第九十三話……内乱勃発
ユリウスは軍服に着替え、出仕の用意を整えていた。
この日は軍中枢の会議が予定されている。軍服姿で館を出ることに、不自然な点はなかった。
「旦那様、お電話がかかっております」
玄関へ向かおうとしたところで、メイドが控えめに声をかけてきた。
「ん? 執務室のモニターへつないでくれ」
ユリウスは足を止め、執務室へ戻った。
通信画面に現れたのは、パウルス元帥だった。
「パウルス閣下、おはようございます」
ユリウスは普段通り穏やかに挨拶した。
だが、画面の向こうのパウルスの表情は硬かった。
「侯爵殿。大公閣下の件は、すでにお聞き及びかと思う」
「はい」
「それについてだ。カスパル殿下に与する勢力が、侯爵殿を暗殺しようとしている、との密告があった」
ユリウスの顔から、血の気が引いた。
パウルスは続ける。
「至急、本日の会議は欠席されよ。そして、ご領地へ戻られるがよかろう」
「……ありがとうございます。しかし閣下は、なぜ私にそのことを?」
先日のノーム人待遇改善新法により、ユリウスの政治的立場は、大公国の主流派から強く敵視されているはずだった。
にもかかわらず、軍の重鎮であるパウルスは、こうして警告を送ってくれている。
パウルスは、わずかに目を伏せた。
「私も、侯爵殿の政策には反対だ。あの法が大公国に混乱をもたらす可能性は高い」
「はい」
「だが、軍は君に救われ過ぎた」
その一言は重かった。
「サーペント要塞解放。第二総軍撃破。多くの将兵が、君の判断で命を拾った。軍上層部の多くも、侯爵殿を政敵とは見ても、敵として殺したいとは思っておらぬはずだ」
「……ありがたいことです」
「軍政局の特殊車両を、密かに迎えへ出している。その車に乗れば、軍の第二宇宙港まで運ばれる。脱出用シャトルも手配済みだ」
ユリウスは、画面へ向かって深く敬礼した。
「元帥閣下。この御恩は忘れません」
「生き延びよ、侯爵殿」
「はい」
通信は切れた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ユリウスは扉へ向かって叫んだ。
「グレゴール! 逃げるぞ!」
「はい!」
老臣グレゴールは、すでに異変を察していたのか、外套を手に駆け寄ってきた。
ユリウスはメイド長を呼び出し、館の者たちへ手早く指示を出した。重要書類の処理。
使用人の避難。外部からの問い合わせへの対応。可能な限り短く、必要なことだけを告げる。
そしてユリウスは、グレゴールを伴い、玄関へ向けて廊下を走った。
中庭へ出た瞬間、聞き慣れた声がした。
「……坊ちゃん、置いていかないでおくれよ」
振り返ると、ツーシームがいた。
なぜか焼きたてのパンを口にくわえ、片手にはまだ上着を引っかけただけの姿である。
その背後には、ビッグベアも控えていた。
「ツーシーム!? どうしてここに」
「嫌な予感がしてねぇ。朝飯の途中で来たんだよ」
その時、門の向こうから黒塗りの特殊車両が滑り込んできた。
軍政局の公用車だった。
ユリウスたちは車へ駆け寄る。
その瞬間だった。
建物の陰から、低空飛行のヘリが飛び出した。
「伏せろ!」
ビッグベアが叫ぶ。
機銃が火を噴いた。
中庭の石畳に銃弾が叩き込まれ、白い破片が跳ねる。窓ガラスが一斉に砕け、壁面に黒い弾痕が走った。
ユリウスは咄嗟に身を伏せた。
その体へ、誰かが覆いかぶさる。
……ツーシームだった。
「坊ちゃん、頭下げな!」
衝撃。
ユリウスの耳元で、肉を打つ鈍い音がした。
ビッグベアが煙幕弾を投げる。濃い白煙が中庭へ広がり、ヘリの照準を遮った。
「今です!」
グレゴールがユリウスの腕を引く。
「ツーシームが!」
「今戻れば、全員死にます!」
老臣は、体ごとユリウスを引きずった。
煙の中、ビッグベアが銃を撃ち返している。
ヘリの機銃音。
石畳を抉る弾丸。
誰かの悲鳴。
すべてが混ざり合う。
ユリウスとグレゴールは物陰を伝い、公用車へ飛び込んだ。
扉が閉まるや否や、車は急発進した。
「止めてくれ!」
ユリウスは後部座席から身を乗り出し、運転手へ縋るように叫んだ。
「ツーシームがまだ!」
だが、グレゴールがその体を押さえ込んだ。
「なりません、旦那様!」
「離せ!」
「今戻れば、ツーシーム殿の行動が無駄になります!」
ユリウスは後ろを振り返った。
煙の向こう。
石畳の上。
ツーシームが、血まみれで倒れていた。
その姿が遠ざかっていく。
車は止まらなかった。
軍政局の特殊車両は、追撃を振り切るように加速し、第二宇宙港へ続く軍施設区域を目指して走り抜けていった。
◇◇◇◇◇
銀河聖帝国ノヴァ、首都星ベルゼブブ。
その中枢にある宰相府の地下執務室で、ローゼンタール宰相は情報部から極秘報告を受けていた。
部屋には窓がない。壁一面に防諜結界が張られ、通信妨害装置が低い唸りを上げている。
ローゼンタールは、黒い執務机の上に置かれた報告書を一読し、眉をひそめた。
「なんだと。アーヴィング大公国で内乱だと?」
情報部将校は、深く頭を下げた。
「はい。左様でございます。発端はアーヴィング大公の死去。後継者を巡り、カスパル殿下派と、エリザベート夫人の御子を推す宮廷派が対立。すでに首都クラウゼンでは、複数の武力衝突が発生しております」
「ふむ」
ローゼンタールは、指先で机を軽く叩いた。
「大公の死因は?」
「公式発表は、持病の悪化となる見込みです。しかし、我々の内偵では、例のウイルスが関与している可能性が高いとの報告が上がっております」
「例のウイルスか」
宰相の声は、わずかに低くなった。
情報部将校は、ためらいを見せた後、口を開いた。
「宰相閣下。申し上げにくいのですが、あのウイルスは少々強すぎたのではありませんか」
ローゼンタールは、報告書から目を離さなかった。
「散布したのは弱毒性だと、化学兵器部から説明を受けていた。脳内の特定受容体に作用し、外宇宙への関心、探査衝動、未知領域への移住欲求を鈍化させる。殺傷ではなく、思想誘導に近い安全なナノ兵器だとな」
「確かに、多くの感染者に明確な症状は出ておりません。発熱もなく、後遺症も軽微です。ただし、一部の遺伝的素因を持つ者には、神経系への負荷が大きすぎる可能性があります」
「それで大公が死んだと?」
「断定はできませぬ」
情報部将校は、慎重に言葉を選んだ。
「ただ、アーヴィング大公は以前より体調を崩しておりました。そこへナノウイルスによる神経負荷が加わり、容態を悪化させた可能性は否定できません」
ローゼンタールは、しばらく黙っていた。
外宇宙への関心を奪う。
それは、帝国にとって必要な措置だった。
現宇宙の外側に何があるのか。なぜ古代皇帝は外宇宙へ続く道を封じたのか。なぜ共和国も連邦も、一定以上の探査を避けているのか。
その答えに近づく者が増えれば、帝国の秩序は揺らぐ。
だからこそ、ローゼンタールは化学兵器部の計画を許可したのだ。
「皮肉なものだな」
宰相は静かに言った。
「外宇宙へ目を向けさせぬための兵器が、アーヴィング大公国を内乱へ追い込んだか」
情報部将校は、顔を伏せた。
「今後、いかがいたしましょう」
「まず、化学兵器部へ再調査を命じよ。弱毒性という言葉を使った者全員の名も添えさせろ」
「はっ」
「次に、アーヴィング大公国へ潜ませている工作員へ指示を出せ。内乱を拡大させすぎるな。だが、早期終結もさせるな」
情報部将校が顔を上げた。
「大公国を疲弊させるのですか」
「当然だ」
ローゼンタールは薄く笑った。




