第五十九話……氷原の亡霊艦ハンニバル
宇宙海賊船「モリガン」は、航路図に存在しない未知の惑星へと降下した。
その星は、氷に覆われていた。
恒星の光をほとんど反射しない鈍い白。
凍りついた大地は、どこまでも均質で、生命の痕跡を感じさせない。
だが――大気はあった。
降下に伴う摩擦で、「モリガン」の外殻が赤熱する。
燃え上がるような船体が氷原へと接触した瞬間、膨大な水蒸気が噴き上がり、周囲一帯を白く塗り潰した。
やがて霧が引く。
そこには、ただ静寂だけが残っていた。
「……なにか、あるかねぇ?」
ツーシームは軽く呟き、地質探査システムを起動する。
複数のスキャンが同時に走り、地下構造、鉱物分布、熱源反応を解析していく。
だが――
「……反応、薄いな」
資源として有望な鉱脈は見当たらない。
エーテル濃度も低く、採掘対象としての価値は乏しい。
「……ハズレか」
吐き捨てるように言い、安煙草を灰皿に押し潰す。
煙だけが、やけに濃く感じられた。
「まぁ、せっかくだ」
ツーシームは立ち上がる。
「少し歩いてみるかね」
「……正気ですかい?」
副長のビッグベアが低く返す。
外ではブリザードが唸りを上げている。
視界は悪く、地形データも不十分。
何より――この星は、あまりにも何もなさすぎた。
それが逆に、気味が悪い。
「連絡艇を出す。護衛はあんた一人でいい」
「……また無茶を」
ぼやきながらも、ビッグベアは従う。
やがて、小型連絡艇が「モリガン」から切り離され、氷原へと滑り出した。
白い嵐の中へ。
「まぁ、鉱石がなくてもさぁ」
操縦席で、ツーシームが気軽に言う。
「古代文明の遺跡とか、そういうのがあるかもしれないだろ?」
「……そういうのに当たると、大体ロクなことにならねえんですがね」
ビッグベアの声には、実感がこもっていた。
彼女の「思いつき」に付き合わされ、命を落としかけた回数は、一度や二度ではない。
ツーシームは小さく笑う。
だがその視線は、既に前方の白い地平に釘付けになっていた。
「――いや」
ぽつりと呟く。
「……こんなに何もないってのは、ちょっと不自然すぎるよ」
吹き荒れる雪の向こう。
均一すぎる氷の大地。
そのどこかに――
彼女には、何かが「隠されている」気配を感じている様であった。
◇◇◇◇◇
どれほど進んだのか。
白い地平は終わらず、ただ延々と続いていた。
樹木は一本もなく、動物の気配もない。
風と雪だけが、この星に「存在」を与えている。
「……定期連絡、感度良好」
通信士の声が、わずかに安堵をもたらす。
「モリガン」との回線は常に維持されていた。
それだけが、ビッグベアにとっての命綱だった。
三日三晩。
連絡艇は休むことなく飛び続ける。
そして――帰還用燃料が、無視できない水準まで減少した頃。
「船長……そろそろ、引き返さねえと」
ビッグベアが低く言った、その時。
地平線の彼方に、異物が現れた。
「……あれ」
ツーシームの声が、わずかに弾む。
「――あれだけ見て帰る。いいだろ?」
「……はい」
渋々の了承。
連絡艇は進路を変え、対象へと接近する。
やがて、それは輪郭を持ちはじめた。
「……宇宙船、ですかい?」
「……いや――でかすぎる」
ツーシームが、息を吐くように呟く。
センサー解析。
全長――約二六〇〇メートル。
超大型艦。
それも、ただの宇宙船ではない。
外装に見える構造から、明確に「戦闘艦」であると判別できた。
「降りるぞ」
着陸。
気づけば、吹き荒れていたブリザードは止んでいた。
雲の切れ間から、淡い光が差し込んでいる。
まるで――待っていたかのように。
二人は徒歩で艦へと近づく。
氷に覆われた外殻を、高周波サーベルで削り取る。
露出した金属面に、刻印が浮かび上がった。
「……艦名、『ハンニバル』……か?」
データベース照合。
――該当なし。
現存の帝国艦艇にも、退役した旧艦艇にも艦型が一致しない。
「型式不明、か。いいね、そういうの」
艦名の脇には、小さな落書きのような印があった。
相合傘。
そして、その下に刻まれた古い文字。
「……ヴェロヴェマ……クリームヒルト……?」
読み慣れぬ古代語。
だが、それが「名前」であることは、直感で理解できた。
ツーシームは、口元を歪める。
「ふうん? このバカでかい戦艦、誰かの愛の巣だったってわけか」
軽口を叩きながら、躊躇なくハッチへ手をかける。
――開く。
ロックはかかっていない。
「……おいおい」
内部へ踏み込む。
通路は清潔だった。
腐食もなく、空調すら生きている。
さらに奥では――無人のカーゴユニットが、規則正しく稼働していた。
「……まだ動いてるのか」
ビッグベアの声が、わずかに強張る。
「いいじゃないか。歓迎されてるみたいで」
ツーシームは気にも留めない。
「艦橋、行こうか」
「船長、深入りは――」
「ここまで来て帰る? そりゃ無理だ」
彼女は笑う。
その目は、完全に「当たり」を引いた者のそれだった。
二人はカーゴに乗り込み、艦橋へと運ばれる。
途中、清掃ロボットが静かに動き続けていた。
この艦は――誰もいないのに、死んでいない。
やがて。
艦橋の扉が、音もなく開く。
「……うは」
ツーシームが、思わず息を漏らした。
中央席。
そこにあったのは――
手を繋いだ、二つの骸骨。
一体は人間と思しきもの。
だがもう一体は、明らかに骨格が異なっていた。
「……あの相合傘の二人、かね」
「……でしょうな」
短いやり取り。
二人はそれ以上、何も言わなかった。
やがて外へ出ると、簡易掘削機で凍った大地を砕き、墓穴を掘る。
骸を並べ、連絡艇の資材で粗末な墓標を立てた。
「……ま、安らかに眠りな」
ツーシームが軽く手を合わせる。
「――で、この船はアタイが貰う」
「……は?」
ビッグベアの思考が止まる。
「いやいやいやいや! こんな得体の知れない船、放っときましょうよ!」
「こんな『当たり』を見逃すほど、あたしは品行方正じゃないんでね」
ツーシームは笑う。
その笑みは、危険そのものだった。
こうして。
正体不明の超大型艦「ハンニバル」は――
海賊船「モリガン」によって曳航され、惑星ヴァルカンへと運ばれることとなった。
この艦は何を内に秘めているのか。
それを知る者は、まだいない。




