回っている。魔術回路を仕込んだ小型の鉄部品、それらを寄せ集めて作られた特製のカラクリは確かに非常に厄介そうだ。
実際、蛇を串刺しにし、迫るセリウスを攻撃。一つ一つの攻撃力は、とても弱い。しかし、妨害が目的である以上、数で押し切っていた。
「ねぇ、アルヴェ先輩ならどうします?」
「ん? 俺がマルコ先生を捕まえるとしたら?」
「はい」
「俺なら自分から来てもらうかな」
相手を追いかけるなど、性に合わないとでも言うのか。アルヴェの回答にルカは頭にはてなを浮かべる。
逃げる相手が、自分のところに来てくれるなど、あるのだろうか。
それはロイルも同じようで、目をしばたたかせていた。
「アルヴェ!」
セリウスが叫ぶ。
「そこで見ているなら手伝え!」
怒号にルカの背筋が震える。
疲れのピークからか、セリウスには余裕がない。
アルヴェは臆することなく、はいはいと小さく返事をした。
「ご指名とあらば——、ルカならどうする?」
「ええ? 僕ですか?」
スモーキーグレーの瞳が、ルカの顔を覗き込む。長い睫がすぐそばにあった。
どきりとルカの心臓がはね、あたふたと手足をバタつかせる。
「無理ですよ! セリウス先生でも捕まえられないのに!」
「ルカは、自分の目をもっと信じたら良いのに」
可愛く首をかしげ、お願いをするアルヴェ。ぐっとルカは息をつまらせた。
「僕の目?」
改めて、ルカは周りを見た。
晴天、風が気持ちいい。少年のはしゃぐ声に、精霊たちは少しの興味を示している。楽しい事をしているのでは、と。
そんなことをすれば、マルコの支援になってしまう。
アルヴェは「自分から来てもらう」と言っていた。察するに逃げ場を狭くして、罠を仕掛けるのだろう。
——自分ならどうするか。
「僕は、精霊に連れてきてもらう……多分、精霊は彼と遊んでくるから」
戦闘の授業をあまり受けないルカだからこその意見に、ロイルは面食らう。
思わず食い気味にルカに問いかけた。
「遊ぶ?」
「うん、追いかけっこのつもりなんですよ。だから、一緒に逃げたらどうかなって」
アルヴェはパチンと指を鳴らした。
「オッケー、それでいこう」
「本気ですか?」
「大丈夫、大丈夫。うまく行くって」
優しい声。適当な返事だが、アルヴェに言われると、出来る気がしてくる。
ルカは深呼吸を一度すると、瞳を閉じた。
「えっと、――おいで、風」
緩やかなルカの声。ゆっくりと黄金の瞳が開かれる。
呪文と言うにはあまりにも曖昧な言葉。
その言葉につられ、さわり――風が吹く。
「遊んでおいで」
命令ですらない。けれど、ルカにとってはそれだけで十分だった。
中庭の空気がざわりと揺れる。木々の葉が鳴った。
芝生を愛でていた風が、廊下を吹き抜けていた風が、校舎の窓辺にたまっていた風までもが、楽しげにひとつ場所へ集まっていく。
「おお、流石」
それをアルヴェは見ているだけ。ロイルも、ルカの精霊術に軽く目を見開く。
「ああ、なるほどね」
ルカのしたい事を察し、アルヴェは懐から杖を取り出す。
それを器用に指先で回しながら、注意深く少年を観察する。
風の精霊が楽しそうにマルコに寄り添った。
「わっ」
少年マルコの白衣がふわりと膨らみ、思わず声を上げる。
「わっ、わっ!?」
足元をくすぐる突風。背中を押す追い風。髪をぐしゃりと撫でる悪戯な風が、マルコの周囲を取り囲んだ。
少年の体にまとわりついた風が徐々に大きくなっていく。
「楽しいねえ!」
無邪気に笑う少年マルコの踵が地面から離れた。
足取り軽く、一歩踏み出せば空に舞い上がる。少年はそれを確かめるように、何度も何度も体を空へ持ち上げる。
重力の縛りから解放されたかのような感覚に、目を輝かせた。
マルコが笑う様子を見て、アルヴェの口角が上がる。
「もっと、もっと」
ルカは両手を空に掲げ、語りかける。
風が答える。中庭に突風にも近い風の渦が出来はじめる。
少年の足が地面から離れ、右へ左へ体が揺れる。
手伝えと言ったはずが、よりマルコに有利な状況になり、セリウスの拳が震えた。
これでは何をしても空へ簡単に逃げられてしまう。
「すっご! 空飛べるじゃん!」
「おい! アルヴェ!」
セリウスの声に、ルカの肩がびくりと揺れた。
途端、風は逃げるための踏み込みを奪い、走る勢いを空へ逃がしている。
自由だった体はいつの間にか軽く、空へ投げ出される形となった。
――突風。一線の渦が少年を高く高く持ち上げる。
「ああ! どうしよう!」
慌てたルカの感情に反応して、風の精霊がピタリと止まってしまった。
ぐらり――、箒も持たない少年の体が重力に引かれる。
「あ――」
マルコの口から間の抜けたような声が漏れる。
マズい。マルコの体が地面に叩きつけられる瞬間、アルヴェの杖が動いた。
「水よ――」
どぷんと音が鳴る。水球が生まれ、マルコの体が水に沈む。
水の檻に溺れる少年マルコを見て、アルヴェは満足げに微笑んだ。
「先生ぇ、捕まえましたー」
「おい!」
手を上げて報告するアルヴェに、飛んでくるのは称賛ではなく、怒声。
セリウスは水球を叩く。水の玉はパチンとシャボン玉のように弾け、無様に転がるマルコ。
あわあわとルカは頭を下げた。
「ご、ごめんなさい」
縮こまるルカをアルヴェは咄嗟に背中に隠す。
「想定内ですよ」
「気絶しているが?」
「無傷の範囲ですって」
セリウスは頭を抱えた。
マルコが気絶してしまうと、教室で何を使い、何が起こったのか聞き出せない。
少年になったマルコが覚えているかも怪しいが、早急に解決するには必要な事だった。
ロイルもルカも肩身が狭くなり、腕をさする。
「はあ、せめて使った薬品だけでも聞き出すつもりだったんだが」
「どのみち、今のマルコ先生から聞き出せませんよ」
悪びれもしないアルヴェに、セリウスは首を軽く横に振ると、気絶しているマルコを抱き抱えた。
「後で、……そうだな、夕食の時間にでもこの件はまとめ報告するとしよう。悪いが、全生徒は寮で待機してもらうことになる」
「子供たちは?」
アルヴェが聞くと、セリウスは眉間を押さえた。子供はマルコだけではない。なんなら、もっと幼い子供たちが校舎を走り回っている。
「各寮長に伝えておくが……」
「無理ですよ」
アルヴェが一人の子供を指差す。
見れば、白いシャツを引きずりながら、茶髪の子供が別の子供を楽しそうに追いかけている。
寮長特有のループタイを着けて――。
「あれ、どう見てもウチのセドリック寮長なんですけど」
「……」
セリウスは黙るしかない。
まさか寮長含む四年生が、幼児になっているなど思わなかったのだろう。落胆、がくりと肩が落ちる。
肩に担いでいた少年マルコが揺れた。
「被害者は研究組の四年生ってところですかね」
「そうか。そうだな。マルコの授業を考えるに……」
ロイルの付け足した説明に、下を向き、ぶつぶつと言うセリウス。胃の辺りをグッと抑え、耐えている。
ルカはサァーッと血の気が引いた。
「アルヴェ先輩ッ、それってマズいんじゃ?!」
「そうだねぇ、よりにもよって四年生かぁ。統率取れないよねー」
のんびりとした口調。どうみても焦っていないアルヴェ。
ルカと同じ部屋で唯一の貴族でありながら、威厳を感じることがほぼない。
「少なくとも、ミラルナージュの寮長も居ないってなると俺とカイなら好き勝手しちゃうかも」
「おい……」
怒る気力もないセリウスが、辛うじて言葉を差し込む。
子供をどうにかするのではなく、この混乱に乗じてさらに何かをするつもりなのか。冗談にしてはタチが悪い。
悪戯っぽく笑うアルヴェに、ルカは言葉が出てこず、はくはくと金魚のように口を動かした。
「寮長が居なくても関係ねーだろ」
上から振って湧いたような指摘。
見てみれば、カイが小脇に黒髪の子供を抱えて、足取り軽くアルヴェの隣に並ぶ。
「そう? 一応我が寮長の胃がひっくり返らない程度には遠慮しているつもりだけど」
「よく言う……、っと報告」
カイは小脇にいた子供を持ち上げる。
子供は不機嫌そうに足をバタつかせ抵抗をしていた。
ロイルとルカが身をかがめ、子供を見つめると、ピタリと止まり両手で自分の目を覆う。
照れ隠しとは違う――、警戒心からの行動に、ロイルはどうしていいか分からず、身を引いた。
逆にルカは興味を惹かれ、指で優しく黒髪を梳いてやる。すると、指の間からチラリと深緑の瞳が覗く。
「カイ先輩、この子は……」
「ん、教室に一人残って、教科書の絵を眺めてたから拾ってきた」
「拾って来たって、物じゃないんですから」
ルカが呆れる。
子供は一言も喋ることなく、必死にカイに抵抗している。
その姿が可哀想で、ルカは思わず手を伸ばした。
「ほら、嫌がってる。離してあげてください」
「へーへー」
カイがパッと手を離すと、子供はそそくさとルカの後ろに隠れた。
「君、大丈夫?」
ルカが優しく子供に手を伸ばす。
無造作に伸びた黒髪を、再びそっと撫でると、子供はルカのローブに顔を埋める。
その様子を見て、アルヴェは子供を指差した。
「カイ、コレを拾ってきたのって」
「ああ、そう」
短いやり取りで納得するアルヴェ。
それからルカに目線を合わせた。
「ルカ、それ、誰かわかる?」
「ええ?」
言われて戸惑う。四年生の知り合いなど、数を数える程度だ。
顔を見ようにも、ローブに隠れて見えない。
何かを察したセリウスが、「ああ」と、短く呟く。
アルヴェはしゃがみこむと、子供の背中をそっと撫でた。
「顔を上げて」
アルヴェの声に、子供はしぶしぶローブから少し離れる。
ぶすりと不機嫌を塗りたくった子供の瞳は緑色。
――黒髪に深緑の瞳、無口な研究組の四年生といえば、確かに思い当たる人物が一人いる。
けれど、それは似ても似つかないほどの大柄で、熊のような男だ。
「えっ……ええ?」
ルカの反応に、ロイルも気がついたのか思わず口元を押さえた。
「ノッ……ノクス先輩?!」
ルカの大きな声に驚いて、子供がまたローブに顔を埋める。
「ああっ、ごめん! 驚いたよね」
ぎゅっと小さな指がローブを必死で握っている。
ルカは、慌てて子供をあやした。
だが、ルカが疑うのは仕方がない。
目の前にいる子供は痩せ細って、とても今のノクスとは結び付かない。
けれども、無口で表情が乏しいところは今と同じかもしれないなんて、頭の片隅で考えながら、ルカは子供の頬に触れる。
すると、子供は口をつねらせルカを見上げた。
「ぐ……可愛いッ」
ルカの反応に、アルヴェは目を丸くする。
「えー、意外な反応」
「まあ、いいんじゃね」
カイが軽く受け流す。それから、手を広げニッと笑った。
「これからどうするつもりだ」
セリウスはため息をつき、髪をかき揚げた。
「そんなの決まってるでしょう」
「アストヴィリア託児所へようこそ!」
――なんて陽気なことを言うカイとアルヴェ。ルカは改めて周りを見渡した。
生徒たちが、子供をあやしている。
そして、託児所と言う言葉に、ルカは今から自分が何をすることになるのか、誰の説明もなく理解した。
「え…………」
「頑張れよ。ざっとみた感じ、研究組だけじゃなくて四年生の半分くらいが巻き込まれてるから」
「わぁ、今夜は荒れるねえ」
どこからともなく飛んできた紙飛行機がルカの頭に刺さる。
ロイルとルカは唖然とし、立ち尽くした。




