2-1 夢現の世界へようこそ
早朝、珍しくカイが一番に起きた。
いつもなら、この部屋で一番の早起きはルカなのだが、今日は違う。
まだ太陽が昇らぬ時間、カイは瞼をこすりながら体を起こす。
そっとベッドのカーテンを開けて、部屋を見渡す。
しんと、静まり返った部屋に、カイの欠伸だけが響いた。
「アルヴェ、起きれるか?」
相方のベッドへ、そっと声をかける。他の二人を起こさないように、静かに。
アルヴェのカーテンに手をかければ、ひらりと開いた。流石に今日は魔術で動かないようにはしていないらしい。
「アルヴェ」
もう一度、声をかける。
「起きろー」
浅く閉じた目が微かに動いた。
カイは、アルヴェの肩に手を伸ばす。
少し揺らせば、細く長い指がカイの手首に絡んだ。
その白さに、どきりとする。
「…………分かってる。先に行ってて」
「遅刻するぞ?」
「ん……」
アルヴェはやんわりと目を開ける。
だが、まだ体を起こすまではいかないようだ。
カイは肩を落とし、自分の準備へ取り掛かる。
アルヴェのことだ。時間ギリギリには来るだろう。
内心、まだ温かいベッドで眠るアルヴェを羨ましく思う。
カイは一足先に、いつもの制服よりも動きやすい服へと袖を通した。
魔術演習場には、既に教師のセリウスと、数人の生徒が集まっていた。
頬を撫でる空気はまだ冷たく、窓から入る陽の光は薄暗い。
人が集まり始めたからか、天井のライトがジワリと灯る。
カイは改めて、演習場を見渡した。
カイとアルヴェが専攻している授業に、戦闘魔術がある。
『怪我をしない為の授業』とは一つ違う、本格的な授業。
真剣に取り組む生徒ばかりで、みな一様に準備運動をしたり、模擬戦の剣を確認していた。
「今日は木製の剣を使う」
セリウスはカイに剣を渡す。切れ長の目が、ギラリと光った。
「くれぐれも、悪戯は控えるように」
「先生、もうしないって」
前にした悪戯の指摘。ほんの少し、仕込みをして木製の剣をオモチャのようにしたことがあるのだ。
ゴムみたく柔らかい剣は、叩けば弾み、痛くはない。
怪我はしない。怪我はしないが、授業の意味がないと盛大に怒られた。
なによりセリウスの頭を悩ませたのは、そんな剣でも良い戦いをする者が数名――、その中にアルヴェとカイがいた事だ。
特にカイの運動神経は抜群で、スピードや威力を見ても申し分ない。
「道具の使い易さで、どうせ左右されないし」
カイの軽口に、セリウスは黙る。カイの実力ならば、まったくもってその通りだ。
だが、カイにはいつも困らせられている。
セリウスは目を細めた。
「ふむ。ならば、ルシアンの相手を頼もうか」
「うげっ」
セリウスの口が弧を描く。
この授業で、当たると嫌がられる人物は主に2人。
ルシアンと、アシュラド。2人の共通点は、成績上位者で寮長――、そして一国の王子なのだ。
「めんどくせぇ」
素直に口にする。朝から相手にするには骨がありすぎる相手だ。
対して、カイは戦闘のセンスはあるものの、習い始めたのは学院に入ってから。ルシアンのように幼少期から教育を受けてはいない。
そこには平民としての格差があった。
「とりあえず、来た生徒から始めよう」
セリウスはリストに目を通す。
長い指で概要の文字を撫で、口を開く。
「本日は一年生も参加する事から、身体強化の魔術のみ。木製の剣を使用。武器への魔術付与は禁止とする」
そして、横に立つカイをチラリと見て、皮肉たっぷりに言った。
「まずは、見本を見せてもらおうか。ルシアン、カイ――前へ」
遠巻きに見る生徒たちが、「自分が当たらなくて良かった」と、安堵の声を漏らす。
カイは、恨めしくそれらを睨むと、前に出た。
それに合わせ、ルシアンも前に出る。
向き合って立てば、ルシアンの凛とした姿勢に、周囲の空気が引き締まる。
ルシアンはカイの顔を見て、「ああ……」と、何かに気がついたようだ。
――何処かで見た顔だ、という程度の声色。
(なんだよ、アルヴェ以外、見てないってか)
常にアルヴェの隣にいるのは自分だ。なのに、この男の認識はその程度なのだと、自覚して毒吐く。
2人、構えれば、セリウスが手を挙げた。
「始めッ」
先に動いたのはカイの方――、強く足を踏み出し一気に相手との距離を詰める。
ヒュッと、踏み込んだ足に風が鳴った。
相手との身長差は、ほんの手のひら一つ分ほど、見上げる高さだ。
身を屈め、相手の懐に入り込む。
「もらったッ」
カイはニヤリと笑い、容赦なくルシアンの首筋を狙った。
剣と剣が当たり、カツンと高い音が響く。
――軽い。
剣先を弾かれ、咄嗟に身を引いた。
カイの耳元を鋭い一撃が通り抜ける。
ルシアンの足元を見れば、相手は一歩も動いていない。
カイの瞳孔が大きく開く。
「ヨユーかよ!」
「そうでもないけど」
先ほどよりさらに深く屈み、ルシアンに切り込む。
一歩も動かずに、終わらせられては面白くない。
ふくらはぎに全力で叩き込めば、すんでのところでルシアンが飛び退いた。
すかさずそれを追いかける。
間髪置かず、もう一発、ヒュッと音を鳴らし木剣が風を切り裂く。
かすらない、ならばもう一度!
「ッ……オラァ!」
カイの叩き込みに、ほんの少しルシアンの重心がズレた。
その隙を見逃さない。
体を流れる魔力を自分の足に集中させ、速度を上げる。
今度は、ルシアンの腹へ、渾身の一撃を真っ直ぐに叩き込む。
「ッ、は……!」
「クッ……」
ルシアンの眉が動いた。
ガツンと腹に一発――、のつもりがまた剣先がズラされる。
見れば、ルシアンの剣先が、カイの剣の柄に当てられている。
だが、横腹は掠った。
ギャラリーが静寂を切り、声が上がる。
だが、それを聞く余裕などカイにはない。
カイは歯を食い縛る。もう一発——、一点集中。
風を切り、剣を振り下ろす。
(届いたッ!)
体感にして、コンマ2秒——。
勝ちという言葉が、カイの脳裏をよぎる。
「な——?」
ルシアンを仕留めたはずの剣先が、空を切った。
その瞬間、カイの腹に衝撃が走る。
「がッ……!」
そのままカイは体勢が崩れ、床に倒れる。
ルシアンは静かにコツンと軽く、剣先でカイの頭を小突いた。
「そこまで」
シンとした空気をセリウスが切る。
ルシアンは、息を整えてから、一瞬……、目線を落とす。
フッと肩から力を抜き、カイに手を差し伸べた。
その手を見て、一瞬だけ迷いが生まれる。
「あー、クソッ」
カイは素直に悪態をついて、伸ばされた手を取った。
冒頭の模擬戦以外は、常時10組ほどが練習している。
時間は平均して5分ほど。
最初に見本として終わったカイは、暇そうに壁に寄りかかった。
「ふぁ~」
自然と欠伸が出る。
もう一戦してもよいが、ルシアンとの試合で疲れていた。
「やっほ~」
悪びれもせず、アルヴェが現れる。
どう見ても遅刻だったが、この人数なら目立たない。
カイは、アルヴェを見る。
「おせぇ」
「ベッドが離してくれなくって」
「お前が、ベッドを離せないの間違いだろ」
ツッコミを入れると、アルヴェは嬉しそうに笑った。
「カイは、もう終わり?」
「ん……」
持ったままの剣を、アルヴェに渡す。
「今日は、自身への強化魔法のみ。剣には何にもするなよって」
軽く説明すると、アルヴェは渡された剣をまじまじと見た。
「なぁ、俺……、ルシアン王子と戦ったんだけど」
ピクリとアルヴェの眉が動く。本当に少しだけ。
アルヴェは剣から目を離し、目の前で行われる模擬戦を見やる。
「ふうん」
どこか興味の無い返事。カイは注意深く、アルヴェの表情を見た。
「どっちが勝ったと思う?」
アルヴェは口元を服の袖で隠すと、目線だけカイによこす。
一瞬だけ、カイの目を見るが、すぐに目線を前に戻した。
「さぁ」
公の場では、アルヴェは常にルシアンの斜め後ろへ立っている。
仕事としての立ち位置。
今、カイの横にいるアルヴェとは違う表情。
主と友人が戦ったとして、どう思うのか知りたかったのだが、アルヴェは心の内を明かさない。
素っ気ない態度が面白くなくて、ちぇ、と軽く口を鳴らした。
「あ、そうだ」
カイはふと思い出す。
それからにやっと笑うと、アルヴェが眉をしかめた。
「お前、多分遅かったのばれてるぞ」
「えぇー、なんで」
「もう一人、面倒なのが残ってるから」
そこまで言うと、アルヴェはさらに眉間に皺を寄せる。
この模擬戦で、ルシアン以外に面倒な人物を示唆する。
セリウスは意図的に、その人物を残している。
そして、ちらちらとカイの様子を気にしていることから、推測する。
「朝から、カロリー高すぎでしょ」
アルヴェは、苦言を口にした。




