第七十話……海の向こうも同じ
休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。
パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。
だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。
積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。
「船籍確認完了。積荷照会、一致」
「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」
管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。
「いやはや、寿命が縮みますな」
ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。
「ご配慮ありがとうございます」
それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。
暗褐色の海に覆われた惑星だった。
低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。
宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。
「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」
ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。
「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」
「助かりましたな」
「まだ早いですよ」
ユリウスは窓の外を見たまま言った。
「降りるまでが航海ですから……」
次の瞬間、船体が大きく震えた。
「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。
老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。
窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。
「おいおい……まだ持ってくれよ」
操舵士が舌打ちする。
「左舷外板、熱負荷上昇!」
「分かっている! だが今さらどうしようもない!」
激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。
船内に安堵の息が広がる。
ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。
「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」
ユリウスはうなずく。
「はい、安全第一でお願いします」
この間、彼は商人の服へ着替えていた。
付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目立たぬ作業員姿である。
ふたりは最小限の荷を宿へ預けると、潮の匂いと機械油の混じる街へ歩み出した。
「観光……でございますか?」
グレゴールが低く問う。
ユリウスは薄く笑った。
「視察だよ。だが、観光客の顔で歩く方が都合はいい」
異星人国家パニキアの辺境惑星「レーベ」の雑多な港町は、彼らを静かに呑み込もうとしていた。
◇◇◇◇◇
パニキア連邦の辺境惑星レーベは、帝国圏の人間から見れば、まるで悪夢と異国情緒を混ぜ合わせたような土地だった。
波打つ海は鉛色に重く、海上都市の桟橋には、ぬめる皮膚をした異星人たちが雑多に行き交っている。
触腕を揺らすタコめいた者。鱗に覆われた半魚人。甲殻を持つ節足のような商人。
その一方で、二本の脚と二本の腕を備えた、人間に近い体つきの者も珍しくはなく、商人姿のユリウス一行がことさらに目立つわけでもなかった。
「思っていたより、ずっとごちゃごちゃしているな」
ユリウスが低く呟くと、隣のグレゴールが周囲へ警戒の目を走らせた。
「油断は禁物でございます。異国は、人の形をしておらぬから怖いのではありません」
「分かってるよ」
ユリウスは苦笑した。
「むしろ、人に似てる方が厄介かもしれない」
彼らは港で、老齢の案内人を雇っていた。
海風に焼けた顔の男で、片目は白く濁っている。だが操るホバークラフトは実に滑らかで、海上の波間を燕のようにすり抜けてゆく。
「お客様方、海はお好きで?」
案内人が振り向きもせずに訊ねた。
ユリウスは身を乗り出し、灰色の水平線を見やった。
「はい、海ってすごいですね」
案内人が、かすかに笑う。
「おや、お客様は、海は初めてで?」
「まるで初めてという訳じゃないんだけど、赤茶けた資源惑星の出身なんだ。こうして、見渡す限り水ばかりという景色には慣れていない」
「なるほど。では、良いところにお連れしましょう」
ホバークラフトはさらに洋上へ出た。
やがて、白い海鳥――この星の鳥もカモメに似ているらしい――が無数に舞う海域へ差しかかる。
その下では、巨大な巻き網漁船が何隻も展開していた。
機械の唸り。甲板に響く怒号。
長大な網が海中から引き上げられるたび、銀色の魚群が陽光を弾き、滝のように船腹の選別槽へ流し込まれてゆく。
「おお……」
ユリウスは思わず声を漏らした。
「すごい量だ」
「レーベ自慢の大漁場ですよ」
案内人は煙草をくわえ、誇らしげに言う。
「我が連邦の前線基地へ送る保存魚の多くは、ここで揚がる品でしてね」
だが、その時だった。
グレゴールが、ユリウスの横顔に浮かんだ陰りを見逃さなかった。
甲板の上では、大量のノーム人たちが細い腕を必死に動かし、魚の選別と運搬に追い立てられていた。
小柄な身体。煤けた作業服。疲れきった目。
その背後を、電気鞭を持った半魚人たちが歩き回っている。
鞭が空を裂くたび、青白い火花が散り、悲鳴とも呻きともつかぬ声が風に混じった。
ユリウスの目が、ゆっくり細くなる。
先ほどまで海を見ていた時の明るさは、そこにはもうない。
「……あ、あんまり、どこも変わらないな」
その呟きは、波音に半ば呑まれた。
だが近くにいた二人には、はっきり聞こえていた。
案内人はしばし黙り込み、それから目を閉じて煙を深く吸った。
「海は広い。魚も多い。だが、人のやることは、案外どこの岸でも似たようなもんでさぁ」
グレゴールが低く問う。
「彼らは奴隷ですか?」
「正しくは違いますな」
案内人は吐き出した煙を風へ流した。
「重債務者、戦時徴用民、矯正奉仕員。呼び名はいろいろあります。便利でしょう? 綺麗な名前をつけりゃ、法と良心の網を掻い潜れる」
ユリウスは答えなかった。
ただ、網からこぼれ落ちる魚の銀光と、甲板でうずくまるノーム人の小さな背を、じっと見つめていた。
帝国も、反乱軍も、異星の連邦も、看板が違うだけで、腹を満たす仕組みの下には同じような誰かの汗と涙が沈んでいる。
ホバークラフトは波を切って進み続ける。
だがユリウスの胸には、海の広さよりも、人の営みの狭さの方が、重く残っていた。
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