第六十三話……見えざる傷
聖帝国暦六四五年六月初旬――。
グラストヘイム要塞宙域。
その宙域は、異様であった。
航行可能な空間は細長く、幾重にも折れ曲がり、まるで巨大な洞窟が宇宙に穿たれたかのように複雑にうねっている。
その最狭部。
わずかな進路の収束点に――
グラストヘイム要塞は鎮座していた。
ここを抜けねば、先へは進めない。
ここを落とさねば、新たな戦線は開かない。
ゆえに、この要塞は単なる拠点ではない。
――戦域そのものを制御する「栓」であった。
たしかに要塞は、先日の戦闘で深刻な損傷を受けていた。
だが。
パウルス元帥の指揮のもと、修復は異様な速度で進められていた。
内部構造には未だ致命的な脆弱性を残しているものの――
外観は。
依然として「不落」の名にふさわしい威容を保っている。
外殻は、高耐熱ニッケル超合金。
その表層には、絶えず流動する液体金属の層が波のようにうねり、あらゆる衝撃を分散させる。
さらにその上空。
プラズマ化した濃い茶色の気体嵐が渦を巻き、接近するエネルギー波を歪め、拡散し、無力化する。
センサーは撹乱される。
照準は収束しない。
並の艦隊では、接近することすら許されず、有効打を与えるなど論外であった。
そして。
あの傷もまた――隠されている。
惑星破壊砲「オーディンの剣」によって穿たれた、要塞中央部の致命的破孔。
それは今、液体金属と嵐の下に埋もれ、外部からは完全に識別不能となっていた。
だが。
「……完全ではない」
その「見えない傷」を、見抜こうとする者がいた。
帝国軍総司令部。
クライツ上級元帥。
彼の率いる大艦隊が、いま――この宙域へと迫りつつあった。
◇◇◇◇◇
「……傷は見えない、か」
帝国軍旗艦「ゼウス」艦橋。
総司令クライツ上級元帥は、グラストヘイム要塞を見据え、低く呟いた。
液体金属の奔流。
その上空を覆う、プラズマ嵐。
要塞は、視覚的にも、計測的にも、完全に「覆われている」。
だが。
「ですが、完全には隠しきれませぬ」
参謀が一歩進み出る。
「液体金属層の流動に、局所的な乱れ。周期が揃っておりません」
「気体嵐の偏流も同様だな」
クライツの目が細められる。
「……構造の『継ぎ目』か」
即座の理解。
防御層は完璧でも、その下の「傷痕」は完璧ではない。
「観測データを統合しろ。誤差を潰せ」
「はっ!」
命令一下。
全艦隊のセンサーが、要塞一点へと集中する。
距離、熱源、エーテル濃度、粒子流――
あらゆる情報が収集され、演算され、削ぎ落とされていく。
やがて。
歪みが、正面モニターに浮かび上がる。
不可視の一点が、確率から「確信」へと変わる。
「……発見」
誰かが、息を呑んだ。
クライツは、間を置かない。
「――撃て」
その一言で、戦場が動いた。
次の瞬間。
帝国艦隊、戦列ビーム砲艦八百隻。
艦首重収束ビーム砲――一斉射。
エネルギー光が、宙域を塗り潰した。
濃密な気体層に突入した光束は減衰し、液体金属層に触れた瞬間、無数に散乱する。
本来であれば、それで散るはずの一撃。
だが――違った。
八百門もの連続斉射。
圧倒的物量による同時収束。
散乱した光の一部が、なお「同一点」へと集まり続ける。
わずかな歪み。
そこへ、全てが吸い込まれる。
気体嵐が裂ける。
液体金属が、爆ぜる。
そして――
隠されていた「それ」が、露出した。
仮設装甲。
『オーディンの剣』によって穿たれた、未修復の傷跡。
「命中確認」
「中央防御層、破断!」
報告が連なる。
クライツは、わずかに口元を歪めた。
「――そこだ。叩き続けろ」
戦場は、すでに決定されようとしていた。
◇◇◇◇◇
「S-37中央区画、被弾!」
「隣接区画へ損傷拡大!」
要塞内部に、鈍い衝撃が連続して走る。
「……見抜いたか」
パウルス元帥は歯を食いしばった。
同時に、帝国艦隊左翼が伸びる。
包囲の第一段階――外縁への圧縮が始まっていた。
だが。
「――機動艦隊、出撃! 要塞への包囲を許すな!」
即断。
要塞の影から、六百隻。
パウルス直率の機動艦隊が、一斉に躍り出る。
「敵側面を叩け! 照準を散らせ!」
砲撃。
ミサイル。
至近距離からの集中火力。
帝国艦隊左翼の一角に、明確な圧力がかかる。
「効いている……!」
さらに。
「全艦載機、発進! 押し返せ!」
艦載機群が波のように展開し、乱戦を拡大。
照準系を攪乱し、ビームの収束を崩す。
帝国艦隊の火力が、わずかに鈍る。
その隙を逃さず。
パウルス艦隊は、崩した左翼を食い破り――
そのまま本隊へと突入した。
「このまま押し切れるか――」
だが。
「敵戦列ブロック、再編中!」
報告が響く。
乱れていた帝国艦隊が、瞬時に形を取り戻していく。
損傷艦が後退し、後方に待機していた予備戦力が隙間を埋める。
ブロック単位で再構成された戦列が、再び機能を回復していく。
「……早いな」
誰かが呟いた。
それはもはや艦隊ではない。
――一つの生きた機構の様だった。
その間にも。
突出してきた駆逐艦群が、距離を詰めてくる。
「新型光子魚雷、発射を確認!」
無数の弾体が跳ねるように加速。
迎撃網をすり抜け――
機動艦隊に突き刺さる。
爆発。
連鎖。
「第二戦隊、被害甚大!」
「後退させろ!」
◇◇◇◇◇
戦闘開始から、二時間が経過。
戦果は頭打ちとなり、損害のみが増大していく。
だが――
その代償は、無意味ではなかった。
「帝国軍、要塞攻撃を中断!」
「中央防御区画、再封鎖を確認!」
パウルス艦隊への対処を優先した結果、
帝国軍の主砲火は一時的に逸れた。
その隙に。
要塞外殻では、液体金属層が再流動を開始。
破断部を覆い隠し、再び防御を再構築していく。
重質気体嵐もまた勢いを取り戻し、照準を撹乱する。
「……時間は稼いだ、か」
パウルスは小さく息を吐いた。
「全艦、第二防衛線まで後退」
静かな命令。
「これ以上の機動戦は無意味だ。持久戦に移行する」
機動艦隊は離脱し、要塞防御圏内へと収まる。
だが。
帝国艦隊は、それを見越していたかのように前進する。
戦列は崩れない。
圧力だけが、増していく。
その時――
「要塞の自転の高速化を確認。損傷予想部位、観測範囲外へ移動中!」
要塞は突如、その自転速度を早め始めたのだ。
露出していた「傷」は、次第に宙域の裏側へと沈み込んでいく。
「……う、動くのか!?」
帝国側参謀の誰かが呟く。
グラストヘイム要塞。
その人工天体は、パウルスたちの指示によって、任意に自転を加速できるよう改良されていたのであった。




