第八十三話……見えざる敵
大公国艦隊並びに帝国第二総軍艦隊は、小惑星帯外縁を挟み、長く膠着していた。
互いの距離は、戦列ビーム艦が照準を維持できる限界線上。
虚空を裂く光槍は幾度も交差し、小惑星の表皮を焼き、破片雲を銀砂のように散らした。
だが、その砲撃に決定的な意味はなかった。遠距離戦は損害を抑えるかわり、戦果もまた乏しい。
大公国軍の目的は、帝国軍によるサーペント要塞の解囲である。
しかし帝国軍は小惑星帯を即席の防壁に変え、岩塊の陰へ砲艦を潜ませ、機雷帯を重ね、進撃路そのものを障壁にしていた。
無理に押せば、艦列は裂かれ、逆に包囲される危険すらあった。
その停滞が、十一月下旬、唐突に崩れた。
「緊急入電。帝国軍別働隊と思われる艦隊が、後方の惑星ペルーンへ降下。現地守備隊は敗走。ペルーンは敵占領下に入った模様です」
「なんだと」
パウルス元帥の司令部に、押し殺した悲鳴が走った。
惑星ペルーンは、ルドミラ教皇国への派兵における後方集積地である。
弾薬、燃料、修理部材、食糧。大公国艦隊がこの宙域に踏みとどまるための物資が、そこに蓄えられていた。
パウルスは戦術表示を見据えた。前面には小惑星帯に籠る帝国第二総軍艦隊。背後には奪われた補給拠点。攻めれば障壁、留まれば飢える。
「ここは慎重を期す。前線部隊を収容し、戦線を一時後退させる」
「畏まりました」
大公国艦隊は攻勢を中止した。
各艦は順次、敵射程外へ退き、輸送艦群より最低限の補給を受け始めた。
その間、パウルスの座乗艦では、各艦隊司令並びに幕僚が作戦室へ集められていた。
立体星図の中で、赤い敵勢力圏がペルーンを覆っている。
「まずいことになったな」
「はい。我が方は集積地並びに退路を同時に失った形です」
「援軍である我らが、これ以上の危険を冒す必要はありますまい。撤退すべきかと存じます」
幕僚の多くは撤退を唱えた。
戦術上、それは正しい。
だが、帝国施政時代より「不敗の猛将」と呼ばれたラプーチク中将だけが、静かに首を横へ振った。
「ルドミラ教皇国がここで敗れれば、帝国が次に向ける刃は我ら大公国だけになります。その理を承知のうえで、皆様は撤退を主張なさるのか」
作戦室が沈黙した。
目前の危険だけを見れば、撤退は上策である。だが星域全体を見れば、それは未来の孤立を買う選択でもあった。
パウルスは諸将を見渡し、最後に沈黙を守る若き元帥へ視線を向けた。
「アストレア元帥。貴官はどう見る」
全員の目が、ユリウスに集まった。
「私は……」
◇◇◇◇◇
惑星シャンプールの宇宙港は、すでに秩序という言葉を失っていた。
赤い砂塵が吹き込む発着ロビーには、星外脱出を求める住民が押し寄せ、保安柵はひしゃげ、案内用の立体表示は踏み砕かれていた。
泣き叫ぶ子供。荷物を抱えた老人。怒声を張り上げる商人。
誰もが自分だけは助かろうとしていた。
「どけ! 俺が先だ!」
「ふざけないで! こっちには子供がいるのよ!」
罵声が飛び交うたび、群衆の波が乱れ、高齢者や幼い子供が床に倒れ込んだ。
だが、誰も手を貸さない。遠くの空には、紫色の雲が低く広がっていた。エーテル精製施設から漏れ出した猛毒ガスである。
惑星の主産業だった精製施設は、いまや死の煙突に変わっていた。
居住区の外縁では避難警報が鳴り響き、風向き次第では宇宙港も安全ではない。そんな噂が一度広がるだけで、人間の理性は簡単に崩れた。
「落ち着いてください。現在、毒素は宇宙港区域まで到達していません。順番に搭乗してください」
行政府の放送が、各所のスピーカーから繰り返される。だが、その声を信じる者は少なかった。
日頃から住民を搾り、事故を隠し、危険を先送りしてきた行政府である。いまさら安全だと言われても、誰が従うものか。
発着管制塔の上層階で、ツーシームは腕時計を見た。
「そろそろ来るねぇ」
その言葉に応じるように、曇った大気を割って八隻の中型輸送船が降下してきた。
船体にはアステミス商会本社所属の識別灯が灯り、底部から噴き出す減速炎が赤い砂を吹き散らす。
ハッチが開くや、特殊防護服に身を包んだ作業員たちが次々に飛び出した。
彼らは無言で車両に乗り込み、汚染区域へと向かう。
続いて降ろされたのはガス処理車両、移動式浄化塔、防災ヘリであった。
大型ヘリが低空を旋回し、白い処理ガスを帯状に散布する。
紫の毒霧は、じわじわと色を薄めていった。
別の機体からは落下傘付きの物資コンテナが投下され、逃げ遅れた避難民へ、水、酸素ボンベ、医療キットが届けられる。
「間に合いましたな」
レッドベアが静かに呟いた。
「まぁ、最初から嫌な予感はしていたからねぇ」
ツーシームは薄く笑い、隣に立つ男へ目を向けた。
レンギン支店長は、顔面を紙のように白くしていた。額には脂汗が浮かび、膝が小刻みに震えている。
「さて、この尻拭いの費用、誰の帳簿につければいいんだろうねぇ?」
ツーシームが肩を叩くと、レンギンは壊れた人形のように首を振った。
「わ、私は違う。私は、ルドミラ教の伝道師ローターの指示に従っただけだ。あの女が、安全だと言ったのだ。あの女はどこだ。どこへ消えたのだ」
「話は後で聞いてやるよ。だけどね、私はアストレア侯爵様ほど甘くない」
ツーシームは顎で合図した。エジルたちがレンギンの両腕をつかみ、その身柄を拘束する。
やがて毒ガスは除去され、宇宙港にはかろうじて秩序が戻った。
だが、ローターの姿だけは、最後まで見つからなかった。
紫の霧よりも深い不安だけが、シャンプールの空に残されていた。




