第百十五話……勝者になる前に
ユリウスによる量子エーテルの増産計画は、新帝国の総力を挙げて、凄まじい勢いで進んでいた。
トロストの開発した新型精製施設に加え、枯渇したと考えられていた油田から残存エーテルを回収する新技術も、次々に実用化のメドがつけている。
新帝国政府の内部試算によれば、このまま設備の増設が続けば、翌年にはユリウスの支配地域だけで、旧帝国版図全体の量子エーテル生産量のおよそ半分を占める可能性すらあるという。
もちろん、この数字は最高機密とされた。
それが外部に知られれば、中央政府のみならず、第四総管区の金融資本や周辺諸国までが、何らかの行動を起こしかねない。
……だが。
どういうわけか、その変化を敏感に察知した国があった。
旧第六総管区の支配者が変わったことを受け、友邦であるパニキア連邦から外交使節団が訪れたのである。
◇◇◇◇◇
ユリウスはすぐに会見の場を設けた。
パニキア連邦とは、旧大公国時代から一定の友好関係にある。
まずは従来の不可侵条約を延長し、国境を安定させる。
ユリウスは、その程度の会談になるものと思っていた。
「我が国としては、従来の不可侵条約をそのまま延長したいと考えております」
ユリウスがそう切り出すと、向かいに座る外交特使の体が、ぷるりと揺れた。
人間ではない。
半透明のアメーバにも似た、不定形の知的生命体である。
その体内では青や紫の器官らしきものがゆっくり動き、話すたびに表面が波打っていた。
もっとも、直接言葉を発しているわけではない。
机上の同時通訳機を介し、落ち着いた人工音声が流れてくる。
「不可侵条約の延長について、我々にも異論はありません」
「それはよかった」
「ですが、本日はそれとは別に、我が主より提案を預かっております」
「提案?」
アメーバ状の外交特使は、体の一部を細長く伸ばした。
それが器用に書類をつかみ、ユリウスの前へ置く。
「我々パニキアは、少しばかり諜報活動に秀でております」
「少しばかり、ですか」
「謙遜は交渉の基本と学習しておりますので」
「なるほど……」
ユリウスは苦笑した。
「収集した最新の政治、軍事、経済情報を、我らが主であるマザーコンピューターへ入力し、今後の情勢について予測を求めました」
「それで?」
「回答は、こちらにございます」
ユリウスは書類へ目を落とした。
そして。
「……えっ?」
思わず、間の抜けた声が出た。
もう一度読む。
読み間違いではない。
「これは……本気なのですか?」
「もちろんです」
多種多様な非人類型種族によって構成されるパニキア連邦。
その国家が、ユリウスの新帝国への従属を申し出ていたのである。
「我々パニキア連邦は、ユリウス=アストレア皇帝陛下を宗主と仰ぎ、新帝国の庇護下に入ることを望みます」
ユリウスはしばらく言葉を失った。
「いや、待ってください。僕たちは、まだ中央政府よりはるかに弱いんですよ?」
「現在は……」
通訳機が即答した。
「五年後、十年後について、我が主は別の回答を示しております」
「……なるほど」
「ゆえに、あなた方が勝者になってから臣従するより、勝敗の決まらぬ今のうちに臣従する方が、我々にとって有利であるとの判断です」
実に合理的であった。
情緒も、倫理も、浪漫もない。
それは将来有望な勢力へ、株価が安いうちに投資しておこうという発想に近かった。
「ただし、いくつか条件がございます」
「……でしょうね」
「第一に、量子エーテルおよび位相鉄鉱石について、我が国が必要とする量を、常に市場最低水準の価格で安定供給していただきたい」
ユリウスは眉を上げた。
かなり大きな要求である。
だが、急増するエーテル生産量を考えれば、不可能ではない。
「そして、我々が陛下への従属を望む理由は、資源だけではありません」
「……と、いうと?」
「皇帝陛下は、ノーム人をはじめ、種族による差別を認めぬ政策を進めていると聞いております」
「はい。そのつもりです」
「それは、人類から異形とも呼ばれてきた我々パニキアにとって、極めて好ましい政策です」
外交特使の体が、少しだけ大きく膨らんだ。
どうやら、人間でいう笑顔に近い反応らしい。
「我々は、新帝国臣民と同等の権利を望みます。種族のみを理由として、法的な不利益を受けないことを保証していただきたい」
「それは約束できます」
「ありがとうございます」
「他には?」
「もう一つございます」
「どうぞ」
外交特使は、少し間を置いた。
「今後、新帝国へ降伏、あるいは臣従する国家や諸侯が現れた場合、我々パニキアを、それらより上位の地位に置いていただきたい」
「……」
ユリウスは瞬きをした。
平等に扱ってほしい。
しかし、後から来た者と平等に扱われては困る。
実に外交というものの本質を突いた要求であった。
「つまり、一番最初に臣従した者として、相応の扱いをしろと?」
「左様でございます」
ユリウスは思わず笑いそうになった。
だが、条件そのものは悪くない。
現在の新帝国軍だけでは、中央政府軍と正面から戦えば、なお兵力で大きく劣る。
パニキア連邦を傘下へ加えれば、その軍事力、資源、人口、諜報網まで一挙に利用できる。
多少の譲歩をしてでも、受け入れる価値は十分にあった。
「分かりました」
ユリウスは頷いた。
「大筋で合意します。細かな条件や法的な位置づけについては、双方の文官に詰めてもらいたいと思いますが、よろしいですか?」
「もちろんです。当方も、そのための外交官僚を同行させております」
「では、これからよろしくお願いします」
ユリウスは右手を差し出した。
外交特使の体から、一本の触手のようなものが伸びる。
それが人間の手を真似るように形を変え、ユリウスの手を握った。
少し冷たく、ぷにぷにしていた。
こうして、新帝国とパニキア連邦の間で、歴史的な合意が成立したのである。
◇◇◇◇◇
その後、惑星グラウゼンの政財界人、学者、文化人なども招かれ、歓迎の会食が開かれた。
新帝国側としても、パニキアの文化を尊重していることを示す必要がある。
よって事前にパニキア文化圏から、著名な料理人まで招いていたのだ。
その配慮が、悲劇を生んだ。
「……これは、なんという料理なのですか?」
ユリウスは皿の上を見つめた。
青紫色の半透明な物体が、今もわずかに脈動している。
「パニキア南部で祝い事の際に食される伝統料理でございます」
外交特使は嬉しそうに答えた。
「生きたまま食することで、口腔内に広がる酵素の刺激を楽しみます」
「……生きたまま?」
「鮮度が重要です」
ユリウスの向かいに座る老学者が、真っ青な顔でそれを口へ運んだ。
次の瞬間。
「……!」
老人は必死に口元を押さえた。
隣の商人も、笑顔のまま涙を流している。
別の貴族は、料理を噛むふりをしながら、こっそりナプキンへ吐き出していた。
「陛下、お味はいかがでしょう?」
「……大変、個性的ですね」
「おお! お口に合いましたか!」
「ええ、まあ……文化的に、非常に興味深い味です」
外交特使は満足そうに体を震わせた。
次の料理が運ばれてくる。
今度は黒緑色の液体の中に、何かの眼球らしきものが大量に浮かんでいた。
ユリウスは笑顔を保ったまま、遠い目をした。
周囲の新帝国側出席者も同じだった。
この日。
新帝国は、初めて一つの国家を自発的な臣従によって傘下へ加えた。
後世の歴史家は、この会談を新帝国が地方政権から星間国家へ飛躍した重要な転換点として高く評価している。
……なお。
その後に行われた歓迎晩餐会については、新帝国側のメンバーが全員軽い食中毒になったことを歴史書は記載していない。




