第八十話……潰れたサンドイッチ
夜明け前の薄闇の中、ノーム人のエジルの手引きで、ツーシームたちはさびれたエーテル鉱区へたどり着いた。
小柄な男だったが、受け答えは妙に落ち着いている。
怯えはある。
だが、頭は回る。
ツーシームはそう見た。
三人はホバークラフトを降りると、鉱区全体が見渡せる高台へよじ登った。
眼下には、細長い塔のようなエーテル油井が何本も立ち、その根元には作業員たちのバラックが、まるで錆びた缶詰のように密集している。
さらに脇には、今にも崩れそうな旧式精製施設までへばりついていた。
ツーシームは、昨日トロストから渡された秘密資料をぱらぱらとめくる。
そして、視線を下へ落としたまま尋ねた。
「なぁ、エジル。ここのエーテル、重質系で質はかなり悪いだろ?」
「はい」
エジルは小さくうなずく。
「なのに、どうして精製施設があんなボロで平気なんだい?」
エジルはしばらく黙ったあと、絞り出すように答えた。
「我々労働者が、炉心近くまで入って、直接作業するからです」
「はぁ?」
ビッグベアが思わず割り込んだ。
「馬鹿か? 精製前のエーテルは放射性物質だぞ! 防護服を着たって、炉心じゃ五分も持たねぇだろ!」
エジルは、怒鳴られても怒らなかった。
むしろ慣れているように、静かに言う。
「ええ。大変に危険です。ですが、精製コストを削らなければ利益が出ません。新しい設備を入れるには莫大な金がかかる。ですから、安い命で埋め合わせているのです」
ツーシームの目が細くなる。
「安い命、ねぇ」
「我々ノーム人には、法で定められた権利が薄いのです」
エジルは乾いた声で続けた。
「労働厚生法も、ほとんど適用されません」
「……法がどうこう以前に、この星の行政長官も買収されてそうだねぇ」
「た、たぶん……」
エジルはそこで急に声を震わせた。
「お願いです。みんなを助けてください」
ビッグベアが息を呑む。
だがツーシームは、困ったように頭をかいた。
「いやぁ、そんなこと言われてもね。アタイたちは正義の味方なんかじゃない。むしろ、悪党の側の宇宙海賊さ」
「ぇ!?」
エジルの目が、まん丸になった。
その顔があまりに露骨で、ツーシームは少しだけ苦笑する。
東の地平線が、わずかに白みはじめていた。
赤茶けた大地の向こうから、冷たい朝が這い上がってくる。
ツーシームはその光を見ながら、ふと思った。
こういう虐げられた者たちに必要なのは、自分たちのような闇の住人ではない。
あのユリウスみたいな、正義ぶった顔で人の上へ立てる男なのだろう、と。
「……所詮、アタイたちには闇夜がお似合いなのさ」
彼女はポケットから、ぐしゃぐしゃに潰れたサンドイッチを取り出した。
それを半分ちぎり、まだ呆然としているエジルへ押しつける。
「ほら、食いな。腹が減ってると、世の中が余計にしんどく見えるからね」
エジルは戸惑いながら受け取り、小さく頭を下げた。
鉱区の朝は冷たかった。
だがその高台では、潰れたパンの匂いだけが、ほんの少し人間らしかった。
◇◇◇◇◇
旧第五総管区、現ルドミラ教皇国。
首都星ヒンデンブルク、中核都市ニデルの中央には、天を突き刺すかのようなルドミラ教の大聖堂がそびえていた。
白亜の尖塔、色硝子の回廊、金箔を惜しみなく貼った外壁。
民には清貧を説く宗教にしては、ずいぶんと贅沢な造りである。
その大聖堂の奥、教皇用執務室には、今日も祈りではなく商談の匂いが満ちていた。
集められていたのは、教皇国の大企業経営者たち。しかも、その中には帝国系企業の顔まで混じっている。
「いやいや教皇猊下、聖典改定からの新法のおかげでノーム人を一層安く、……いや、効率よく使えるようになりました」
恰幅のいい男が、わざとらしく咳払いして言い直す。
別の経営者も、腹を揺らして笑った。
「今期は大変な利益が計上できそうですな。まことに、ありがたい改定でございます」
教皇は椅子に深く腰かけたまま、穏やかな笑みを崩さない。
「それは何よりです。神もまた、勤勉な者に微笑まれましょう」
すると帝国企業の男まで、恥じる様子もなく口を挟んだ。
「支配者が誰かなど、商いには関係ありませぬな。儲かれば、それが一番です」
「まったくです」
別の男が続ける。
「株主連中も法令順守だの人権だの、近頃はうるさい。しかし法そのものを変えてしまえば、こちらは堂々と胸を張れますからな」
執務室には、下卑た笑いが満ちた。
しばらくして、教皇の机へ透明な寄付箱が運ばれてくる。誰がいくら入れたか、一目で分かるつくりだった。
「ルドミラ神のご加護がありますように……」
経営者たちは皆、同じ祈り文句を唱えながら、信じがたい額のエーテル兌換券を次々に投げ込んでいく。
祈りの声は敬虔だったが、表情筋の動きはペテン師そのものだった。
全員が去った後。
執務室は急に静まり返った。
教皇はゆっくり立ち上がると、寄付箱を覗き込み、そこから八割ほどの兌換券を無造作に抜き取った。
表情は少しも曇らない。
やがて彼は老齢のシスターを呼び寄せる。
「これを、寄付受領係の部屋へ運ぶように……」
「かしこまりました」
シスターは恭しく箱を受け取る。
窓の外では、大神殿の鐘が鳴っていた。
皮肉なことに、その執務室へはちょうど一筋の明るい光が差し込んでいる。
神の光か、黄金の反射か。
見分けのつかぬ時代であった。




