1ー13
誰も居ない教室にルカの教科書だけが残されている。
その教科書にはメモが挟まれており、ロイルの丁寧な文字で「エヴァンを寮の前まで送り届けてくる」と書かれていた。
「ロイ……、ありがとう」
ルカはメモの文字を撫でる。
エヴァンのレポートの件が教師に伝わったなら、きっと対処してくれるだろう。
この一件でノクスとの事も有耶無耶になった。
なんとなく意識していたが、ノクスの様子を見る限り気にしている方が馬鹿らしい。
一度目を瞑り、深呼吸。
「うん、大丈夫……」
またいつも通り、ノクスと接する事ができる。
ルカはぐっと拳を握る。
自分の気持ちに折り合いをつけ、振り向いたと同時に、教室のドアが開いた。
「えっ……」
教室の入り口に、人影があった。
男が1人。顔を歪めて立っている。
「エヴァンは何処だ」
「――ッ」
それはアルヴェと決闘をしていた男。エヴァンのレポートを盗んだ生徒だった。
「えっと……」
ルカは咄嗟にメモをポケットに仕舞う。
「おい、お前! 今何を隠した?」
男は目ざとく、ルカの行動を指摘する。
ギクリと、ルカは体が強張った。
「な……んでも、ないです」
男から、目をそらす。じりじりと教室の後ろのドアへ足を向けるが、男にそんな言い訳は通じない。
「何でも無いなら、見せてみろ!」
ズカズカとルカに詰め寄り、杖の先を向けられた。ルカは大きく息をのむ。
「ッ! 決闘以外で杖を人に向けるのは、校則違反ですよ」
「うるさい」
人の話を聞く気は無いらしい。ルカはぎゅっと教科書を抱きしめる。
これ以上刺激すれば、今度は杖ではなく魔術が向けられる。
「お前……、その目」
杖の先がすっとルカの顔に向けられる。
「精霊の目」
呟くように、男が言う。
一呼吸置いた瞬間、男は問答無用で杖を振り下ろした。
「絡め!」
ギシっと床が軋む音がした。
ルカは弾けるように、ドアへ走り出す。
「ッッ!」
しかし、ルカの体が思うように動かず、ガタンと大きな音をたて、椅子に倒れ込んでしまった。
足下を見れば、床板の隙間から細い蔓が伸び、ルカの足を床へと縫い付けている。
「クソッ! この程度か」
自分の放った魔法を見て、男が唾を飛ばす。
倒れたルカにのしかかり、金色の眼球に杖の先を向けた。
「エヴァンも、アルヴェも、お前もいいよなあ。生まれつき持ってて、楽して生きて」
男の思考について行けず、言い返そうとしたが、これ以上相手の逆鱗に触れるわけにも行かない。
ルカは奥歯を噛み、口を結ぶ。息を止め、男をじっと睨んだ。
「あの研究だって、エヴァンが持っていても意味が無い。俺のほうが有効活用出来る。アルヴェへの賞賛だって、俺にこそ相応しい! お前の目だって、俺が持っていればもっといろんな事が出来る!」
「……ッそんな」
「俺が持っていないだけで、なんで苦労しなきゃならないんだ!」
男が吠えた。
杖を高く掲げ、ルカの目に突き刺そうと振り下ろす。
ヒュウっと杖が風を切る音が聞こえた。
反射的にルカは目を閉じ、叫んだ。
「光の精霊よ!」
瞬時にルカの目の前に、金色に輝く精霊が集まる。
光の泡が二人の間で膨らみパチパチと弾ける。
その精霊に男の杖が当たると、バチッと音を立てて杖がはじけ飛んだ。
「グアッ」
多分痛みとしては、たいした事は無い。ルカにそこまでの技量はない。
精霊への指示も曖昧な魔術は、それでもしっかりとルカを守る意思を見せる。
目の前で輝く精霊に気圧され、ルカの体にのしかかった男はじりじりと引き下がる。
「調子に乗るなよ」
ルカの足に絡む蔓にグッと力が入る。
細い蔓が足に食い込み、骨まで軋むような痛みが走る。
男の血走った目が、すぐそこにある。
ルカはその悪意を睨み返す。けれど、視界の端がわずかに揺れた。
それでも、逸らさない。
「そんなの、知らない」
震える喉から、声を振り絞る。
「はあ?」
「エヴァンの研究は、エヴァンが頑張った結果だ! アルヴェ先輩だって立場関係なくすごい人で、僕だって――」
言葉が詰まる。
喉の奥に、昔の記憶が引っかかった。
「……僕の目だって」
この学院に来てから、村に居た頃とは違う眼差しで見られる機会が増えた。
それは、期待に混じった嫉妬。それが怖くて、教室に行くのが嫌になった日もあった。
それでも、同室の先輩たちは常に自分の背中を押してくれた。
「嫉妬なんて勝手にしてろ! 僕の目は僕のモノだ! 僕の魔術は、僕だけにしかできない!」
「――! 誰がお前なんかに嫉妬するんだ! 思い上がるのもいい加減にしろ!」
男の顔が赤くなる。無様に床へ這いつくばるように杖を探し、見つけると、ニタリと笑った。
「目が無くなれば、精霊どもはお前なんて相手にしないだろうよ」
興奮で男の手は震えている。
攻撃手段を持ち合わせていないルカは、いよいよ駄目かと口を食いしばった。
「潰せ! 体を這いずり、掻き毟り、壊せ! 壊せ! 壊せ!」
男の声に合わせ、ミシミシと蔓が太さを増す。
――だが、男とルカの間に突然黒い何かが飛び込んできた。
「あぁ?」
気の抜けた男の声。
カツンと、何か堅いものがぶつかる音がした。見れば男の足下へ黒い石が転がっている。
男の意識は、自分の魔術から突如現れた石へと注がれる。
何の変哲もなさそうな、黒く鈍く光る石を、ルカは見覚えがあった。
「力を――解放せよ」
低く落ち着いた声が教室へ響く。
男の声でもルカの声でもない。
ただ、ふっと湧いた言葉にズシリと空気が重くなった。
「グェ」
ヒキガエルのような声を出し、男が床へ倒れる。グググっと目に見えない何かが、石を中心に湧き出ているのをルカは感じ取った。
「アーアー」
「何……?」
蔓は動きを止め、枯れていく。男はビクビクと痙攣しながら声を上げ助けを求めるように手を伸ばした。
「え? ――ッ」
だんだんと目に見えない何かがルカの上にのしかかる。腐敗臭のような重たい空気に、ルカは思わず口元を覆った。
「ルカ」
名前を呼ばれ、振り向けばノクスがルカの後ろへ立っていた。
「ノクス先輩?」
驚きに目を見開く。いつの間に、いつからここに居たのか。
驚くルカをよそ目にノクスは枯れた蔓を引きちぎると、ルカを担ぎ上げた。
「うわっ」
「とりあえず、教室の外にいくぞ」
「ちょっと待ってください」
制止する。だがノクスはかまわず、歩き出した。
それでも、ルカは質問を続ける。
「いつからいたんですか?」
「今、来たばかりだ」
「あの石ってノクス先輩のものですよね?」
ルカの記憶が確かなら、あれは以前触れるなと言われた石だ。
「ああ、だからルカはここに居ない方がいい」
説明も疎かに、ノクスは出口へ歩く。
教室を一歩出て、慎重にルカを下ろすと、まじまじと見つめてきた。
「怪我は?」
声は低いが、わずかに早い。
ルカは思わず、視界からノクスを外す。
しかし、ノクスの視線が痛いほどに刺さってくる。
触れられた手の温かさが、ジンジンと熱を孕んだ。
「ないです……」
足が痛むが歩けないほどでは無い。素直に伝えると、ノクスの眉間から皺が消えた。
「わかった」
確認だけ済ませると、再びノクスは教室へ入ろうとする。
ギョッとしてルカは慌ててノクスのローブを掴み、止めた。
「待って! 待ってください!」
「何?」
「あの人は?」
教室に残された男を指さす。男は力なく倒れたままだ。
魔術が放たれたにしては、ルカの視界で見る限り何も起きていない。ただ、不気味なほど空気が澱んでいる。
「酔っているだけ」
「酔っている?」
「ん、命に別状はない。あの黒い石は失敗作だ。本来、オドやマナを貯蓄するものは宝石でないと出来ないが、値が張る。そこでただの石に封じる研究をした副産物だ」
「オドやマナ……」
「授業で習っただろう」
ノクスの言葉をルカは咀嚼する。
オドは自分の中に宿る内部エネルギー、マナは自然界や精霊などの外部エネルギー。どちらも魔術の基本知識だ。
「はい。でも解放しただけで、ノクス先輩は何もしていないです」
「だから副産物、失敗作だと言った。ただの石に貯めると、ノイズが混ざる」
わずかにノクスは目を細める。
「ルカ、教室の中はお前からみたらどう見える?」
ノクスに言われ、改めて教室を除く。
樹海のような淀んだ空気がねっとりと石を中心に溜まっている。
「えっと、そうですね。泥のような重たい何かが床を這っている感じ? でも泥みたいというより霧のような……」
「ふむ、やはりオドに対しての感受性が高いな」
ノクスはルカの目をまじまじと見た。思わず目を逸らす。
「あのオドは瘴気や呪いに近い。純粋な力では無いんだ。ルカはオドの影響を受けやすい魔術師だから、俺よりも分かるだろう」
そこでルカはようやく合点がいった。
「あ――、触るなってそういうこと?」
自分の研究に触れるな、ではなく、失敗作の石に触れると体調不良を引き起こすから振れるなという忠告。
ルカは目を見開いて、ノクスの顔を見上げる。
「ん?」
だが、本人は言ったことを忘れているのか、ルカがピンときた理由を分かっていない。
そのままルカを置いて教室に入ると、石を回収し教室の窓を開け始めた。
「先生が直にくる」
窓をあければ、解放した魔力が風に洗われ、薄くなっていく。
ノクスの言葉を聞いて、ルカは体から力が抜け落ち、その場に座り込んだ。
「ルカ――」
ノクスが、珍しく声を強めた。
ノクスの指先が、冷え切ったルカの手を包む。握ったまま、力を緩めない。
そこでルカは、自分の体が小刻みに震えていることに気がついた。




