第九十五話……惑星レンズの英雄
納屋の扉の外側の存在に、ツーシームは銃を握りしめる。
だが、その手首を、血に濡れた大きな手が押さえる。
「動かないで。今撃てば、こちらの負けです」
床に横たわるビッグベアは、浅い息のまま小さく告げた。
次の瞬間、扉が吹き飛んだ。
黒い制服を着た男たちが、銃口をそろえて納屋になだれ込んでくる。
「動くな!」
それは保守派の急先鋒が支配する、武装警察隊であった。
隊長らしき男が、ツーシームの顔を見るなり、いやらしく口元を歪める。
「これはこれは、著名な宇宙海賊様ではないか。すぐに上等な絞首刑台を用意してやるぞ」
「くっ……!」
部下たちが電磁手錠を手に、じりじり近づいてくる。
ツーシームは奥歯を噛んだ。戦えない距離ではない。
だが、背後には重傷のビッグベアがいる。彼を置いて逃げる選択肢など、彼女にはなかった。
その時だった。
隊長の視線が、床の上の大男に止まった。
彼の顔から、嘲笑が消える。
「……あ、あの」
隊長は、銃を下ろした。
「ひょっとして……フェルドナンド曹長殿ではありませんか?」
トムは片目だけを開けた。
「ああ。そう呼ばれていたこともあるな……」
その瞬間、隊長は姿勢を正した。
「こ、これは大変失礼いたしました! 惑星レンズでは、大変お世話になりました。小官はキエザ警部補であります!」
さっきまで処刑台の話をしていた男が、今度は軍靴を揃えて敬礼している。
ツーシームは、思わず目を白黒させた。
「……え? なにこれ?」
キエザは振り返り、部下たちへ怒鳴った。
「貴様ら、何をぼさっとしている! すぐに医者を呼んでこい! それから酒と食事を運んでこい! 清潔な毛布もだ!」
「はっ!」
武装警察隊の男たちは、さっきまでの殺気を消し、慌ただしく動き始めた。
ツーシームは、ぽかんとしたままビッグベアを見る。
「トム。あんた、何者なの?」
ビッグベアは、苦しげに上体を少し起こした。
「たぶん、昔の戦場での部下かと思われます」
「へぇ」
キエザは、その言葉に首を振った。
「曹長殿は惑星レンズの英雄です。将校どもが氷の戦場から逃げ出した後、この方は残された兵をまとめ上げ、補給も砲兵支援もない包囲下で敵を撃退なさった。あれは奇跡でした」
「へぇ。トムって、すごい奴だったんだ」
ツーシームは素直に感心した。
だが、キエザの表情はそこで曇った。
「ですが、その武功が将校たちの恨みを買いました。逃げた者たちの無能を、曹長殿の勝利が証明してしまったのです」
納屋の中に、重い沈黙が落ちる。
キエザは、悔しげに拳を握った。
「その結果、曹長殿は軍から永久追放されました。名誉ある勲章ではなく、汚名を着せられて」
ツーシームは、ゆっくりトムを見た。
床に横たわる大男は、何でもないことのように目を閉じている。
「……あんた、そういう大事な話、今まで一度もしてないじゃない」
「聞かれませんでしたので」
「普通は自分から言うんだよ、そういうのは」
トムは、かすかに笑った。
「船長も、自分の昔話はあまりなさいません」
「それとこれとは別だろ」
ツーシームはそう言い返しながらも、どこか安心したように息を吐いた。
その納屋は、つい先ほどまで処刑場になるはずだった。
だが今は、奇妙なことに、戦場帰りの英雄を迎える仮の本営になりつつあった。
◇◇◇◇◇
ビッグベアは、ツーシームと同じく、服の下に対ビーム兵器用の特殊なアンダーシャツを着込んでいた。
おかげで致命傷は避けられた。だが、すべてを防げたわけではない。
焼け焦げた布地の下には、実体弾による傷も混じっていた。
弾丸のいくつかは肉の奥に残り、放置すれば命に関わる状態であった。
呼ばれてきた老医師は、納屋の隅で湯を沸かさせ、酒で器具を洗わせ、即席の手術場を作った。
「まったく、患者を選べぬのが医者のつらいところじゃ」
そうぼやきながらも、老医師の手つきは確かだった。
納屋の中には、血と消毒液と葡萄酒の匂いが混じった。
キエザたちは入口を固め、誰一人口を開かない。
ツーシームも、包帯を巻かれた腕を押さえたまま、じっとビッグベアの顔を見ていた。
およそ二時間ののち、手術は終わった。
「運がよかったの。弾は抜いた。あとは熱が出ぬよう祈ることじゃ」
老医師はそう言って、血のついた手袋を放り捨てた。
続けて、ツーシームの傷も手当てされた。裂けた皮膚を縫われ、打撲を冷やされ、最後には本人が嫌がるほど包帯を巻かれた。
その頃には、納屋の隙間から白い朝の光が差し込み始めていた。
「まあ、せいぜい無理をせんことじゃな。……と言いたいが、無理かの?」
老医師はそう言い、そばに置かれていた葡萄酒をぐいとあおった。
包帯でぐるぐる巻きにされたツーシームは、懐から油紙に包んだ金貨を数枚取り出した。それを老医師の手に握らせる。
「口止め料込みだ」
「ふむ。ならば、わしは今夜ここへ来ておらん。怪我人など診てもおらん。実に平和な夜じゃった」
老医師は金貨の重みを確かめ、にやりと笑った。
そこへ、キエザ警部補が大きな鍋を抱えて戻ってきた。
「さて、食事にいたしましょう」
鍋の中身は、カレー粉で肉と野菜を煮込んだ料理だった。湯気と共に、香辛料の匂いが納屋いっぱいに広がる。
「申し訳ありません。近くの村の店で鍋ごと買ってきた物でして、お口に合うかどうか」
キエザは椀に料理をよそい、まずビッグベアへ差し出した。
彼にとって、その大男は今も惑星レンズの英雄なのだ。
だが、ビッグベアは受け取った椀を、そのままツーシームへ渡した。
「船長からです」
ツーシームは少しだけ目を丸くしたが、すぐに苦笑した。そして、その椀を老医師へ差し出す。
「世話になった爺さんからだ」
老医師は椀を受け取り、白い眉を上げた。
「なんじゃ。わしがこの中で一番偉いのかの?」
その一言で、納屋の中に笑いが起きた。
先ほどまで処刑場になりかけていた場所とは思えぬほど、空気が緩んだ。
キエザたちは葡萄酒を注ぎ合い、ツーシームは湯気の立つ鍋を黙々と食べた。
ビッグベアも老医師に睨まれながら、少しだけ口にした。
肉は硬く、野菜は煮崩れ、香辛料も上等とは言いがたかった。
それでも、その朝の鍋は妙にうまかった。
最後には、残った汁を乾パンでこそぎ、鍋底まで大切にさらった。
食事が終わる頃、納屋の外には朝日が昇っていた。
キエザは部下たちに命じ、周囲を厳重に警備させた。
「曹長殿、船長殿。しばしお休みください。ここは我々が守ります」
ツーシームは何か言い返そうとしたが、眠気が先に来た。緊張がほどけた途端、体が鉛のように重くなる。
ビッグベアも、深く息を吐き、目を閉じた。
こうして二人は、敵地の納屋の中で、武装警察隊に守られながら、久方ぶりの深い眠りへ落ちていった。




