1ー11
授業が終わり、先生が教室から出ていく。ピシャリとドアが閉まった瞬間、生徒たちは肩から力を抜いた。教室は雑談で賑わう。
ルカは教科書をまとめ、時計を見やる。
今日の授業は終わり。夕飯までの時間をどう過ごすか、考える。
(部屋に戻るのはちょっと……)
あれからノクスとまともに話せていない。
軽いお礼で終わった会話は、ルカの心に引っかかりを残していた。
周囲の人たちを探ってみたが、子供になった時の記憶が残っているかは人それぞれのようだ。
ノクスに記憶が残っているかは分からない。
聞いてみたい気持ちはあるものの、真実を知るのが怖い自分がいる。
覚えていなければいいな……と心の奥底で呟く。
瞼を閉じて、深く息を吐いた。
(もし覚えてたら恥ずかし過ぎるよ)
子供のノクスは素直に何でも喋るから、ルカもつられて色々と話してしまった。
1人で悶絶していると、「あの……」と控えめの声が背中から聞こえる。
「えっ?」
慌てて振り向くと、メガネをかけた少年エヴァンがおずおずと様子を伺っている。
百面相をしていたところを見られたかもしれない。ドキリと心臓がはねた。
ルカは頭をかいたあと、笑って誤魔化す。
「エヴァン! 同じ授業だったんだね」
「うん……」
エヴァンは少し視線を下げる。暗緑色の髪がぱさりと下り、エヴァンの目線が切れる。
微かに見える赤い目は、オドオドと泳いでいる。
よくよく見れば、白いワイシャツの襟元には皺がついている。誰かに掴まれた跡――。
ルカは、はっとした。
「エヴァン?」
「ご……ごめん、先輩に昨日の件、バレて……」
「昨日?」
「レポートの件、君たちに話した事……」
記憶を探ってすぐに思い出す。
確かにエヴァンのレポートが上級生に盗まれた話を食堂で聞いた。
だが、なぜ謝るのかルカには見当がつかない。
首を傾げると、エヴァンの肩が震えている。
「昼休み……に、先輩が、怒ってて……、レポートが差し替えられたと言うか……。先輩の日記が混ざってたらしくて……、僕のレポートだってバレたらしくて」
しどろもどろに言葉を口にする。歯切れの悪さから、エヴァンが怯えているのが分かった。
ふと、ルカは2人の先輩の顔が浮かぶ。何か企んでいる様子だった。
(つまり、別の寮と先生の部屋に忍び込んだって事?)
ひやっと背中に汗が流れる。バレれば謹慎を言われてもおかしくない。
ルカは下手な事は言えずに笑顔のまま固まってしまう。
エヴァンはルカの様子に気が付かずに話を続ける。
「先輩はすごく怒ってて、多分……、」
言い淀んだその時、別の授業を受けていたはずのロイルが慌ててやって来た。
「ルカ! 中庭で、カイ先輩たちが絡まれてるぞ」
咄嗟に立ち上がる。エヴァンを見れば可哀想なほどに青ざめていた。
「エヴァン、僕ちょっと行ってくる!」
ルカはロイルの横を擦り抜け、中庭へと走り出した。
中庭には既にギャラリーが集まっている。小柄なルカから同室の先輩たちの姿は見えない。
人混みを掻き分け、前に出ようとしたその時――突然大きな手がルカを阻んだ。
顔を上げれば、ノクスと目が合う。
「ノクス先輩!」
「ルカ、ストップ」
ノクスはルカを何かから隠すように立ちはだかると、しーっと口に指を当てた。
「ノクス先輩、カイ先輩とアルヴェ先輩が……」
「落ち着け、あの2人なら大丈夫だ」
落ち着いたノクスの声に、ルカは呼吸を整える。
反論しようとしたが、ノクスの目を見て、口をつぐむ。
ノクスに言われてしまうと、無理に前へ出られない。
ノクスは目線をルカから、中央へ流す。つられて見れば、見知った姿がそこにはあった。
カイ、そしてアルヴェは1人の男と対峙する。
制服を見る限り、エヴァンと同じ寮の上級生だ。彼が言っていた先輩で間違いないだろう。
「私の名誉をかけて決闘しろ!」
興奮した男が怒号を飛ばす。
飛ばした先に居る2人の態度は冷ややかだ。
「私のレポートに、私の日記が挟まれていた!」
「なんで、それが俺たちのせいだっていうんだよ。自分で間違えたんじゃねえの?」
「私と同じ部屋の二年生に聞いたんだよ! エヴァンに! お前らにレポートのことを話したって」
カイは「ふぅん」と含んだ態度をとる。
アルヴェは楽しげに口を開いた。
「ああ、つまり問い詰めたんですね。レポートに挟まれた日記――、それに後輩のレポートの手伝いをしたって書いてあったから。焦ったんだ、先生にレポートを盗んだ事がバレて」
パンっと手を合わせ、花でも咲きそうな勢いでアルヴェが語る。
男はワナワナと肩を震わせた。
「で、名誉をかけてとおっしゃいますが、何処に何の名誉が?」
アルヴェは相手の足元から頭の先まで、露骨に値踏みするように見て、鼻で笑う。
挑発的な態度に、男は杖を取り出し2人に向ける。
一段、空気が下がる。
「本気で決闘する気かよ」
カイは呆れた様子で、チラリとアルヴェを見た。それから、少し考える仕草をし、手を挙げる。
「いいぜ、俺が相手に――」
「違う! その隣の! 女顔!」
男は杖でアルヴェを指さす。アルヴェはキョトンと首をかしげ戯けてみせた。
「誰に喧嘩を売ってんのか、わかってんのかよ」
悪態をつくカイに、男は嘲笑う。ピッと指で自分のシャツの襟を引く――その色は黒。
「あーあ、つまりお貴族様同士でやりたい訳ね」
カイは面白くないと口を尖らせた。
カイの冷めた態度とは対照的に、ギャラリーが騒めく。
「分かってるとも。メルトリアの家系だろ。ヴァルグレイドの腰巾着! 王家に仕える無能の寄生虫! 平民の後ろじゃないと悪態もつけないのか?」
ピクリとアルヴェの眉がわずかに動いた。
そのまま一歩、ゆったりとカイより前に出る。カイは目を細め、諦めたのか大人しく身を引いた。
目の前のやり取りに、ルカは大きく息を呑む。緊張から喉が渇き、無意識にノクスのローブをギュッと掴んだ。
「アルヴェ先輩」
不安で睫毛を震わせる。ノクスはゆっくりとルカの背中を叩いて自分へと引き寄せた。
基本的に学園は実力主義で、出身を問わない。しかし貴族同士で決闘があれば遺恨が全くないという訳ではない。今回のように騒ぎを起こせば、確実に遺恨が残る。
余程綺麗に勝たなければ、アルヴェの家名に傷がつく。そんな事くらいは、貴族社会に疎いルカにも分かった。
「いいよ」
男の要求をアルヴェは拒まない。アルヴェの笑みが深くなる。
決闘となれば前に出るのはカイの役目なのだが、ご指名とあれば仕方が無い。
カイは小声で「しらねえぞ」とつぶやいた。
アルヴェは懐から杖を取り出す。気怠げに一度、指先で回し――杖をゆらりと構えた。
「フン、私が勝ったら靴にキスしろ」
「じゃあ、俺が勝ったら地面にキスしてもらおうかな」
暗にお前の忠誠なんて要らないよ、とアルヴェは言う。
その意図を読み取ってギリギリと男は歯を食い縛る。男はあたりを見渡し、野次馬から一人を指名する。
「そこの、三年生、決闘の審判をしろ」
指名された少年は、面白そうに前に出た。
ここに居る野次馬のほとんどが、この状況を楽しんでいる。
審判を任された少年は、ピッと指を上げる。
「じゃあ、互いに向き合って――、始め!」
腕が振り下ろされたと同時に、両者が動いた。
男の口が動き、杖の先を地面に向ける。
ボコリ……と、地面が波打つ。
アルヴェの目線が、わずかに足元をなぞる。
「だから、中庭でわざわざ声をかけてきた訳ね」
――瞬間、地面を割って無数の蔓がアルヴェに襲いかかる。
鞭のように波打つ動きで土埃が立ち、視界が悪くなった。
蔓が跳ね、石畳を砕く。
それでも、アルヴェの目線はあくまで男に向けられたまま、後ろに身を引いた。
「魔術師なら、仕込みは大事だろ!」
男が叫ぶ。アルヴェも前もって仕掛けるなら、準備は怠らない。魔術師の基本だ。
だが、男とアルヴェの違いはそこにあった。
男は決闘を前提にアルヴェに声をかけたが、アルヴェは違う。まさか挑まれるなどと思っていなかっただろう。
魔術師にとって事前準備の差はとても大きい。
誰がどう見ても、不利な状況だ。
アルヴェは足首をかすめた蔓を跳ねるようにかわし、足元に転がっていた箒を蹴り手に持つ。
その箒は飛行用のものではない、誰かが掃除をするために残していた物。
落ち葉の絡んだそれを使い、アルヴェは空へ舞った。
「逃げるな!」
「逃げない、逃げない。さーて、どうしようかな」
飛行用ではない箒の安定感は悪い。スピードもそこそこ。だが、アルヴェには十分だ。
蔓が届かない高さまで上ると、ポケットを探り、ビー玉を取り出す。
「これで、いいか」
上空から、狙いを計り、指先で弾いた。
小さなビー玉は、男の視力では捉えきれず視界から消える。
それでもアルヴェが何かを仕掛けてきたことを察し、男は蔓で防御壁を作る。
――が、小さなそれは蔓の間をすり抜け、男の真上ではじけた。
「――――!」
至近距離でのファンファーレ、舞い散る紙吹雪。垂れ幕が男の視界を遮る。
男の真上で、ビー玉に扮したくす玉が弾けたのだ。
あまりの音に男はとっさに耳を押さえたが、脳に響いてぐらりとめまいがした。
楽しげな悪戯のはずなのに、結果だけは容赦がない。
「ウグッ」
集中力が切れて蔓の動きが、わずかに鈍る。
(――今だ)
緩んだ蔓の隙間が大きくなったのを、アルヴェは見逃さなかった。
――落下。
一拍の呼吸をおいて、音も無く男の懐に入り込む。
男の目にアルヴェの笑顔が映る。が、男の両手は耳を塞いだまま。
アルヴェは遠慮もなしに、箒の柄で的確に頭を殴った。
ドサリと男はそのまま地面に倒れる。あっけない最後。
間抜けな男を見下ろし、アルヴェはくすりと笑った。
「先輩、もう地面にキスしてくれるなんて気が早いですねぇ」
ぽいっと箒を捨て、踵を返す。
しんっと場に静寂が訪れた。
地面を這っていた蔓が、遅れて力を失った。
瞬間、ギャラリーから大きな歓声が沸き起こった。
「ッッ! 勝負あり!」
審判役が慌ててコールをする。
カイがアルヴェに駆け寄ると、アルヴェはへにゃりと表情を崩した。
「先生の誕生日祝いのくす玉。予備があって助かったぁ」
はらはらと紙吹雪は淡く光の泡になり消えていく。
残されたのはボコボコの地面と、蔓、そして横たわる男。
カイはそれをみて、ため息をつく。
「だから、俺との決闘にしておけば良かったのに」
綺麗に勝ちすぎだと釘を刺す。
アルヴェは気にしたそぶりも見せず、「褒めて」と一言つぶやいた。
カイはアルヴェの頭に手を伸ばす。
まるで飼い猫にするかのように、優しく髪をすくと、アルヴェの頬がほんのりと色づいた気がした
ギャラリーに紛れ、見守っていたルカは息をのむ。
目の前で起きた事を飲み込もうとしたが、理解が追いつかない。
「アルヴェ先輩?」
「……、ルカは初めてみるのか。アルヴェは喧嘩が強いよ」
ノクスの説明に、ルカは顔を見上げた。
普段の口調や、あの顔からは想像が出来ない。悪戯好きだと理解していたが、好戦的だと思っていなかった。
ふっと肩から力が抜けた。
いつの間にかノクスの服を握っていたらしい。慌てて放すと、そこは皺が寄ってしまっている。
「あ……、ごめんなさい」
「ん?」
「皺になっちゃった」
「別にいいよ」
ノクスは本当に気にしていないのか自然な動作で、ルカの手を握った。
思わずルカの息が止まる。
さっきまでアルヴェの心配で気にしていなかったが、ノクスとの距離が近い。
その距離に昨日のノクスを思い出す。
だが、小さな手とは違う――、大きな男の手。
ルカは戸惑い、じりじりと半歩下がる。ノクスは眉を下げ仕方なしに手を放した。
距離をとりたいが、このまま立ち去るのも気まずくて、ルカはノクスからアルヴェへと目線を移した。
騒ぎの中心では、男は早々に目を覚ましたのか、ぐらつきながら体を起こす。
「くっそぉぉぉ!」
ゆらゆらと体が大きく揺れながら、アルヴェへ近づく。
アルヴェは男を見据えて動かない。
男はぎゅっと拳を握り、アルヴェの顔面を殴った。
「おっ、おい」
動揺したのはカイのほうだ。どう見てもよけられた拳を、アルヴェは受け入れた。
乾いた音が響く。
――アルヴェはゆっくりと顔を戻し、男を見る。
「それで、矜持は保たれた?」
一言、冷たく言い放つ。そこに感情は乗っていない。
男はそれでも気が収まらないのか、もう一発殴ろうとした。その時、その腕を別の人物が掴む。
「ヒッ」
腕を掴んだ人物を見て、男は短く悲鳴を上げた。
白銀の髪、ルシアン・ヴァルグレイドが温度の無い目で男を見る。
場の空気が、一段沈んだ。
野次馬すら静まりかえり、誰も音を立てられない。
「殿下……」
突然の登場にアルヴェは表情を失う。
カイも同様に口を一文字に結んだ。
「決闘は終わったようだが」
「あっあっ……」
男は膝から崩れ落ちる。蒼白な表情のまま固まり、地面にうつ伏せた。
「…………」
「アルヴェ」
ルシアンの呼びかけに、アルヴェは目を閉じる。ふっと息を吐いて、ゆっくりルシアンを見て笑顔を作る。
その表情は先ほどまでの笑顔とは違う。綺麗で、完璧な、作られた笑顔。
「はい」
「この騒ぎは?」
「すみません。勝ちすぎたようで」
平坦で感情のない声に、ルシアンがため息をつく。
「そうか」
ルシアンは、短く言葉を飲んだ。




