第九十九話……覇者の決断
後世の歴史書は、この時期のユリウスについて、統治者としての冷徹な一面が初めて明確に現れたと記している。
早期に帰順しない者に対し、彼は寛容な条件をいつまでも提示し続けたわけではない。
表では圧倒的な軍事力を示して降伏を迫り、裏では防衛側の将官、官僚、貴族、商人たちへ密使を送り込む。
金銭、地位、赦免、領地の安堵を餌に、敵の中枢を一人ずつ切り崩していった。
それは、若き貴公子の中に眠っていた覇者としての素質が、芽を出し始めた瞬間であったのかもしれない。
◇◇◇◇◇
「皆様方。もはや、この星を守り抜く手立てはないのだ」
惑星クラウゼンの公都にある総司令部。
ハルダー元帥は、居並ぶ貴族や政府高官たちを前に、疲れ切った声で告げた。
「敵艦隊は衛星軌道を制圧しつつある。地上戦へ持ち込めば、公都に住む四千五百万の民が戦火に巻き込まれることになる」
しかし、クラウゼンの権益を握る者たちは、ハルダーの意見に従おうとはしなかった。
「防衛指揮官がそのように弱気だから、敵に侮られるのです」
「徹底抗戦を呼びかけ、アストレア家から譲歩を引き出すべきだ」
「そうだ。無条件降伏など、断じて受け入れられぬ!」
彼らとて、クラウゼンが廃墟になることを望んでいるわけではない。
口では、民の暮らしを守るためだと唱えている。
だが、本当に恐れているのは、自らが長年築き上げてきた領地、工場、商会、金融権益が灰になることであった。
その本音を口にする者は、誰一人としていなかった。
「元帥閣下」
初老の参謀が、会議場の空気をまとめるように口を開いた。
「もうしばらく、敵に対して強硬な態度を示してはいかがでしょう。こちらが容易には屈しないと分かれば、アストレア侯爵も条件を緩めるかもしれません」
「いや、それは危険だ」
ハルダーは首を横に振った。
「敵にはカタコン配下の歴戦の陸戦隊がいる。それに比べ、我が惑星地上軍は実戦をほとんど経験しておらぬ。士気も経験も、敵に劣っているのだぞ」
「また弱気なことを!」
「そのような態度だから敵になめられるのだ!」
怒号が飛び交う。
その時だった。
会議場の扉が、外側から爆破された。
「動くな!」
銃器を構えた武装兵たちが、怒号と共になだれ込んでくる。
「な、何をする!」
「狼藉者だ! 警備部隊を呼べ!」
貴族の一人が叫ぶより早く、武装兵の銃口が火を噴いた。
高官の護衛たちも応射する。
ほどなくして総司令部の警備隊が駆けつけ、会議場は銃火の飛び交う戦場と化した。
長机が吹き飛び、壁面の装飾が砕ける。
血と硝煙が室内に渦巻き、つい先ほどまで降伏条件を論じていた貴族たちは、床を這って逃げ惑った。
◇◇◇◇◇
「……うん?」
約束の時刻となり、ユリウスの前にある会談用モニターが自動的に起動した。
だが、画面に映ったのは、整然とした交渉団ではなかった。
背後で銃声が響き、煙が漂っている。
その中央に立つハルダー元帥も、額から血を流し、軍服を赤く染めていた。
「醜態をお見せして、申し訳ない」
ハルダーは苦しそうに息を吐いた。
「今しばらく、時間をいただきたい」
「元帥殿、何が起きているのだ?」
ユリウスが問いかけた時には、通信はすでに切れていた。
司令室に、短い沈黙が落ちる。
「殿下」
参謀の一人が進み出た。
「今こそ好機です。敵中枢の混乱に乗じ、ただちに地上軍を送り込むべきかと存じます」
「しかし、交渉中だ」
「敵側は、交渉をまとめられる状態にありません」
参謀は一歩も引かなかった。
「こうしている間にも、惑星アクアではカスパル一派が防備を固めています。クラウゼン攻略が遅れれば遅れるほど、今後の戦いで我が軍の損害は増えましょう」
ユリウスは黙り込んだ。
以前の彼ならば、この進言を即座に退けていただろう。
交渉相手の内紛につけ込むなど、卑怯ではないか。
ハルダーが態勢を整えるまで待つべきではないか。
だが、今のユリウスは知っていた。
敵が立ち直る時間を与えた結果、死ぬのは自分ではない。
戦場へ送られる兵士であり、砲火にさらされる市民である。
惑星アクアでは、すでに要塞化が進んでいるとの報告も入っていた。
クラウゼンで時間を浪費すれば、その代償は別の戦場で何倍にもなって返ってくる。
ユリウスは口を真一文字に結び、やがて顔を上げた。
「各分艦隊へ連絡」
司令室の空気が一変した。
「強襲揚陸艦を降下させ、敵の主要基地、宇宙港、通信施設を占領せよ。橋頭堡を確保し次第、輸送船団より惑星地上軍本隊を投入する」
「はっ!」
「市街地への無差別攻撃は禁ずる。抵抗を停止した部隊には降伏を認めよ。だが、作戦行動を妨害を行う者には、容赦するな」
「承知いたしました!」
命令一下、艦隊前方に展開していた十六隻の強襲揚陸艦が、惑星クラウゼンへ向けて降下を開始した。
いずれも艦首と腹部に分厚い重装甲を施した、降下戦専用艦である。
大気圏へ突入した艦体が赤熱し、空を引き裂く十六本の火柱となる。
地上の迎撃ミサイルと対空砲が、慌てて火を噴いた。
しかし、強襲揚陸艦の格納庫が次々に開き、気圏戦闘機が雲霞のごとく放たれる。
その数、およそ八百機。
戦闘機群は複数の攻撃隊に分かれ、レーダー施設、対空ミサイル陣地、航空基地を立て続けに襲撃した。
来援したクラウゼン側の気圏戦闘機部隊も迎撃を試みたが、総司令部から適切な指示が届かない。
部隊ごとにばらばらに離陸した結果、数でも統率でも勝るアストレア軍に各個撃破されていった。
ユリウスの決断は、戦術的に見れば最良の時機を捉えていた。
敵の政治中枢と軍事中枢が、同時に混乱へ陥った瞬間。
そのわずかな隙を、彼は見逃さなかったのである。
◇◇◇◇◇
「元帥閣下!」
血まみれの伝令が、ハルダーのもとへ駆け込んできた。
「公都防衛の要である第一気圏戦闘機旅団が壊滅しました! 敵強襲揚陸艦が、東部宇宙港と中央補給基地へ降下中です。地下司令部へお移りください!」
「ぬうう……」
ハルダーは奥歯を噛み締めた。
「惑星ヴァルカンの田舎者め。騎士の心を持たぬのか!」
珍しく、老元帥の口から罵声が漏れた。
だが、それもほんの一瞬であった。
戦場で敵の弱みを突くのは常道である。
自分がユリウスの立場でも、同じ命令を下したかもしれない。
ハルダーはすぐに感情を押し殺し、軍刀を抜いた。
高周波振動を始めた刃が、低い唸りを上げる。
「貴族や政府高官を先に地下施設へ避難させよ!」
「閣下もお急ぎください!」
「ワシは後だ!」
ハルダーは高周波軍刀を杖代わりにして立ち上がった。
顔も軍服も血に染まり、片腕は満足に動かない。
それでも彼は各防衛指揮所との通信回路を確保し、現場の将官たちを叱咤した。
「総司令部は健在だ! 持ち場を離れるな! 敵の降下地点を割り出し、予備隊を集結させよ!」
外から迫るアストレア軍。
内側で蜂起した反乱部隊。
ハルダーは二つの敵を同時に相手取りながら、崩壊寸前の防衛軍を辛うじてつなぎ止めていった。
それは、老将の最期を飾るかのような、人並み外れた采配であった。




