第百話……惑星アクア
――聖帝国暦六四五年五月上旬。
カスパル=アーヴィングを乗せた宇宙船は、追撃を受けることなく、無事に惑星アクアへ到着した。
惑星アクアは、ルントシュテット伯爵領に属する軍事拠点である。
地表の九六パーセントが海洋に覆われ、残る四パーセントの陸地も、そのほとんどが飛行場、宇宙港、防空施設などの人工構造物によって占められていた。
宇宙船は大気圏へ降下すると、広大な海面へ着水した。
そのまま船体を沈め、海中航行へ移行する。
客室の窓の外には、色鮮やかなサンゴ礁が広がっていた。海藻が潮流に揺れ、岩礁の間を無数の魚たちが泳ぎ回っている。
戦乱とは無縁に見える、美しい海であった。
だが、巨大なサンゴ礁の裏側へ回り込むと、その景色は一変した。
海底の岩盤に、巨大な隔壁が埋め込まれている。
接近する宇宙船から暗号信号が送られると、岩肌に偽装された扉が左右に開き、奥から青白い誘導灯が浮かび上がった。
惑星アクアの海中宇宙港である。
「若様」
ルントシュテット伯爵は、誇らしげに眼下の施設を示した。
「この惑星は、我が先祖が幾代にもわたり築き上げた拠点にございます。その防御力は、要塞惑星にも勝るとも劣りませぬ」
「ほう」
「さらに、この星の民の多くは、表向きには漁業を生業としております。されど、それは仮の姿。漁船は監視艇を兼ね、港の倉庫には兵器が収められ、住民の多くが予備役として訓練を受けております」
伯爵は静かに笑った。
「この惑星に住む者は、すべて我が伯爵家の息がかかった者たちにございます」
「なるほど」
カスパルは満足そうに頷いたものの、すぐに眉をひそめた。
「だが、我が方の宇宙艦艇戦力はどうなのじゃ。地上の備えが強固でも、宇宙を制圧されれば、いずれ包囲され干上がるのではないか?」
「無論、その点にも手は打っております」
ルントシュテット伯爵は、わずかに声を落とした。
「少々、金はかかりましたがな」
◇◇◇◇◇
――その五日後。
惑星アクアの水中宇宙港へ、次々に宇宙艦艇が入港してきた。
カスパルが観覧室から外を眺めると、その多くは艦首に異様なほど長い砲身を備えていた。
高速性や近接戦能力を犠牲にし、長距離砲撃に特化したビーム重砲艦である。
一隻ごとの船体は決して大きくない。
だが、同型艦が整然と並ぶ光景には、見る者を威圧する迫力があった。
「義父上。あの艦隊は?」
「第四総管区が誇る戦略砲兵旅団、通称ヘカトンケイル旅団にございます」
「第四総管区?」
カスパルは目を丸くした。
「それでは、あれは我らの敵である帝国側の艦艇ではないのか?」
「まあ、そういう見方もできますな」
ルントシュテット伯爵は悪びれずに答えた。
「されど、第四総管区は帝国の中でも、とりわけ資本主義の色が濃い地域にございます。忠誠心より契約を重んじ、名誉より報酬を尊ぶ」
「つまり?」
「金でどうにでもなる地域ということです」
やがて、宇宙港の連絡通路から、一人の男が姿を現した。
痩せた長身に、日に焼けた顔。
頬や額には古い傷痕が走り、帝国軍の将官服をまとっているにもかかわらず、どこか海賊めいた雰囲気を漂わせていた。
男はカスパルの前まで進み出ると、大仰に一礼した。
「お初にお目にかかります、大公閣下」
正式には、まだカスパルは大公ではない。
だが、男は初めからそう呼んだ。
「某はヘカトンケイル旅団長を務め、中将を拝命しておりますスキラッチと申します」
そこで男は、にやりと笑った。
「もっとも、帝国軍人というより、傭兵旅団長と名乗った方が実情には近いでしょうがな。わははは!」
細身の体格に似合わぬ、よく通る笑い声が宇宙港に響いた。
「いや、よく来てくれた」
カスパルは機嫌よく両手を広げた。
「戦果によっては、さらに褒賞を弾むぞ」
「それは、我らにとって何よりのお言葉」
スキラッチは胸に手を当てた。
「新帝国軍などと名乗る若造どもに、一泡吹かせてご覧に入れましょう」
「期待しているぞ!」
スキラッチが部下を伴って立ち去ると、カスパルは興奮した様子でルントシュテット伯爵に振り返った。
「義父上。これは我が方に風が吹いてきたぞ」
「左様にございますな」
「すぐに、大公国領内で日和見を決め込んでいる者どもへ通信を飛ばせ」
カスパルは拳を握り締めた。
「我らには、第四総管区の精鋭艦隊が味方しているとな。今のうちに参じなければ、後から来ても席はないと伝えよ!」
「承知いたしました」
その日から、惑星アクアの通信室は昼夜を問わず稼働し始めた。
各地の貴族へ、ヘカトンケイル旅団の映像が送られる。
長砲身のビーム重砲艦が並ぶ姿は、それだけで強力な宣伝となった。
ユリウスへ臣従すべきか。
カスパルを支持すべきか。
あるいは、双方の勝敗が決するまで沈黙を保つべきか。
判断を迷っていた地方貴族たちは、カスパル派が予想以上の戦力を整えたと知るや、再び動き始めた。
惑星アクアの宇宙港には、彼らの私兵艦艇が次々に姿を現した。
大半は旧式艦や小型艦であったが、旗の数が増えること自体に政治的な意味がある。
そして三日後。
カスパル派は、カスパル=アーヴィングを正式なアーヴィング大公として推戴する式典を執り行った。
惑星アクアの地下司令部には、再び多くの貴族たちが集った。
かつて惑星クラウゼンから逃げ出した時、カスパルの周囲には敗残者しか残されていなかった。
だが今、その頭上には大公冠が載せられようとしている。
荒鷲の金印を持つユリウス。
大公家の血統を掲げるカスパル。
アーヴィング大公国をめぐる争いは、これより二人の後継者を名乗る者による、最後の戦いへ移ろうとしていた。
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