第五十一話……大公国成立
ツーシームは惑星ヴァルカンの軌道上に浮かぶ、宇宙船用の中型ドックに姿を現していた。
広大な格納空間には白色灯が並び、無数の整備アームが忙しなく伸び縮みしている。
金属を切削する甲高い音と、冷却材の噴き出す低い唸りが、油と焼けた鉄の匂いを伴って充満していた。
その中央で、海賊船「モリガン」は外装を剥がされ、まるで解体途中の獣のように横たわっている。
「商会長、こんな油臭いところへようこそ」
振り返った男――元星間ギルドの主任技師、トロストは、作業服の袖をまくり上げたまま笑った。
頬はこけ、目の奥は妙に冴えている。
「ああ。いつ戦いがあるかわからないからね」
ツーシームは周囲を見回し、眉をひそめる。
「……それより、宇宙大麻を少し控えたらどうだい? 身体にさわるよ」
「はは、これがないと脳みそに数字が踊りませんや」
冗談とも本音ともつかぬ調子で、トロストは肩をすくめた。
彼は今、惑星ヴァルカンにおける位相鉄鉱の精錬事業に、ほぼ寝ずに打ち込んでいる。
「で、精錬効率は上がっているのかい?」
「ええ、品質はもう商業ベースに乗っています」
トロストは作業端末を叩き、数値を表示させた。
「位相鉄は、単体で使うよりも他の素材と混ぜた方が、コストパフォーマンスが跳ね上がる。純度を四割台で抑えれば、競合相手にも勝てますからね」
「あんた、意外と経費のことも考えるんだな」
ツーシームは鼻で笑う。
「研究者ってのは、純度さえ上げれば後は知らん、って連中だと思ってたよ」
「ですが――」
トロストはちらりと彼女を見る。
「商会長の『モリガン』の装甲だけは、位相鉄鋼九九・八九パーセント指定でしたよね?」
「ああ」
ツーシームは即答した。
「その件は、皆には黙っとけよ」
「了解です」
即座に頷き、トロストは不敵に笑う。
「その代わり……こちらを覗いてもらえませんか?」
彼が指し示したのは、ドック奥に据え付けられた巨大な量子顕微鏡だった。
複雑な配線と冷却管に囲まれ、青白い光を放っている。
ツーシームは無言で覗き込む。
「……ん? これか?」
レンズの向こうで、青い粒子の流れが、左方向へと緩やかに引きずられている。
「なんだか……青い物質が、左に流れてるな」
次の瞬間だった。
「うは――っ! あんた最高だよ!!」
トロストが、作業台を叩いて大声で叫んだ。
「これが見えるのか!?やっぱり本当だったんだな!『重力が視える』って話!!」
「……アンタ呼ばわりはやめな」
ツーシームは少しむくれたが、否定はしなかった。
「研究には協力してやる。だが――」
彼女は低く声を落とす。
「例の改造計画は、極秘だぞ」
「お任せあれ!」
トロストは、宇宙麻薬でやつれた顔に、妙に生き生きとした笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、ツーシームは納得しつつも、言いようのない気持ち悪さを覚える。
(……こいつの能力、信用していいのか悪いのか)
油と鉄と狂気の匂いが混じるドックの中で、宇宙海賊船「モリガン」は静かに生まれ変わろうとしていた。
◇◇◇◇◇
聖帝国暦六四五年三月初旬――。
アーヴィング大公国の首都星クラウゼンにおいて、ひときわ大きな華燭の典が執り行われていた。
天井高く設えられた大祝宴殿には、星光を模した照明が降り注ぎ、白と金を基調とした装飾が眩いほどに輝いている。
新郎は、アストレア侯爵ユリウス=アストレス。
新婦は、アーヴィング大公の一人娘、セーラ。
セーラはまだ幼く、婚姻はあくまで形式的なものであった。
だが、その政治的意味合いは極めて重い。
この結婚によって、アストレア家は大公家の家宰とも言うべき立場に据えられ、大公国の中枢を実質的に支える存在となったのだ。
「めでたき儀に――乾杯」
アーヴィング大公が杯を掲げる。
「「乾杯!」」
参列した貴族たちが一斉に唱和し、祝宴の幕が切って落とされた。
この場には、旧第五総管区を制したハディード教皇国から、軍事部門筆頭であるラヒーム将軍の姿もある。
さらに、パニキア連邦、人類統合共和国といった列強国家からも要人が招かれていた。
かつての帝政下では考えられぬほど、祝宴の顔ぶれは多様であり、どこか異様ですらあった。
長卓に並べられた料理は、まさに銀河の縮図だった。
地球系文化圏由来の香草で味付けされた大型獣肉のロースト、海王星型惑星で培養された透明な海産生物の冷製、珪素生命圏向けに結晶化された鉱物質の前菜、さらには異星人用に用意された高エネルギー流動食まで並ぶ。
地球人系の外交官が、慎重にフォークを使って肉を切り分ける隣で、硬い外骨格を持つ異星種の代表が、器ごと料理を溶解消費している。
「いやはや、この香辛料は刺激的だ。我が星では神経節が焼けると禁制なのだが」
「そうですか? 地球文明では『食欲をそそる』程度ですよ」
そんな会話が、あちこちで交わされる。
人類統合共和国の文官が、異星人代表にワインを勧めると、相手は首を振り、代わりに発光性の発酵液を差し出した。
「我々にはこちらの方が、時間感覚が安定するのでな」
「……それは、酔うという意味ですか?」
「似たようなものだ」
笑いが起きる。
だが、その笑顔の裏では、互いの軍事力、経済力、そして新生大公国の将来を測る視線が交錯していた。
ユリウスは、祝宴の中央で杯を手にしながら、その光景を静かに見渡す。
これは祝福の場であると同時に、明日に向けた国際秩序の顔合わせでもあった。
幼いセーラは、乳母に付き添われながら、きらびやかな広間を不思議そうに眺めている。
彼女にはまだ、この婚姻が背負う重さは分からない。
だがこの日、アストレア家とアーヴィング大公国、そして銀河の諸勢力は、同じ食卓を囲んだのだ。
それは、帝国一強の時代が終わり、新しい時代が始まったことを告げる、静かな祝宴でもあった。




