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18❀ お湯が冷める前に

 ❀


画面の右上に「終了」の文字が表示された。

午前の分は、これで終わりだった。私はそっとパソコンを閉じる。

 

肩を回して軽く伸びをすると、視線の先で朱里がこちらを見ていた。いつの間にか読みかけていた本を胸に抱えたまま、ゆるく枕に身体を預けている。


「おつかれさま」

 

朱里は小さく笑いながら言った。ほんのわずかに身体を起こし、ベッドに腰かけ、足をぶらぶらと揺らす。


「ありがとう。……午前は思ったより早く終わったな」

「えらいえらい」

 

軽い調子でそう言う朱里の声が、少し心地よかった。部屋の中には、朝よりも柔らかな陽射しが差し込んできている。窓の外では、雨もすっかり止んでいたようだった。


私はふと時計を見上げた。もうすぐ正午になろうとしていた。


「ねえ――」朱里が、少しだけ前屈みになってこちらを覗き込む。

「お昼、一緒に食べよ? 今日も用意してきたんだ」

 

そう言って、勉強机の脇に置かれたままの、膨らんだコンビニの袋を指差した。


「……ほんと、用意がいいよね」

 

思わず苦笑しながらも、内心は少しだけ嬉しかった。朱里がここに来るようになってから、こうやって昼を一緒に食べるのも、すっかり日常になっている。


「今日はね、たまごサンド、買ってきたよ。好き?」

「……私のぶんまで買ってこなくていいのに」

「だって久乃ちゃんのこと考えながら選ぶの、楽しいんだもん!」

 

朱里は小さく笑いながら、袋の中からサンドイッチを取り出した。自分用には、いつものようにカップのトマトスープとプロテインヨーグルト。無理をしない量が、もう朱里の習慣になっている。

長く体を絞ってきたせいで、たくさんは食べられなくなっているのだろう。こうして一緒に食べてくれることは嬉しかったけれど、その食事の少なさに、苦しくなる。

 

私は、努力もしないのに、きれいになりたいだなんて思ってる。なんて図々しいんだろう。

 

ふと、朱里のひんやりとした手の感触を思い出した。食べないと、身体は少しずつ冷たくなっていく。中学生の頃、自分が太ってる気がして、一生懸命ご飯を抜いていた。その頃の私は、いつも寒がりだった。

 

朱里はいつからそんなに冷たくなってしまったんだろう。もっとこの子温かくしてあげたい。なんとなく、そう思ってしまう。お腹の底から温かい、そんな幸せの温度があればと思う。

 不思議だった。そんなもの、私も知らないというのに。


「分けっこしよ。私も朱里のやつ食べたいし」

「え、いいの? 嬉しい~!」

 

朱里はぱっと目を輝かせた。


「じゃ、下行く?」

「うん!」

 

元気な返事に押されるように私は立ち上がり、朱里と並んで階段を降りる。

柔らかな足音が二人分、木の床に重なった。


窓の多いダイニングに、たっぷりと光が差し込んでいた。 

白を基調にした空間は、部屋を広く見せたが、よく見ると散らかっている。

 

広めのダイニングテーブルの上には、朝持ってきた郵便物や、母の仕事道具、私と母の二人で購読している読みかけの雑誌が山となっていた。真ん中には、茶渋のついたマグカップも放置されている。

 

以前は、朱里が来るたびに慌てて片付けていた。

きれいな家を見せたくて、散らかった書類を隠し、ソファのクッションを整え、キッチンの上の洗い物を移動させたりしていた。

けれど、最近はもう何もしていない。

 

――朱里は、昔からこの家の空気を知っているのだ。隠そうとしたって意味がない。そう思ったら、だんだんと自然に任せるようになっていった。


「久乃ちゃんの家、やっぱり落ち着くなぁ」

 

朱里はふわりとソファに腰を下ろす。


「お湯、借りてもいい?」

「いいよ、さっきお湯沸かしたから使って」

「わー、さすが久乃ちゃん!」

 

朱里はキッチンのケトルが沸いた合図を待って、慎重にカップスープにお湯を注ぐ。

ふわりと立ち上がる湯気とともに、あたたかなトマトの香りが部屋に広がる。

ほんのりとした酸味と甘さが混ざり合い、鼻先をくすぐるようだった。


「あったかい。こういうの、やっぱり落ち着くねえ」

「今日結構寒いもんね」

 

私は冷蔵庫からママが用意してくれた作り置きのおかずを取り出す。煮物と卵焼きと胡麻和え。

お昼用にと一人分用意されたものだったけれど、当然のように二人分で分け合うことになっていた。


「昨日の残りだけど……これも一緒に食べよ」

「わーい! ありがとう、久乃ちゃん!」

 

朱里は小鉢を受け取ると、スープと並べて手を合わせた。


「いただきます」

「いただきます!」

 

二人でサンドイッチの包装を剥がし、どちらからともなく自然に半分ずつ交換していく。

行き交う味に、静かな昼食の時間がわずかに彩られていった。

 

こうして並んで食べることも、すっかり馴染んでしまった。

少し前まで、誰かと食卓を囲むなんて、想像もできなかったのに。

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