第百十七話……枢機卿と宰相
――聖帝国暦六四五年九月下旬。
旧帝国軍が、新たに二個正規艦隊と十個師団もの精鋭惑星地上軍を、ルドミラ戦域へ増派する。
その情報が伝わるや、ルドミラ教国の首都星ヒンデンブルクは騒然となった。
ただでさえ旧帝国軍の侵攻を食い止めるため、各地から兵力をかき集めている最中である。
そこへ、さらに大規模な増援が送り込まれるのだ。
「なぜじゃ!」
教皇宮の軍議室で、サリーム=アル=ハディード教皇は卓上を叩いた。
「なぜ中央政府の奴らは、これほど我らにばかり軍を向けられるのだ!」
向かいに座る腹心、ナシール=イブン=ラヒーム将軍は、難しい表情を浮かべた。
「教皇猊下。一つ、気になる情報がございます」
「申せ」
「中央政府は、新帝国と何らかの取り決めを交わした可能性がございます」
「何?」
「確証はございませぬ。ですが、ここしばらく、アストレア聖帝国の主力艦隊は首都星グラウゼン周辺からほとんど動いておりません」
ラヒームは星域図を表示した。
「中央政府がこれほど大胆に我が国へ兵力を集中できるのも、背後にいる新帝国が動かぬとの確信があるからではないかと」
「……くそっ」
ハディード教皇は、椅子の肘掛けを握り締めた。
「だから、戦闘艦も兵士も送らず、食料や医薬品ばかり寄越してくるのか?」
「おそらくは」
「ぐぬぬぬ……あの偽皇帝め」
教皇は怒りに顔を歪めた。
「こちらには友好国の顔をして物資を送りながら、裏では中央政府と手を握っておるというのか!」
「まだ証拠はございません」
「分かっておる!」
ハディードは立ち上がった。
「だからこそ、直接問いただす必要がある。至急、エロー枢機卿を呼べ!」
「エロー枢機卿を?」
ラヒームが目を丸くした。
エローは、かつて教国内でハディードに教皇の座を強奪されている。
現在こそ枢機卿の地位に収まっているが、元をたどれば政敵であった。
「あの者を、お使いになるのですか?」
「使える者を使わずして、どうする」
教皇は鼻を鳴らした。
「奴は古代の知識にも通じ、頭も回る。何より弁が立つ。外交使節にはうってつけではないか」
「しかし……」
「心配するな」
ハディードは嫌な笑みを浮かべた。
「奴の弱みは、こちらが握っておる。裏切ることなどできぬよ」
「……それならば、異論はございません」
こうしてルドミラ教国は、超光速通信によって新帝国へ繰り返し援軍派遣を求める一方、正式な使節を派遣することを決めた。
とはいえ、証拠もないまま、「中央政府と密約を結んだのではないか?」などと正面から問い詰めるわけにはいかない。
友好関係を壊さぬよう笑顔を見せながら、相手の腹の内を探る。
その微妙な匙加減を要求される仕事は、老練な政治家であるエロー枢機卿へ託されたのであった。
◇◇◇◇◇
幸いにもエロー枢機卿は、新帝国との国境に近い星域を布教のため巡回していた。
現地で急ぎ準備を整え、定期高速艇乗り継ぎ、およそ十日。
彼はアストレア聖帝国の暫定首都星グラウゼンへ到着した。
「……ほう」
宇宙港へ降り立ったエローは、思わず周囲を見回した。
予想していた光景とは、かなり違っていた。
貨物用の宇宙船が絶え間なく離着陸し、軌道エレベーターから大量の物資が降ろされている。
商人たちは大声で取引を行い、飲食店には客が並び、街路を行き交う市民の服装にも、戦争で困窮している様子はあまり見られなかった。
「ずいぶんと……活気がありますな」
エローは小さく呟いた。
ルドミラ教国とは、まるで違う。
教国では長期にわたる戦時動員によって生産力が落ち、輸送船まで軍用へ徴発されている。
物資不足から物価は上昇。
食料や燃料の価格も高騰し、庶民の生活は日に日に苦しくなっていた。
一方の新帝国は、戦争を終えてまだ間もないというのに、すでに復興の熱気に包まれている。
エローは、その違いを注意深く目に焼きつけた。
「ようこそ、お越しくださいました。エロー枢機卿猊下」
聞こえてきた声に、エローは振り返った。
老人が一人、儀仗兵を従えて立っている。
「これはこれは」
エローは驚いたように両手を広げた。
「グレゴール宰相閣下みずからお出迎えとは、感謝の至りでございます」
「友邦からの大切な使節ですからな。陛下からも丁重にお迎えするよう申しつけられております」
「ありがたきことにございます」
グレゴールが新帝国の宰相に就任したことには、いくつか理由があった。
一つは、ユリウスが幼い頃から彼に仕え続け、幾度となくその命を救ってきた功臣であること。
そして、もう一つ。
ユリウス自身が、強力な皇帝権を望んだからである。
彼は、亡きアーヴィング大公の苦労を間近で見ていた。
有力貴族の機嫌を取り、議会の顔色をうかがい、商会や地方諸侯との利害調整に追われる。
大公という強大な地位にありながら、思うように政策一つ決められない。
その姿を知っていたユリウスは、同じ轍を踏むつもりがなかった。
新帝国議会は、設置準備こそ進められているものの、いまだ正式には開設されていない。
その間、国政の中枢は皇帝と、物言わぬ宰相を中心とする官僚組織によって運営されていた。
すなわち現在のアストレア聖帝国は、極めて皇帝権の強い国家として形作られつつあったのである。
◇◇◇◇◇
宇宙港の正面には、儀仗兵と軍楽隊が整然と並んでいた。
その中央を、真紅の絨毯が伸びている。
絨毯の先には高級車が待機し、その周囲を物々しい装甲車が固めていた。
「どうぞ、こちらへ」
「恐れ入ります」
エローはグレゴールと並び、高級車の後部座席へ乗り込んだ。
その時だった。
運転席に座っていた赤髪の女が、窓を開けた。
口にしていた煙草を抜くと、「ふう……」と、何のためらいもなく、外へ放り捨てる。
「……」
グレゴールが頭を抱えた。
「何度言えば分かるのじゃ……」
「ん? なんか言った?」
「何でもない!」
エローはそのやり取りを横目で見たものの、特に気にした様子もなかった。
高級車がゆっくり走り出す。
しばらく、二人は無難な外交上の世間話を交わしていた。
……だが。
エローがふと、グレゴールの横顔を眺めた。
「……しかし、宰相閣下」
「何でしょう?」
「我々は、以前どこかでお会いしたことがございませんかな?」
グレゴールも眉を寄せた。
「さて……」
もう一度、エローの顔を見る。
「言われてみれば、わしもそのような気がいたしますな」
「でしょう?」
「ですが、どこであったか……」
「私も思い出せませぬ」
互いに首をひねる。
老人二人が、しばらく無言で顔を見合わせた。
「……」
「……」
そして。
「……あっ!?」
「……おお!?」
二人が同時に声を上げた。
「お前、まさか……バルトルトか!?」
「ああ!? あの泣き虫のドミニクか!?」
「誰が泣き虫だ!」
「お前じゃ! 夜になると腹が減ったと毎晩泣いておったではないか!」
「お前だって、院長の保存食を盗んで殴られておっただろうが!」
突然始まった老人二人の言い争いに、助手席の護衛官が思わず振り返った。
彼らには、意外な共通の過去があった。
二人とも戦災孤児だったのである。
幼い頃、同じ孤児院に預けられ、同じ粗末な食事を分け合って育った。
その後、二人の人生は大きく分かれた。
エローは才能を見込んだ修道士に引き取られ、教会の教育を受けた。
一方のグレゴールは、働き手として惑星ヴァルカンへ送られ、鉱夫となった。
そこから長い年月が流れた。
エローは聖職者として学問を修め、権謀術数渦巻く教会上層部を生き抜き、ついには枢機卿にまで上り詰めた。
グレゴールもまた、鉱夫から身を起こし、アストレア家へ仕え、今では一国の宰相である。
二人とも、若い頃からよく働いた。
よく学んだ。
そして、何より運にも恵まれた。
孤児院で空腹に耐えていた二人の子供が、数十年の時を経て……。
一人は枢機卿。
一人は宰相。
互いに国家を背負う立場となって、再び同じ車の中に座っていたのである。
「……まったく、世の中とは分からぬものですな」
エローが呆れたように笑った。
「まことにな」
グレゴールも笑う。
先ほどまで特務外交使節と宰相であった二人の間から、わずかに形式張った空気が消えていた。
エロー枢機卿が背負ってきた難しい外交問題は、まだ何一つ解決していない。
だが、その日の会談は少なくとも、両国政府が予想していたものとは少し違った始まり方をすることになったのであった。




