第八十四話……ノーム人の値段
アーヴィング大公国軍総旗艦ハヌマーン。
その中枢に置かれた最高作戦指令室には、重苦しい沈黙が満ちていた。
壁面の戦術投影盤には、小惑星帯外縁の戦線、帝国軍艦隊の防衛線、そして後方を脅かす惑星ペルーンの位置が、青と赤の光点で浮かんでいる。
敵は前にいる。だが、背後にも火がついた。
誰もがその事実を理解していた。
ユリウス・アストレアは、若い身でありながら、発言の場にあった。
周囲には老練な提督、参謀、分艦隊司令官たちが並ぶ。彼らの視線は鋭く、そして重い。
「私としましては、まず正面の帝国軍防衛線を撃破し、サーペント要塞を解放した後、後方の惑星ペルーンに対処すべきだと考えます」
その言葉に、議場の空気がわずかに揺れた。
最古参の参謀が、白い眉をひそめる。
「だが、正面攻勢が長引けばどうなる。背後のペルーンを奪った敵別働隊が、我らの後背を突く恐れがある。前後から挟まれれば、この艦隊そのものが崩壊しかねぬ。艦隊が失われれば、その後の戦略など存在せん。やはり一旦撤退し、態勢を立て直すべきではないかのう?」
その意見は慎重であり、正論でもあった。
だが、ユリウスは退かなかった。
「はい。その危険はあります。ですが、帝国軍の補給線もまた万全ではありません。敵の後方は宇宙海賊たちによって脅かされ、長期戦に耐えられる状況ではないと聞き及びます。リスクはあります。しかし、ここで我らが退けば、サーペント要塞は見捨てられ、教皇国は帝国軍に蹂躙されるでしょう」
ユリウスの声は静かだった。だが、その静けさの奥には、退けぬ覚悟があった。
「敵も後背に難を抱えております。ならば、我らが恐れるべきは挟撃ではなく、機を逃すことです」
その続けた一言が、議場の流れを変えた。
ざわめきが走り、何人かの提督が互いに顔を見合わせる。慎重論に傾いていた空気が、少しずつ攻勢論へと動き出していく。
やがて、上座に座るパウルス元帥が重々しく頷いた。
「ふむう。敵も後背に難あり、か。ならば、ここで退く理由は薄い。攻勢あるのみだ。以後、帝国軍防衛線突破を主目的として、具体的な作戦案を詰めよ」
一同が姿勢を正した。
「はっ」
こうして、作戦の骨子は決まった。
最初の目標は、帝国軍防衛線の突破。
その要となるのが、帝国軍が築城した攻城用小型要塞アイアンオーガである。
小惑星帯を盾にした帝国軍陣地の中心に座すその巨大兵器は、艦隊突破を阻む鋼鉄の門であった。
アイアンオーガ攻略には、ラプーチク中将率いる第六高速分艦隊が志願した。
第六高速分艦隊は正面から要塞に肉薄し、機動力を生かして火線を攪乱する。
その間に重砲艦隊が集中砲撃を加え、要塞アイアンゴーレムの主砲群を沈黙させる。
要塞の火力が低下した瞬間、ユリウス率いる第二艦隊が敵右翼側の隙間を突破する。
目標は敵艦隊の後背であり、一気に敵を半包囲下に追い落とすのだ。
それがなれば、全軍による全面攻勢。
それが、サーペント解放作戦の全貌であった。
会議が終わると、各指揮官たちは無言のまま席を立った。
やがて彼らはシャトルに乗り込み、それぞれの旗艦へ帰っていった。
ハヌマーンの外では、無数の艦艇が青白い航行灯を瞬かせていた。
決戦の時が、近づいていた。
◇◇◇◇◇
――二十分後。
中古高速船メイラード号の船長席で、ツーシームは足を組んでいた。
目の前の大型通信モニターには、ユリウス・アストレアの姿が映っている。
超光速通信の映像はわずかに乱れ、若い侯爵の輪郭を青白く揺らしていた。
「……ああ、坊ちゃんかい。後方攪乱なら、昔の宇宙海賊仲間がうまくやっているはずだよ。帝国軍の補給船団も、いまごろ尻に火がついてるだろうさ」
モニターの向こうで、ユリウスは苦笑もせずに言った。
『もう一つ、頼みがあるんだ』
「なんだい?」
ツーシームは安煙草を唇に挟み、火をつけた。古い船長用シートが、ぎしりと音を立てる。
『いま戦況図を送った。見てほしい。正直、状況はかなり悪い。だから、君にも援軍に来てほしいんだ』
ツーシームは眉を跳ね上げた。
「はぁ? そこまで、どれだけ距離があると思ってるんだい。それに、こっちにまともな艦艇や人員なんて残ってないよ。中古船に乗った海賊崩れに、艦隊戦でもやれってのかい?」
『そこを、なんとか頼む』
「あんたねぇ……」
ツーシームは煙を吐いた。
……あの小僧、最近は随分と立派になったと思っていたが、肝心なところで無茶を言う癖は変わっていないなぁ。
ちょうどその時、ノーム人のエジルが静かに近づき、湯気の立つ茶を差し出した。
ツーシームは受け取りかけて、ふと手を止めた。
エジルの赤ギレだらけの手。
粗末な作業服。
身分証に刻まれた下級労務階級の印。
ツーシームの目が、細くなった。
「じゃあさぁ、惑星ペルーンを奪回してやったら、大公国全域でノーム人の処遇改定を約束してもらおうか?」
彼女は端末を叩き、即席の要求書をユリウス側へ送信した。
画面の向こうで、ユリウスの顔色が変わる。
『ええ!? それは無理だよ。大きな声では言えないけど、ノーム人の安い労働力がなくなれば、大公国中の鉱山や工場が止まる。鉱山利権で潤っている貴族家も黙っていない。下手をすれば反乱だ』
その言葉を聞いて、エジルの表情が揺れた。
初めて、自分たちの名が安いだけの労働力ではなく、交渉の条件として扱われた。
その事実に、彼の顔が明るくなっていく。
ツーシームはその顔を横目で見た。
「どっちが無理を言ってるんだい? こっちは艦艇も兵も足りない。だが、あんたは星を奪い返せと言う。なら、こっちも相応の条件をつける。政治も戦いだよ。やるのかい? やらないのかい? さっさと決めな」
ツーシームは内心で笑っていた。
……さすがにこの条件は飲めない。
飲めば、ユリウスは大公からも貴族たちからも睨まれる。若い侯爵に背負える荷ではない。
これで断る。そう思った。
だが、モニターの向こうのユリウスは、静かに顔を上げた。
『わかった。飲むよ』
ツーシームは思わず煙草を咥えたまま固まった。
画面の中の若者は、もう約束を軽く扱う甘ちゃんの子供ではない。
自分の言葉が、政治の刃になると知った上で、それでも頷いたのだ。
数秒の沈黙の後、ツーシームはにやりと笑った。
「商談成立だな」
その傍らで、ビッグベアが深々とため息をついた。
「……また休日返上ですかい」




