第九十一話……凱旋
――聖帝国暦六四五年十二月下旬。
戦艦ハヌマーンに率いられた大公国軍艦隊は、大公国首都星クラウゼンの衛星軌道上へ到達した。
帰還した艦隊は、勝者の列というにはあまりにも傷ついていた。
外装甲を失った艦。片舷を焼かれた巡洋艦。推進機を応急修理だけで動かしている駆逐艦。
艦列の中には、曳航されるだけの鹵獲艦や、白い識別灯を灯した病院船も混じっていた。
惑星への着陸は、まず病院船に優先して許可された。
重傷者を運ぶ医療シャトルが、次々にクラウゼンの大気圏へ降下していく。
宇宙港の収容能力には限りがあったため、多くの艦艇の乗員は、専用シャトルに分乗して地表へ降り立った。
彼らを最初に待っていたのは、戦勝の歓呼ではなかった。
戦没者への追悼式典である。
首都中央広場には、黒い布で覆われた祭壇が設けられていた。
そこには、サーペント要塞解放戦、惑星ペルーン攻略戦、小惑星帯艦隊決戦で命を落とした兵士たちの名が刻まれている。
その中でも、ひときわ大きく扱われた名があった。
カタコン中将。
かつて帝国軍の将でありながら大公国へ身を寄せ、老兵と傷病兵を率いて惑星ペルーン攻略戦に加わった男である。
彼は地下要塞の最終攻撃で、ノーム人部隊の先頭に立った。
銃を握ることすら許されなかった者たちを兵士として扱い、自らの階級章も勲章も捨て、彼らの前を歩いた。
そして敵の集中射撃を浴び、帰らぬ人となった。
カタコンは二階級特進を受け、上級大将として埋葬された。
葬儀には、多くのノーム人が参列した。
エジルもその一人だった。彼は祭壇の前で膝をつき、棺へ向かって震える声を漏らした。
「……将軍」
それ以上の言葉は続かなかった。
周囲では、老兵たちが帽子を取り、黙って頭を垂れている。
ノーム人の中には、声を殺して泣く者もいた。
彼らにとってカタコンは、ただの将軍ではなかった。
初めて、自分たちを戦場の荷物ではなく、兵士として扱った人間だった。
だからこそ、その死は重かった。
――葬儀の三日後。
首都クラウゼンは一転して、戦勝式典の熱気に包まれた。
大通りには軍用車両が並び、帰還兵たちが市民の歓呼を浴びながら進んだ。
沿道のビルには大公国旗が掲げられ、窓や屋上からは色鮮やかなテープが舞った。
花束が投げ込まれ、子供たちが手を振り、着飾った娘たちが英雄たちへ祝福の口づけを贈る。
傷ついた兵士たちは、照れたように笑った。
片腕を吊った老兵が、群衆へ敬礼する。
包帯だらけの若い水兵が、受け取った花束を胸に抱える。
車両の隅では、ノーム人の志願兵が戸惑った顔で周囲を見回していたが、やがて市民の一人が彼にも花を差し出した。
その瞬間、彼は泣きそうな顔で笑った。
式典は夜まで続いた。
数万発の花火がクラウゼンの空を彩り、宮殿前広場には巨大なイルミネーションが灯された。
空には戦艦ハヌマーンの艦影を模した光の紋章が浮かび、群衆は何度も勝利の名を叫んだ。
その夜、大公国宮殿では盛大な宴が開かれた。
将官、貴族、功労者、同盟国の使節たちが招かれ、ユリウス・アストレアもその席に出席していた。
彼の姿が現れるたび、周囲から祝辞が寄せられる。
若き侯爵。
サーペント要塞解放の功労者。
第二総軍撃破の立役者。
そう称えられても、ユリウスの表情にはどこか疲れが残っていた。
一方、ツーシームはいつものように立食卓を渡り歩き、料理と酒を存分に楽しんでいた。
高級な燻製魚をつまみ、香辛料の効いた肉料理を皿へ盛り、見慣れぬ銘柄の酒を片端から試す。
「戦争ってのは嫌なもんだけど、勝った後の飯だけは悪くないねぇ」
彼女はそう言って笑った。
だが、宮殿の外では、まだ喪章をつけた兵士たちが静かに歩いていた。
勝利は祝われた。
英雄は称えられた。
けれど、その輝きの下には、帰らぬ者たちの名が確かに刻まれていた。
◇◇◇◇◇
――聖帝国暦六四六年一月初旬。
大公国首都星クラウゼンでは、新年を祝う光景が街のあちこちに見られた。
大通りには色鮮やかな旗が掲げられ、商店街では菓子や酒が振る舞われている。
戦勝の熱気はまだ残っており、人々は帝国軍撃退の話題を口にしながら、久しぶりの平穏を噛み締めていた。
だが、その華やぎから少し離れた大公宮殿の奥では、静かな時間が流れていた。
ユリウス・アストレア侯爵は、沈痛な面持ちで廊下を歩いていた。
案内する侍従の足音だけが、白い石床に小さく響く。
向かった先は、アーヴィング大公の病室であった。
大公は寝台の上で上体を起こしていた。顔色は優れず、頬も以前より痩せている。
だが、その眼差しだけは、なお鋭さを失っていなかった。
「侯爵、よくぞ来てくれた」
「お加減はいかがですか」
ユリウスは深く頭を下げた。
「余の体など、もう古い船のようなものじゃ。修理しても、すぐ別の場所が軋む」
大公は冗談めかして言ったが、その声には疲れが滲んでいた。
二、三の言葉を交わした後、ユリウスはしばらく沈黙した。
懐から、一通の提案書を取り出す。
紙面には、大公国全域におけるノーム人の法的地位、労務契約、徴兵資格、居住制限、賃金規定の改定案が記されていた。
それは、ただの行政文書ではない。
大公国の社会構造そのものに触れる危険な刃であった。
ユリウスは意を決し、口を開いた。
「実は、お願いがございます」
「申してみよ」
「ノーム人を、一般臣民と同等に扱う制度改定を認めていただきたいのです」
病室の空気が、わずかに重くなった。
書記官も侍従も、思わず顔を上げる。
大公は、すぐには答えなかった。ただ、ユリウスの顔をじっと見つめた。
「なるほど。それゆえ、そなたの顔色が優れぬわけか」
「はい」
ユリウスは隠さなかった。
「難しい願いだと承知しております。鉱山利権を持つ貴族家、工業地帯の商会、旧来の労務制度に依存する地方領。必ず反発が起きます」
「分かっておるなら、なぜ言う」
「約束したからです」
ユリウスは静かに答えた。
「惑星ペルーン攻略に際し、友から条件として提示されました。私は、それを飲みました。そして、ノーム人部隊は果敢に戦いました。カタコン上級大将は、彼らを率いて戦死いたしました」
大公は目を細めた。
「カタコンは、最後まで軍人であったか」
「はい。誰よりも」
ユリウスは提案書を差し出した。
「彼らの功績を、ただの美談で終わらせるべきではありません。戦場で命を賭けさせた者たちを、平時になれば再び二級の民へ戻すなど、私にはできません」
大公は長い息を吐いた。
「そうじゃのう。難しい案件ではある。だが、このたびの侯爵の功績を考えれば、無下に退けるわけにもいくまい」
大公は書記官へ目配せした。
書記官が震える手で筆記端末を差し出す。
大公は提案書を読み、いくつかの条項に目を留めた後、署名欄へ自らの名を刻んだ。
その瞬間、ユリウスはようやく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「礼には及ばん」
大公は提案書を閉じ、書記官へ渡した。
「これより審議にかける。反発は出よう。だが、余の署名があれば、少なくとも握り潰されることはあるまい」
「はい」
ユリウスは深く頭を下げた。
大公はしばらく彼を見つめ、それから静かに笑った。
「さて、侯爵」
「はい」
「次は、余の願いも聞いてもらおうか」
ユリウスは即座に片膝をついた。
「何なりと」
病室の外では、新年を祝う花火の音が遠く響いていた。




