第五十三話……欲望の戦線
聖帝国暦六四五年三月上旬――。
新たな領地と爵位を手にしたアーヴィング大公国旗下の貴族たちの士気は、天を突かんばかりに高まっていた。
祝宴の杯がまだ乾かぬうちに、彼らはそれぞれの艦隊を率いて帝国領へと雪崩れ込んでいく。
理由は単純だ。
この戦では、切り取った星域は、そのまま戦功を挙げた貴族の領地としてよいという規則が、事前に定められていたからである。
「旗艦前進! 次の星系も押さえるぞ!」
「補給船団は後ろからついてこい!」
艦隊通信が乱れ飛び、私兵艦隊は次々と星系境界を越えていった。
だが、その光景を冷ややかな目で見ている者もいた。
正規軍の司令部である。
「大公様……」
大公国軍宇宙艦隊司令長官パウルス元帥は、作戦図を見つめながら眉をひそめる。
「いくらなんでも、これは無秩序すぎるのではありませんか。各貴族が勝手に侵攻していては、戦線の維持が難しくなります」
アーヴィング大公は腕を組み、静かに笑った。
「貴官の言いたいことは分かる」
そう言ってから、ゆっくりと続ける。
「……だがな、この勢いをわざわざ削いでは本末転倒だ。今は、貴族たちが自分の領地を取りに行く『熱』が必要なのだ」
そして、机上の星図を指で叩く。
「貴官ら正規軍人は、前線の連中が暴れられるよう――後方で補給を整えてやればよい」
「……かしこまりました」
パウルス元帥は一礼した。
前線で戦うこと自体は、ある意味、誰にでもできる。
だが数百隻の艦隊と数百万の兵を支える補給網を、戦況に応じて組むには軍事教育を受けた専門家の手腕が不可欠だった。
その頃、前線では――
「撃て! 撃てぇ!」
私兵艦隊の艦長が叫ぶ。
「臆病な帝国軍は逃げているぞ!」
大公国軍の私兵艦隊は、正規軍と比べれば装備も艦艇性能も劣っていた。
だがその不足を補って余りあるものがあった。
欲望である。
恩賞目当ての宇宙海賊、流浪の傭兵団、辺境の独立艦隊。
彼らが次々と大公国側へ合流し、艦隊の規模は膨張を続けていた。
そして戦場では、結果がすべてだった。
帝国軍の士気は明らかに低かった。
偽帝を戴く中央政府に、家名の尊厳と命を賭ける理由が見つからないのだ。
宇宙戦でも、地上戦でも、各地で帝国軍は敗北を重ねる。
戦線は崩れ、要塞は孤立し、兵士たちは次々と武器を捨てた。
わずか一週間。
その短い期間で、降伏した帝国兵は百万を超えた。
星図の上では、アーヴィング大公国の勢力が、ゆっくりと、しかし確実に広がっていった。
◇◇◇◇◇
連戦連勝の報が、次々と届いていた。
だがユリウスは、その戦列に加わってはいなかった。
彼は今、複数の星系に広がったアストレア領の内政で手一杯だったのだ。
アーヴィング大公の親族となり、領土も急速に拡大した今、もし彼が大軍を率いて前線に出れば、他の貴族家から嫉妬と警戒を招くことは明らかだった。
そのためユリウスは、前線には象徴的な少数の援軍を送るにとどめ、戦費を抑え、その分の資金を支配星域の開発へと注ぎ込んでいた。
宇宙港湾の整備。
採掘施設の拡張。
農業ドームの建設。
星間交易路の整備。
さらに彼は、領民の陳情にも積極的に耳を傾け、支配地での民意を味方につけることに心を砕いていた。
だが、その施策の最中、奇妙な苦情が相次いだ。
――ある大企業が、強硬な買収を仕掛けている。
その企業の名は、アルテミス商会。
アストレア侯爵家が筆頭株主であり、そして社長は――ツーシームだった。
◇◇◇◇◇
「何を強硬な拡大経営をしているんだ?」
ユリウスは、半ば呆れたような顔で言った。
突然事務所に乗り込んできた彼を見て、ツーシームは心底驚いた顔をした。
「……え?」
しばらく沈黙してから、首を傾げる。
「企業規模を大きくして、他社より優位に立とうとするのは当たり前じゃない?」
彼女にとっては、あまりにも当然の理屈だった。
ツーシームの説明によれば、トロスト技師の協力でエーテル油田の採掘効率が飛躍的に向上し、それによって生まれた優位性を用い、価格破壊を仕掛けて競合企業を次々に買収しているのだという。
「効率が上がる → 価格を下げる → 他社が潰れる → 買収する → さらに効率化」
彼女は指を折りながら説明した。
「これ、すごく綺麗な循環なんだけど?」
ユリウスは頭を抱えた。
「だが、領民から苦情が――」
「だってさ」
ツーシームは言葉を遮った。
「カタコン上級大将の兵士たちへの補償額、覚えてる?」
その言葉で、ユリウスは黙った。
「天文学的な額だよ?」
彼女は椅子の背にもたれ、安煙草に火をつける。
「普通の経営じゃ絶対に捻出できない。だから私が稼いでるんじゃないか」
アルテミス商会は、いわば政商だった。
その莫大な利益は、アストレア侯爵家の財政の大部分を支えている。
そして、その金が――
ユリウスの理想的な政治を可能にしていたのだ。
「……う、いや」
ユリウスは目を逸らした。
「なんでもない」
それだけ言って、彼は気まずそうに事務所を後にする。
ユリウスは徳の人だった。
民衆からも広く支持されている。
だが、その政策の費用の多くは――
ツーシームたちが、事業で稼ぎ出した金だった。
◇◇◇◇◇
「ちょっと、可哀そうなんじゃない?」
彼が去った後。
事務所のソファーに寝転がりながら、トロスト技師が欠伸混じりに言った。
「怪しい薬の中毒者に言われたくないね」
ツーシームは紫煙を吐きながら答える。
しばらく沈黙。
彼女はふと、自分の太ももを見下ろした。
最近は椅子に座って書類仕事ばかりだ。
戦場を駆け回っていた頃と比べ、身体が少し鈍ってきている気がする。
「……体、なまってきたな」
そう呟きながら、彼女は煙草を灰皿に押しつけた。




