第五十二話……十三人の総統
――総統官邸最上階。
厚い装甲窓の外では、首都星ルシフェルの軌道を巡る星々が、静かに流れていた。
寝室には甘い香りの香油が漂い、照明は柔らかく落とされている。
その豪奢な寝台の上で、ノクターン総統は絹の寝具に埋もれ、女を腕に抱いたまま大きな寝息を立てていた。
旧帝国領の半分を動かす男も、この瞬間だけは無防備だった。
――その時だった。
床板が、ほとんど音もなく開く。
暗闇の中から、黒装束の男が這い上がってきた。
官邸の防衛網を潜り抜け、ここまで辿り着いた刺客である。
男はゆっくりと立ち上がると、寝台の脇に歩み寄り、消音銃を構えた。
照準は、眠る総統の胸。
その時、腕に抱かれていた女が、うっすらと目を開けた。
「……誰?」
短い沈黙。
次の瞬間、消音銃が低く鳴った。
ぷつん、と乾いた音。
総統の身体がわずかに跳ね、赤い血が白い寝具に広がる。
だが――
ほぼ同時に、もう一発の銃声が響いた。
女の手に握られていた小型拳銃が火を噴き、暗殺者の胸を撃ち抜いたのだ。
男はよろめき、床へ崩れ落ちる。
「……お、お前は……」
彼は震える指で女を指した。
「宰相……ローゼンタール!?」
銀髪の女は、静かに銃口を下ろした。
その表情には、わずかな冷笑が浮かんでいる。
暗殺者は驚愕の表情のまま、やがて動かなくなった。
部屋は再び静寂に包まれた。
ただ、寝台の上で流れ続ける血だけが、ゆっくりと絹を染めていた。
◇◇◇◇◇
――翌朝。
総統官邸の小会議場では、いつも通り朝の閣議が開かれていた。
閣僚たちが席につき、ざわめきが広がる。
やがて扉が開いた。
最後に入室してきたのは――
宰相ローゼンタール、そしてその後ろを歩くノクターン総統であった。
壮健そのものの姿で。
「……ば、ばかな!?」
思わず声を上げたのは、外務卿コーレイン伯爵だった。
周囲の閣僚たちは、彼が何を驚いているのか理解できず、怪訝な顔を向ける。
その瞬間だった。
「コーレイン伯爵を捕らえろ!」
ローゼンタール宰相が、鋭い声で命じた。
「罪状は――総統への反逆罪だ!」
扉が一斉に開き、武装した警備兵が雪崩れ込む。
抵抗する間もなく、コーレイン伯爵は床に押さえつけられ、拘束された。
「くそっ……!」
彼は歯を食いしばる。
「……あれは影武者だったか!?」
引きずられていく伯爵の背中を見送りながら、ローゼンタールは小さく呟いた。
「……ふふふ」
冷たい微笑。
「総統は本物よ」
ほんの一瞬の間。
「ただし――十三番目のね」
そして宰相を伴いながらノクターン総統は上座へ歩み、ゆっくりと席に着いた。
閣僚たちは顔を見合わせながらも、誰一人として口を開かない。
やがて何事もなかったかのように、その日の議事が始まったのだった。
◇◇◇◇◇
ユリウスは、アーヴィング大公から婚儀の持参金として、ゴチエ宙域のエーテル鉱区の一角を授かっていた。
だが、その区域はすでに枯れかけた油井ばかりが並ぶ、錆びついた採掘地帯だった。
古い採掘リングは軌道上に朽ちかけた骨格のように漂い、かつての繁栄を物語るだけの遺物にすぎない。
この死んだ鉱区へ、新型掘削装置を伴ってやってきたのは――
宇宙麻薬中毒だが有能な技師、トロストであった。
彼はツーシームと共同開発した装置の実験のため、この地へ乗り込んできたのだ。
「重力共振装置、起動します」
低い電子音とともに、採掘リングの巨大な構造体がゆっくりと振動を始めた。
やがて、機械の唸りは深く重い低音へと変わる。
観測窓の外。
虚空に穿たれた採掘孔の周囲で、目に見えぬ宇宙エネルギーが静かに揺らぎ始めた。
散逸していたエーテルが、まるで潮流のように井戸へ引き寄せられていく。
青白い微光が、真空の中にかすかな渦を描いていた。
「流量、上昇中……二割増しです」
観測士官が声を上げる。
トロストは細い指で端末を叩きながら、目を細めた。
「まだ上がる。共振を固定しろ」
技術士官が即座に応じる。
「共振固定――完了!」
計器の針が跳ね上がった。
「三割突破!」
ブリッジに静かなざわめきが広がる。
かつて枯れたはずの宇宙油井が、まるで新たに掘り直されたかのように、息を吹き返したのだ。
老臣グレゴールは、観測窓の外を見つめたまま呟く。
「……こ、こんなことが」
彼は思わず声を震わせる。
「いや、待てよ。この調子なら、惑星ヴァルカンの周辺でも……。もしや――」
「もちろん、できますとも」
トロストが振り向いた。
宇宙麻薬でこけた顔に、ぞっとするような笑みを浮かべている。
「同じ原理ですからね」
その言葉を聞き、老臣の胸中に電撃のような思考が走る。
戦功によってアストレア家がアーヴィング大公家から与えられた領地は、すでに四つの有人星系を数えている。
そしてそのすべてが、かつてのヴァルカンのような――
眠れる資源惑星を抱えていた。
さらに交易中継地として発展を始めた惑星ヴァルカンでは、新型位相鉄の精錬施設が急ピッチで建設されている。
資源、技術、交易。
その三つが、いま一つに結びつこうとしていた。
「先代様……」
グレゴールは、静かに夜空を見上げた。
暗殺に倒れた亡き当主――
ユリウスの父の姿が脳裏に浮かぶ。
「若様の先行きは……末恐ろしいですぞ」
死んだはずの鉱区が、次々と銀河文明の産業の源たる量子エーテルを吹き出し、その財貨がアストレア家に流れ込もうとしていた……。




