第八十一話……返事は二種類だけだ
赤い砂だけが吹き荒れる惑星シャンプールに、重たい朝が来た。
サンブルク商会の支店ビル。
その会議室では、若き支店長レンギンの前に各工区の所長たちがずらりと並ばされていた。
窓の外は荒野、机の上には収支表。まるで人の命まで数字の一部に組み込まれているようだった。
ひとりの所長が、恐る恐る口を開く。
「さ、流石にその部分の経費削減は、工員の生命に著しく危険かと……」
その瞬間、レンギン支店長の顔から笑みが消えた。
「何を言ってるんだ!」
机を叩く乾いた音が響く。
「いつも言っているだろう? 返事は、はい、か、やり遂げます、の二種類だけだ。何回言わせる気だ!」
所長は肩をすくめる。
だが支店長は追い打ちをかけた。
「それとも何か? 結婚したばかりの奥さんを連れて、人っ子一人いない辺境廃鉱区へ飛ばされたいのか!?」
「……い、いえ」
所長は顔を青ざめさせ、唇を震わせた。
「は、はい。やり遂げます」
レンギンは、今度は満足げに笑った。
「そうだ、その調子だ。そうすれば我らの賞与は上がる。万々歳じゃないか。これを皆がウインウインの好循環というのだよ!」
会議室には乾いた追従笑いが広がる。
「……は、はい。その通りです」
中には進んで支店長を持ち上げる者までいた。保身か、習性か、あるいはもう諦めているのか。
少なくとも外から見分けはつかなかった。
その一部始終を、ツーシームたちは離れたホテルの一室からモニター越しに見ていた。
昨夜、彼女が秘書ローターへ握らせた金貨は、しっかり役に立ったらしい。
「こういうのを見ちゃうと、人間ってのは、どうもねぇ……」
ビッグベアが腕を組み、渋い顔で呟く。
隣にいるノーム人のエジルへ目を向けるが、エジルは作り笑いを貼りつけたまま、返事に困っていた。
笑うしかない者の顔だった。
その時だった。
支店ビルの隣のコントロールタワーから、耳をつんざくような巨大警報が鳴り渡った。
モニターの向こうでも空気が変わる。
レンギン支店長だけは眉ひとつ動かさなかったが、まだ善意の残っているらしい所長のひとりが会議室を飛び出し、血相を変えて総合コントロール室へ駆け込んだ。
「どうしたんだ、一体!?」
管理員は顔面蒼白のまま、震える声で答えた。
「ど、毒性廃棄物タンクが二つ破裂しました……それも、気化しやすいタイプの危険物です。しかも……」
「しかも、何だ!」
「風下は……町です」
その言葉が落ちた瞬間、管理室の全員から血の気が引いた。
赤い砂の惑星に、今度は目に見えない死が、風に乗って流れ始めていた。
◇◇◇◇◇
ルドミラ教皇国。
首都星ヒンデンブルク、ルドミラ教大聖堂の地下深く。
湿った石壁に囲まれた古い書庫の片隅で、ひとりの老人が、慎重な手つきで歴史書の頁をめくっていた。
その男の名はエロー。
かつては教皇の座にあり、いまは数ある枢機卿のひとりへ退いた老いた聖職者である。
机上のランプが照らすその文字列は、帝国で用いられる公用文でもなければ、古代地球由来の文字でもなかった。
……ノーム語。
この隔絶宇宙において、ほとんど忘れ去られた言葉である。
大半の異星種族は、この宙域へ侵入してきた帝国建国者たちの祖先が、人為的に作り上げた存在だと、わずかな者たちだけが知っている。
だが、この老人が手にしている歴史書によれば、ノーム人とあと数種だけは違うようだった。
彼らは、この大宇宙から切り離された閉鎖世界にもともと住んでいた、先住の民である。
その詳細な事実が、いまエローの眼前にある書物へ、断片的ながらも明確に記されていたのだ。
ゆえに、帝国にも、人類統合共和国にも、パニキア連邦にも、この文字を正しく読める知識人はほとんどいない。
長い帝国支配の圧政の中で、ノーム人の文化それ自体が踏みにじられ、長老ですら自らの文字を失って久しかった。
加えて、その文字は各地の遺跡にすら、ほとんど残っていない。
帝国建国者たちが、この世界へ入り込んだ後、古代ノーム人の存在の痕跡そのものを徹底的に消し去ったからである。
だが、老枢機卿エローだけは違った。
彼は半生を、この忘れられた文字の解析へ注ぎ込んできた。
もしノーム人遺跡の研究など公に露見すれば、帝国情報局に消されてもおかしくない。
だが彼は、帝国首都星から遠い、秘密めいたルドミラ教の中枢にいた。
宗教の独自権力の庇護の下、外界の目をいくらか遮りつつ、密かに知の蓄積を進めることができたのである。
老人の指先が、古びた頁の一文をなぞる。
その窪んだ目に、疲労ではなく、暗い熱が灯っていた。
サリーム・アル=ハディード。
現教皇の名を思い浮かべた瞬間、エローの唇が歪む。
「あの男は脅しと恐怖で聖典をねじ曲げた。だが、それはただの権力者の浅知恵にすぎぬ。真に世界を動かすのは、剣でも金でもない。秘された知ぞ。この宇宙の成り立ちを知る者こそが、最後にはすべてを支配するのじゃ」
エローは、乾いた喉の奥で低く笑った。
そして誰に聞かせるでもなく、闇の中へ囁く。
「覚えておれよ、アル=ハディードよ。我が智こそ、この宇宙を統べるものなのじゃ」
地下書庫の冷気が、老人の法衣の裾を揺らした。
頁の上のノーム文字は、まるで遠い昔からこの瞬間を待っていたかのように、静かに光を孕んで見える。
「くくく……我に智を乞う者どもの、憐れな姿が手に取るように見えるぞ……」
その笑いは小さかった。
だが、神へ仕えるはずの地下室で響くには、あまりにも禍々しかった。




