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飛行術の授業。二年生は広い運動場で軽くストレッチをしていた。
綺麗に手入れのされた芝生は青く、ルカは飛行用の箒を片手にロイルの横に並ぶ。
担当教師はセリウス・クロフォード。昨日の一件もあり、彼の周りの空気はいつも以上に棘々しい。
授業を受ける生徒たちもそれを感じ取って、どこか緊張感の走る空気にルカは気持ちが重くなっていた。
「“空中での静止”は基本中の基本だ。魔力制御を怠れば怪我にも繋がる。普段、移動手段に箒を使わない者もいるだろうが、しっかりと覚えるように。
冷えた声が空に落ちる。
ルカが空を見上げれば、授業の空気とは裏腹に晴天が広がっていた。
「では、始め」
生徒たちは一斉に浮き上がる。
ロイルは安定した魔力制御で、既に静止状態を保っていた。
まるで重力の概念から外れているような、手本のような滑らかさにセリウスは深くうなずく。
一方、ルカは浮いた瞬間から、揺れていた。
(うっ……)
上がりすぎたと思ったら、ガクンと下がる。高度を一定に保つことができず、体がぐらつく。
魔力の流れが指の間から漏れて、うまく制御ができない。
ルカは躍起になって、軌道を整えようとするが、余計にバランスが崩れてしまう。
精霊の目の副作用とも言える、典型的な精霊術に頼る魔術師の落とし穴。
精霊が補助してくれているおかげで落ちはしない。
だが、その精霊たちは「緻密な命令」を理解しない。
“止まれ”ができても、“この位置で3秒静止”ができない。
(難しいなあ……)
横を見ると、ロイルは余裕の表情で空に立っていた。
綺麗に結ばれた青髪が、緩やかになびいている。
その差に、目線が箒の柄へと落ちた。
どうも昨日から、自分の出来ないことばかりが目について嫌になる。
ルカはぶんぶんと頭を振って、意識を切り替えようとした。
「終わり!」
セリウスの号令に、生徒たちは地面へ足をつける。
ルカは胸に手をあて、ゆっくりと息を吐いた。
その時、正面にいた暗い緑髪の少年の肩がいつも以上に落ちていることに気がつく。
「では、各自で再度、練習してもらおう。次の遠征訓練までに、安定した飛行を習得してもらう」
セリウスに言われ、生徒たちは互いに距離を取り合う。
その中で飛行魔術の上手い生徒は、苦手な生徒に自主的に指導し始めた。
ルカは、タイミングを見計らって眼鏡をかけた生徒に声をかける。
「エヴァン?」
エヴァン・アグローはルカに呼ばれて振り返った。その顔色は明らかに悪く、ルカは目を見開く。
眼鏡の奥の赤い瞳が、揺れていた。
「大丈夫?」
「う……う……うん」
エヴァンの態度はいつも煮えきらない。怯えた様子で、目線をそらし、縮こまって教室の片隅で息を圧し殺すようにしている人物だ。
エヴァンは青白い表情のまま、唇を震わせた。
「ああ、違う、違うんだ。飛ぶのが怖いんじゃないんだ」
「うん?」
続きを聞こうと、耳を傾けた。
そばにいたロイルも駆け寄り、エヴァンの様子を気にして声をかけてくる。
「どうしたんだ?」
名前が出てきたことに驚いたのか、エヴァンは大きく振り返り、ずり落ちた眼鏡を慌てて押し上げた。
ロイルの問いに、エヴァンは手をぶんぶんと振る。
「大したことじゃないんだ」
「だったら言ってみろよ」
ロイルが軽く問い詰めると、エヴァンは白いシャツの襟を指先で摩った。
「実は、レポートを……先輩に取られてしまって」
「え?!」
「は??」
エヴァンの告白に、ロイルとルカは声を上げる。
すると周囲の目線が3人に集まり、エヴァンが背を縮こませる。
ロイルとルカは慌てて口を手で押さえた。
「……先輩って?」
「同室の四年生……」
マレアストラ寮に所属するエヴァン。
同室の先輩と言われても、寮が違うため、ロイルもルカもピンと来ない。
ただし、同室の四年生と言われて、ルカはノクスの顔を思い浮かべた。
ここ数日、ノクスはレポートと睨み合っている。
「なんか、四年生は大事なレポート提出があるんだよね?」
「そう……、進路に関わるらしくて」
エヴァンの肩が震える。
背を丸め縮こまるエヴァンの背中を、ルカは摩った。
「先生に相談しようよ」
「む……無理。だって先輩、黒シャツだよ」
黒シャツ――、階級を服装で揶揄する学生特有のスラング。
基本、学院内で王族や貴族が、階級を強く示す事は禁じられている。だが、階級の圧は見えない壁のように存在していた。
ルカのそばにいる貴族出身と言えば、アルヴェやロイルにあたる。
だが、その二人はルカに対して貴族ということを鼻に掛ける事はない。
ロイルが眉を寄せる。
「それでも、自分の物であることは示すべきだが」
最もらしい意見。だが、それはロイルが貴族だから言える部分がある事を、ルカは感じていた。
実際、ロイルがどんなに正論を言おうとも、エヴァンは実行できないだろう。
ノクスのように、実力と性格で相手を黙らせるなら別だが。
「先輩……、最初は優しかったんだ」
エヴァンのレポート内容はとても地味で、太陽の光と、月の光、それぞれに照らされた水を使い薬草を育てた時の違いをまとめていたらしい。
先輩は、最初は優しく手伝ってくれていたのだが、そのうち手伝った自分がレポートを提出するべきだと主張し始めた。
「手伝ったなら内容も把握してる。確かに自分のモノだと言い張られたら押し通るかもしれないな」
ロイルの言葉に、エヴァンはいよいよ泣き出しそうになる。
ルカは慌てて、ロイルの口を塞いだ。
「もうっ、言い過ぎ!」
ロイルはしまったと顔を顰め、エヴァンに頭を下げた。
「すまない」
「ううん、先輩がレポートを提出する前に、もう一度交渉するよ」
「エヴァン……、大丈夫?」
「ルカ、ありがとう。大丈夫——」
だが、エヴァンが言葉を紡ごうとした瞬間、セリウスの冷たい視線が刺さった。
「そこ、私語の時間が長いようだが」
「はい……」
エヴァンは慌てて箒にまたがり地面を蹴った。
ぐらぐらと重心が揺れながら、エヴァンが空高く舞い上がる。
ルカもピシャリと背筋をただし、エヴァンを追いかけるように慌てて箒にまたがる。
(悪いことをしちゃったなあ)
少なくとも、もう少し先生の目を盗めるタイミングで声をかければ良かったと、内心反省する。
既にロイルも上空へ飛行し、腕に魔力を込めた。
後でフォローしようと決心したその時、セリウスがなにかを感じ取り、目線を遠くへ止める。
生徒たちはセリウスの態度に、首をかしげたが、その瞬間――校舎の方角で轟音が響いた。
「……っ」
視線がセリウスの向いていた方へと一斉に流れる。
三階の窓から、黄色い煙がもくもくと立ち上っている。
一瞬、ルカの頭にカイとアルヴェの顔が浮かんだが、それにしてはなにかが違う。
煙はたちまちピンクへと色を変え、紫、青、緑……今ここで、「楽しいことが起こっていますよ」と示しているようだった。
生徒たちは、校舎を見て、セリウスを見て、もう一度校舎を見る。
微動だにしなかったセリウスの目が鋭く細められ、誰かが「ヒィ」と悲鳴をあげた。
「……マルコ・ヴァンデル!」
低い怒号が青空に響く。
マルコ・ヴァンデル――研究好きの変人として有名な先生、その講義室から煙が上がっているとなると、ルカは納得する。
あれは、カイやアルヴェとは違う方向性の厄介事だ。
セリウスは指が白くなるほど強く、杖を握りしめる。
場の空気は完全に凍り、生徒たちは誰一人口を開かない。
「全員、このまま解散とする」
一言、短く言い放つセリウス。
強制的に中断された授業に、生徒たちはぽかんとしたままお互いを見合った。
そんな生徒たちを横目に、セリウスはローブを翻し、そのまま校舎へと飛び去った。
残された生徒たちは、ただ呆然とその背中を見送るしかできない。
「……はあ」
誰ともなく深く息を吐き出す。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、校舎に戻ったルカたちを待っていたのは、普段とは違う光景だった。




