表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/22

17❀ ずっとここで

 ❀


「ねえねえ。今日は何時から授業なの?」

 

自宅学習の仕組みをよく分かっていないまま、いつもそんな風に尋ねてくる。


「今日は九時から。……英語と数学だけ」

 

私は手元の学習計画表を確認しながら答えた。授業には出られない代わりに、課題や小テストを学校に提出している。週に何度かは、担任や教科の先生とオンラインで面談し、進み具合を報告する決まりになっていた。

 

医師の診断書を提出して、自宅学習の特別措置を受けているおかげで、今は一応「在籍扱い」を維持できている。私立の学校だからこそ、こうした柔軟な配慮を受けられているのだ。

けれど、出席日数や単位の不足が帳消しになるわけではない。このまま続けば、卒業できなくなる可能性だってある。だから母とも相談して、念のため高認試験の準備も進めていた。


「ふーん。やっぱ大変なんだね」

 

朱里はベッドに腰を下ろすと、そこに積まれていた私のテキストや参考書を手に取った。パラパラとページをめくりながら、興味深げに覗き込む。


「すごいね、これ。全然わかんないや。こんなのやってるんだ?」

「うん……。まあ、高認用だから、受験の基礎みたいな感じだけど。これ取っとけば、もし中退になっても大学受験は受けられるし」

 

そう説明しながら、私はパソコンを立ち上げた。授業は録画されたものだから決まった時間はないけれど、だいたい朝のうちに進めるようにしている。毎週の課題提出やオンライン面談で進度を管理されているから、サボるわけにもいかない。

 

毎朝のルーティンのようになっていたが、仮の生活を送っているという感覚は抜けないでいた。


「そっか。えらいね、久乃ちゃんは」

 

朱里は慈しむような柔らかさで言った。そのままベッドの上にうつぶせになって、頬杖をついて見上げてくる。広がった長い黒髪が散らばって、彼女の細い身体をすっかりと覆った。

私が画面に目を向けると、朱里の視線が頬に刺さる。


朱里は、私が勉強している姿を見るのが好きだ。好き――というより、どこか憧れるように、焦がれるように、じっと見つめてくるのだった。

 

最近はいつもこうだった。家に入り浸るようになってから、一種のルーティンのようになっている。

課題を始めると、三十分ほど、朱里は黙ったまま、ただこちらを見つめるのだ。何を考えているのかは分からない。特に邪魔するわけでもなく、いや、見つめられているのは気が散るのでやめてほしいのだが、それでもただ静かにそこにいた。

 

海外に行ってからの彼女のことは、あまり知らない。否応なく入ってきてしまう情報はあったけれど、私はできるだけアイドルの彼女の生活は探らないようにしていた。

 

私の知らないところで、彼女がどんな生活をしていて、誰と過ごしているのか。それを見るのが、さみしくて、嫌だった。

 

朱里は、あれから学校に通っていたんだろうか。

私は少しだけ迷いながら口を開いた。


「ねえ、朱里は……大学に行くとか、考えたりはしないの?」

 

朱里は私のノートをぼんやりと眺めていた視線を、一瞬だけ伏せた。


「……ううん。わたしにはもう、そういうの関係ないから」

 

その言葉に、私は何となく言葉を継げなくなった。きっと、余計なことを聞いたんだろう。少し息を飲んで、私は画面に目を戻す。

 

やがて朱里は、いつものように本棚の前に移動した。朱里は本棚の前でしばらく迷い、背伸びをして上段の一冊を手に取る。そのままベッドに戻ると、枕を軽く整え、背を預けて読み始めた。

 

最近は、だいたいこうだ。

私が授業を受ける横で、朱里は本を読んで過ごす。静かで、奇妙に親密な時間が、当たり前のように繰り返されている。


「幸せだなあ。ここは楽園みたい」

 

朱里はそう言いながら、本を閉じて、胸の上で愛おしそうに本を抱きしめた。


「ずっとこうしていたいな」

「してるじゃない」

「ううん――ほんとにずっと、ってこと」

 

朱里はやわらかく笑って、また本を開いた。私は何も言えないまましばらく朱里を見ていたが、再び画面へと目を戻した。

 

何か言ってしまうと、この時間が壊れてしまう気がした。

部屋の中にはまた、ページをめくる音だけが続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ