第六十七話……革命はパンを焼かない
数か月前――。
旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。
豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。
この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。
彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。
税制は企業寄り。
港湾使用料は安く、投資家には甘い。
その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。
たしかに数字の上では繁栄している。
だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。
そんな折――。
第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。
その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。
人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。
伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。
「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」
「なんだと!?」
机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。
「警備隊は何をしておる!」
「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」
伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。
夜の街に、いくつもの火の手が見える。
怒号。
警報。
銃声。
経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。
「……すぐ脱出するぞ!」
「はっ!」
中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。
日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。
暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。
火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。
革命。
革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。
だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。
このままでは星そのものが壊れる。
そう悟った者たちがいた。
教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。
彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死に訴えた。
「このままでは、ただの略奪だ!」
「伯爵を追い払っても、次に誰が星を動かす!」
「怒りだけで飯は作れない!」
最初は罵声が飛んだ。
だが、叫び疲れた民衆の中にも、薄々気づいている者がいた。
このままでは、自分たちの手で自分たちの生活基盤を焼き払うだけだ、という事実に。
やがて人々は、次の統治者を選ぶための会議を始めた。
怒鳴り合い、机を叩き、何度も決裂しかけながらも、それでも話し合いは続いた。
そして最終的に、一人の名が浮かび上がる。
トミーロ。
現場出身の女性であり、配給局勤務を経て、各地区の労働者調整でも手腕を見せていた人物である。
彼女が広場の壇上へ立った時、群衆はまだ半信半疑の顔をしていた。
トミーロは荒れ果てた街を見渡し、低い声で言った。
「壊すのは簡単だよ。けどね、明日のパンを焼くのは、壊した後の人間さ」
ざわめきが止まる。
「怒りは分かる。私も同じだ。だけど、ここから先は略奪者じゃなく、統治する側の頭が要る。――この星を、もう一度、人が暮らせる場所に戻すよ」
◇◇◇◇◇
数か月前、惑星リチャードで始まった革命は、ほどなくして別の貌を見せはじめた。
新たな指導者に祭り上げられたトミーロは、当初こそ「民のための政」を掲げていた。
だが実際には、一部の武装勢力と結びつき、社会の上層にいた者たちへ敵意を向けてゆく。
資本家。
医師。
研究者。
教師。
いわゆる知識階級である。
広場に立ったトミーロは、熱に浮かされたような群衆へ拳を突き上げた。
「やつらが上に立つから、今の貧しさがあるのだ! やつらを、その地位から引きずり落とせ!」
「「おう!」」
怒号が渦を巻き、群衆は武装勢力に率いられて市街へ散った。
知識階級の邸宅は次々に襲われた。金庫は破られ、預金証書や権利証が奪われ衣服も家具も家電も荷車へ放り込まれる。
抵抗した者は殴られ、泣き叫ぶ家族ごと収容所へ連行された。
「さすが、トミーロ様だ!」
「これで俺たちの時代だ!」
奪われた富の一部は広場で分配された。
乾いたパン。保存肉。没収品の毛布。少額の紙幣。
昨日まで空腹に耐えていた者らにとって、それはたしかに救いに見えた。
トミーロは壇上から、さらに甘い声で告げる。
「貧しい子供たちにも、ちゃんとパンが食べられるようにするよ」
その言葉に、群衆は歓声で応えた。
惑星リチャードは慢性的な高物価に苦しみ、下層区画には貧民が溢れていた。
彼らの願いへ応えるのは、たしかに為政者の責務であったのかもしれない。
だが、責務を果たすには、善意だけでは足りない。
知識も、経験も、現実を見る目も必要だった。
ところがトミーロは、そうした現実を持たなかった。
「食料プラントの培地に、今の四倍の麦を植えよ。さすれば収穫も四倍になる」
「牛や羊、魚には二倍の餌を食べさせよ。さすれば肉の値は半分になる」
命令を聞いた現場監督たちは、青ざめながらも逆らえなかった。
農業技師は収容所。獣医も収容所。大学教員も研究者も、みな「人民の敵」として消えていたからだ。
止める者がいない。
訂正する者もいない。
愚かな命令は、そのまま国家方針として実行された。
結果は、当然ながら悲惨であった。
過密栽培を強いられた培地は急速に劣化し、養液バランスは崩壊。病原菌が増殖し、食料プラントは広範囲で機能不全へ陥った。
無理に飼料を増やされた家畜群でも代謝異常が続出し、やがて怪病が流行する。
腹は膨れても肉質は落ち、死体だけが飼育槽に浮かんだ。
革命は、民を救うはずであった。
だが現実には、食卓をさらに空にし、街に新たな恐怖を増やしただけだった。
しかも、その惨状は一惑星の内輪揉めでは済まない。
いまや惑星リチャードの崩壊は、アーヴィング大公国全体の深刻な政治問題となっている。
難民は周辺宙域へ流出し、食料不足は交易価格を押し上げ、収容所の噂は諸侯のあいだに不安を広げた。
つまり、革命の火は一つの星を焼くだけで終わらず、大公国そのものの足元を焦がしはじめていたのである。
パンを掲げた小さな革命は、気づけば知識を憎む飢餓政治へ変わっていた。
そしてその代償は、これから何年も、何万人もの命で支払われることになるのだった。




