第九十七話……正統後継者
――聖帝国暦六四五年三月上旬。
ユリウス=アストレア侯爵は、自らが銀河聖帝国ノヴァの正統な後継者である旨を宣言した。
儀式の会場は、わずか二週間で造成された急ごしらえの広場であった。だが、そこに漂う空気は仮設のものではない。
アストレア侯爵家に臣従している貴族家の当主たちが居並び、旧アーヴィング大公国軍からはパウルス元帥をはじめとする一部高級士官たちも参列していた。
さらに、文官、武官、軍需商人、地方代表者たちまでもが、その場に顔をそろえている。
臨時政府の儀礼官が、声を張り上げた。
「銀河聖帝国ノヴァ正統継承者、ユリウス=アストレア侯爵閣下、御出座!」
その瞬間、会場に集まった者たちは一斉に膝を折った。
ユリウスは白銀の礼服をまとい、ゆっくり壇上へ上がった。
右手の薬指には、荒鷲の金印がある。
それは単なる装飾ではない。金印から放たれる淡い光は空中に複雑な紋章式ホログラムを描き出し、歴代皇帝の認証紋、血統封印、先帝の勅許記録を次々に浮かび上がらせていた。
映像を見た者たちの間に、抑えきれぬざわめきが広がる。
本物である。
誰もが、そう理解した。
この宣言の儀には、多数のマスコミが招かれていた。
それは帝都系の報道局だけではない。
地方星系、旧大公国領、星間ギルド系列、果てはあまり知られていない中立星域の通信社まで呼ばれている。
映像は、旧帝国領全域へ同時配信されていた。
ユリウスは壇上から、居並ぶ者たちを見下ろした。
まだ若い。
だが、その右手の金印が、彼をただの地方侯爵ではない存在へ押し上げていた。
「私は、この宇宙の正統なる統治者である」
静かな声だった。
それにもかかわらず、その声は会場全体へ、そして無数の星々へ届いた。
「我が旗に逆らう者には容赦しない。だが、剣を納め、秩序へ帰参する者には、寛容をもって迎える」
沈黙。
次の瞬間、最初に臣下の礼を取ったのは、エリザベートであった。
亡きアーヴィング大公が、後継者の母として指名した女。
大公の愛妾であり、正妻ではない。貴族社会から軽んじられ、嘲られ、時に利用されてきた存在である。
だが、その身には旧大公家の継承問題を左右する重みがあった。
エリザベートは壇上の前まで進み、深く膝をついた。
「ユリウス様」
彼女の声は震えていた。
演技だけではない。
ここで膝をつく意味を、彼女自身もよく理解していた。
「我らは今日より、貴方様の御旗に従います。我らに大きな力はございませぬ。されど、どうか我らを末席にお加えください」
エリザベートはさらに頭を下げる。
「お受け入れいただけるならば、我が家は二心なく、アストレア侯爵家のために働きましょう」
ユリウスは数秒だけ沈黙した。
会場の報道機器が、その一瞬を逃さず記録している。
やがて彼は、右手を差し出した。
「エリザベート。そなたらの帰参を認める。亡き大公家へ忠を尽くした者たちも、今日より我が臣民である。過去の立場のみを理由に罰することはない」
その言葉に、エリザベートは深く頭を垂れた。
「ありがたき幸せにございます」
もちろん、これは事前に練られた政治劇であった。
アストレア家の重臣たちは、すでに彼女との交渉を終えている。
旧大公家の名義、残された財産、支持基盤、軍内部に残る同情票。
それらをアストレア家へ穏便に移すため、最も効果的な舞台が用意されたのである。
だが、政治劇であるからこそ意味があった。
この映像は旧帝国領全域へ流れている。
亡き大公が後継者の母に指名した女が、ユリウスに膝をついた。
すなわち、旧アーヴィング大公国の継承権は、実質的にアストレア侯爵家へ移った。
誰の目にも、そう見える形が完成したのである。
壇下では、パウルス元帥が重々しく膝を折った。
「旧大公国軍の一部将兵を代表し、我らもまた、アストレア侯爵閣下の御旗へ参じます」
続いて、地方貴族の当主たちが次々に臣従を表明した。
万歳の声はなかった。
だが、会場を包む熱気は、確かに歴史の転換点のそれであった。
この日を境に、大公国領の中小貴族たちは雪崩を打ってアストレア家へ臣従する。
カスパル派も反カスパル派も、もはや単なる内紛勢力にすぎない。
金印を掲げるアストレア侯爵家こそが、旧帝国秩序の再建者である。
その認識が、星々の間に広がっていった。
ユリウス=アストレア。
若き侯爵はこの日、ただの有力諸侯ではなく、銀河聖帝国ノヴァの正統後継者として、全宇宙の表舞台へ立ったのである。
◇◇◇◇◇
その頃。
カスパル=アーヴィングは、窮地に立たされていた。
昨日まで彼の味方を名乗っていた貴族家たちが、次々に姿を消していく。
資金援助を約束していた商会は連絡を絶ち、艦隊派遣を請け負った地方領主は病と称して動かなかった。
もはや、反カスパル派という勢力は存在しない。
アーヴィング大公家の名を掲げるカスパルか。
荒鷲の金印を掲げるユリウス=アストレアか。
情勢は、その二択へ収束しつつあった。
「若様、もはやこれまでにございます」
重々しく告げたのは、ルントシュテット伯爵であった。
彼はカスパル派の首魁であり、ゴチエ鉱区のエーテル資源帯に深く食い込む有力貴族でもある。
資源商会、輸送組合、鉱山警備会社との結びつきは強く、単なる貴族ではなかった。
だが、それ以上に彼は、カスパルの養育係であり、舅でもあった。
ゆえに、カスパルを見捨てる選択肢だけはなかったのだ。
「こうなれば、アストレア家との共存を望むほかありますまい」
「ぬぬぬ……」
カスパルは唇を噛み、拳を震わせた。
「だが、しかし。泥棒猫のように我が大公家を乗っ取ろうとするアストレア家に膝を折るくらいなら、死んだ方がましじゃ」
その言葉に、側近たちは顔を伏せた。
威勢だけは立派である。
だが、彼らの多くもすでに理解していた。
カスパルには兵が足りず、金が足りず、大義も足りない。
残っているのは、大公家の血筋という看板と、それにすがる者たちの意地だけであった。
ルントシュテット伯爵は、深く息を吐いた。
「仕方ありませぬな。されば、惑星アクアへ移り、そこで立て籠もりましょう」
「惑星アクアへ?」
「はい。あの星は水資源と補給港もあり、長期籠城に向いております。加えて、古くから我が家の息がかかった商人たちも多い。時間を稼ぐには、悪くありませぬ」
「時間を稼いで、どうするのじゃ?」
伯爵の目が、わずかに細くなった。
「密かに、ルドミラ教国領とも通じます」
その名が出た瞬間、部屋の空気が変わった。
ルドミラ教国。
宗教権威を掲げる帝国の旧第五総管区の支配者であり、近年はアストレア家とも一定の関係を築いている勢力であった。
カスパルは眉をひそめる。
「何? ルドミラの奴らは、アストレア家と懇意ではなかったのか?」
「懇意であるからこそ、恐れております」
「恐れる?」
「はい。帝国の正統後継者が復活したなら、教国はこれまで通り独自の権威を保てませぬ。彼らにとって、金印を掲げるアストレア家は、今や味方である以上に邪魔な存在になり得ます」
ルントシュテット伯爵は、ゆっくり頭を下げた。
「必ずや、こちらへ引き寄せてみせましょう。教国の後ろ盾を得られれば、まだ勝機はございます」
カスパルの顔に、わずかな希望が戻った。
「さすがは義父上。頼みまする」
この日。
惑星クラウゼンから、複数の艦艇が各地に飛び立ったのだった。




