第七十一話……ゲフェニアの客人
聖帝国暦六四五年八月中旬――。
帝国中央は、難攻不落のグラストヘイム要塞方面をいったん避け、旧第五管区であるルドミラ教国への侵攻を本格化させていた。
先日の艦隊戦で大勝を収めた帝国軍は、その勢いのまま、教国領外縁宙域にある惑星群への攻略戦へ移っていたのである。
帝国軍旗艦の艦橋で、作戦参謀が鋭く命じた。
「降下部隊を発進させよ!」
「了解! 揚陸艦隊、発進シークエンス開始!」
宇宙戦争において、惑星攻略の権利を握るのは制宙権を奪った側だった。
ゆえに、艦隊決戦の多くは、鉱山、農業プラント、造船所、あるいは補給基地を抱える経済価値の高い惑星近傍で起きる。
勝った側が空を押さえ、そのまま地表へ牙を突き立てる。
それが、この宇宙の戦の常道であった。
無数の揚陸艦が、艦隊列から切り離されて惑星へ降下してゆく。
その鈍重な船体は、正面装甲だけが異様なまでに分厚い。
宇宙基礎条約により、宇宙艦艇から地上への直接攻撃は禁じられている。
だが逆に言えば、惑星側から宇宙側への反撃には制限がない。
だからこそ、揚陸艦は「殴る艦」ではなく、「耐えて突っ込む艦」として設計されていた。
「敵地上部隊より砲撃!」
「荷電粒子砲、前面に集中!」
「気圏戦闘機隊を発艦させろ! 揚陸部隊を守るんだ!」
次の瞬間、地表から立ちのぼる荷電粒子の火線が、大気圏へ突入しつつある揚陸艦の正面装甲を激しく削った。
赤熱する艦首。
剥がれる耐熱板。
その周囲では、双方の気圏戦闘機が入り乱れ、雷鳴じみた機関砲火を浴びせ合う。
空はあっという間に火炎と破片で埋まり、制空権をめぐる殺し合いは、降下戦の様相をさらに苛烈なものへ変えていった。
迎撃をくぐり抜けた揚陸艦群は、ついに地表へ到達する。
巨大な質量が大地へ突き刺さるように着陸し、前面ハッチが爆ぜる。
そこから戦車、戦闘車、輸送ヘリ、空挺部隊が雪崩れ出た。
砂塵を巻き上げ、砲声を重ね、惑星防衛側の陣地へ一気に食らいついてゆく。
塹壕線では歩兵同士が撃ち合い、平原では戦車砲が火を噴き、空では撃墜された戦闘機が炎を引きながら墜ちていく。
このような戦いが、教国領各地で同時多発的に展開されていた。
多くの場合、結末は似ている。
制宙権を握った攻撃側が、物量と補給で守備側を押し潰すのである。
戦場は常に、空を制した者へ微笑む。
そして地上戦は、その勝敗の代価を、もっとも血なまぐさい形で支払うのだった
◇◇◇◇◇
聖帝国暦六四五年八月――。
長い航海の末、ユリウス一行は、ついにパニキア連邦の枢要都市のひとつである惑星ゲフェニアへ到着した。
そこは海霧のかかる巨大港湾都市であった。
白い塔は珊瑚のように枝分かれし、半透明の回廊は水槽じみた光を湛え、空中通路には人間型の者、触腕を揺らす者、甲殻に覆われた者が絶えず行き交っている。
帝国領の建築とは、発想そのものが違う。
ユリウスは周囲を見回しながら、異文明の厚みを無言で噛みしめた。
やがて、一行は連邦政府の庁舎へ通された。
出迎えたのは、しわくちゃの緑色の皮膚を持つ老役人だった。大きな黒い瞳を細め、丁重に一礼する。
「帝国の方がお越しになるのは、いったいいつぶりでありましょうか?」
「ずいぶん久方ぶりでしょうね」
ユリウスは穏やかに答えた。
「本日は、無礼な客としてではなく、話を持つ者として参りました」
「それは結構なことに存じます」
老役人は、乾いた葉の擦れるような笑い声を漏らし、一行を応接室へ案内した。
そこもまた、異星文化の粋が詰め込まれた空間だった。
天井からは発光藻の房が揺れ、机は金属ではなく生きた木材を削り出したような質感を持ち、壁面の装飾は幾何学模様なのに、どこか脈打つ内臓めいて見える。
見るものすべてが未知であり、グレゴールですら落ち着かなげに視線を泳がせていた。
応対に現れたのは、パニキア連邦最高評議会議員の一人だった。
ぬめりを帯びた緑の手で書類を持ち上げ、粘りつくような慎重さで一枚ずつ目を通していく。
机上の同時通訳機が、低い振動音を立てながら双方の言葉を変換していた。
「……我らとの同盟を望む、というわけですかな?」
ユリウスは背筋を伸ばした。
「はい、左様です。我らが帝国を統一した暁には、別紙記載の鉱物資源、補給港使用権、交易優遇措置をお認めいたします」
議員の眼が、ぬらりと光った。
窓の外には宇宙港が広がり、大小さまざまな艦艇が発着している。
その景色を背負うように、彼はしばし沈黙した末、ゆっくり言った。
「悪くない提案です。よろしい、二週間後の評議会にて討議いたしましょう。それまでは、当館にてごゆるりとなさってください」
「ありがとうございます」
ユリウスは差し出された黄色がかったべたつく手を握った。
感触は不快だったが、顔には一切出さない。外交とは、まずは表情筋の戦である。
その後、一行は青白い顔をしたメイドに案内され、貴賓室へ通された。
室内は広く、床には柔らかな藻繊維の絨毯、壁際には香りを放つ水盤、窓の向こうには港の灯がちらちら瞬いている。
豪奢というより、異様に贅沢だった。
夕食はさらに強烈だった。
半透明の切り身。
青い湯気を立てる粘液状のスープ。
殻ごと砕いて食べる小型甲殻類。
香辛料なのか薬品なのか判別のつかぬ匂いが卓いっぱいに漂う。
グレゴールが、なんとも言えぬ顔で皿を見た。
「閣下……これは、食べ物でございますか?」
「たぶんね」
ユリウスも同じような顔で答えた。
「少なくとも、相手は我々を毒殺するなら、もう少し上品にやるはずだ」
「その理屈は安心材料になりますかな……」
ふたりは変な顔をしながらも、ひと通り口をつけた。
外交使節に出されたものを残しすぎるのも礼を欠く。これもまた仕事だった。
食後には、石造りの巨大な浴場まで用意されていた。
ほとんどプールのような広さで、湯気の奥には異星風の彫像が並び、湯面には淡い燐光が漂っている。
貸し切りと聞き、グレゴールはようやく肩の力を抜いた。
「ここだけ見れば、敵地へ来た気がしませんな」
「油断はしないでね」
そう言いながら、ユリウス自身も、熱い湯へ身を沈めた瞬間だけは長旅の疲れがほどけるのを感じた。
その夜。
二人は十人は眠れそうな天蓋付きの巨大な寝台へ身を横たえた。
異国の香がほのかに漂う天幕を見上げながら、ユリウスは目を閉じる。
豪奢な客分として遇されてはいる。
だが実際には、帝国の未来を担保に差し出し、異星人の機嫌を量る交渉の只中にいるのだ。
ゲフェニアの夜は静かだった。
その静けさの下で、最高評議会のより良い結果を待つだけだった。




