第百十四話……富を増やす者
――聖帝国暦六四五年八月下旬。
ルドミラ教国領を目指す旧帝国軍は、過去の敗戦から得た教訓を、徹底して今回の遠征に反映させていた。
艦隊が進む航路上の要所には、その都度、簡易的な補給基地を建設。
食料、推進剤、弾薬、交換部品を蓄積し、さらに小規模ながら防衛艦艇や固定式対艦砲まで配置していく。
後方を敵に荒らされ、補給線を寸断された過去の失敗を、二度と繰り返さぬためであった。
だが当然、そのぶん侵攻速度は極めて遅い。
その牛歩ともいえる進軍に対し、帝国最高議会では疑義を呈する声が強くなり始めていた。
「軍務尚書閣下」
議場において、一人の有力貴族が立ち上がった。
「ロサリオ国家元帥の戦略は、いささか慎重に過ぎるのではありませんかな?」
軍務尚書ハイアットは、苦々しい表情を浮かべながら答えた。
「これまでの遠征軍も、決して補給や兵站を軽視していたわけではございませぬ。ですが、ルドミラ軍は執拗にそこばかりを狙い、結果として我が軍は幾度も苦杯をなめました」
ハイアットは議場を見渡した。
「ならば、敵が狙う弱点そのものを消しておくのは上策にございます。それに、ルドミラ教国と我が帝国では、国力に大きな差があります。戦が長引けば長引くほど、最終的には国力に勝る我らへ勝利の女神が傾くのは必然かと存じます」
「そんなことを言っているのではない!」
別の議員が声を荒らげた。
「弱小総管区に独立を許しただけでも帝国の恥辱だというのに、その征討軍まで遅々として進まぬ。それで帝国の威信が保てると思われるのか!」
「そうだ、そうだ!」
「我が家など、先の戦役で一族の長まで失っておるのだぞ!」
「いつまで待たせるつもりなのだ!」
議場のあちこちから批判が飛ぶ。
「ま、まことに、その点につきましては申し訳ない限りで……」
ハイアットは額の汗を拭いながら、頭を下げるしかなかった。
軍事的には正しい。
だが、政治的には遅すぎる。
最高議会の貴族たちが求めているのは、十年後に見ても正しい戦略ではない。
今すぐ帝国の威光を示してくれる、分かりやすい勝利なのである。
こうして軍務尚書ハイアットの議会内での評判は、目に見えて下がっていった。
その一方。
第四総管区への増税を実現した財務尚書ジョンソンには、惜しみない拍手が送られていた。
分かり易い結果を出せぬ軍務尚書より、金を持ってくる財務尚書。
それが、今の帝国最高議会における評価であった。
◇◇◇◇◇
ちょうどその頃。
ユリウスは、旧アーヴィング大公家から接収したゴチエ大鉱区を視察していた。
この一帯は、旧第六総管区でも最大級の量子エーテル産出地である。
次元の狭間の深くからくみ上げられた量子エーテルは巨大な精製施設へ送られ、艦艇、工場、都市、果ては民間交通網に至るまで、帝国文明そのものを動かすエネルギーへ姿を変える。
量子エーテルは、宇宙の富そのものだった。
かつて帝国は、その恩恵をすべての臣民へ行き渡らせることを理想としていたという。
だが、人口の増大に対して供給量が追いつかず、それが不可能であると明らかになった時。
当時の皇帝が選んだのは、富を増やすことではなかった。
富を分け与える必要のない人間を作ることであった。
平民よりさらに下位に置かれる二級市民やノーム人など。
そうした身分制度が作られた背景には、限られた資源の分配を巡る、帝国統治の事情もあったのである。
「トロスト技師」
巨大な精製塔を見上げながら、ユリウスが声をかけた。
「この周辺に建設している新型精製施設は、どのくらいまで進んでいるんだい?」
「これはこれは、陛下!」
「しーっ!」
ユリウスが慌てて口元へ指を立てる。
「今日はお忍びなんだよ。適当にごまかして」
「ああ、これは失礼」
トロストは周囲を見回し、わざとらしく声を落とした。
「えー、旦那。あと二か月ほどいただければ、ゴチエ大鉱区全体の八割程度の採掘量を、新型設備で処理できるようになるかと」
「そんなに進んでるんだ」
「人と資材をかなり突っ込みましたからな」
トロストが開発した新型精製設備は、従来方式と比較して、量子エーテル鉱区の採算性をおよそ三割も向上させていた。
それまで廃棄されていた低純度エーテルまで利用できるうえ、精製過程における損失も少ない。
ユリウスは、この設備を旧大公領の主要鉱区へ一気に導入するよう命じていた。
その成果が、ようやく現れ始めているのである。
「それと旦那。もう一つ面白い話がありましてね」
「なに?」
「船長の姉御が苦戦していた、例の異次元潜航艇への新兵器があったでしょう?」
「ああ」
「あれを丹念に解析した時のデータを応用して、新しい爆発物を作ることに成功しました」
「爆発物?」
ユリウスは首をかしげた。
「何に使うの?」
「枯れたエーテル油田に放り込みます」
「……爆破するの?」
「ええ」
トロストは楽しそうに立体模型を表示した。
「これまで採算が合わずに放棄していた次元油層には……、つまり分かり易く石油で例えますと。微細な亀裂や岩盤の隙間に、かなりの量の原油が残っています。新型爆薬を地下で起爆させますと、通常では届かない細かな空隙まで一気に亀裂を広げられるんです」
模型の地下部分へ、無数の細い線が走る。
「そこへ採掘管を通せば、今まで取り出せなかったエーテルまで吸い上げられる。つまり、枯れたと思っていた油田を、もう一度使えるようになります」
「へぇ。すごいね」
ユリウスは頷いた。
だが、どうにも反応が薄い。
トロストは少し不満そうな顔をした。
どうやら、この若い皇帝に自分の発明の偉大さが十分伝わっていないらしい。
「まあ、大した話じゃありませんがね」
トロストは、わざと小声になった。
「実際の生産量は、全体で二倍程度にしか増えません。生産可能埋蔵量は、三十倍くらいにはなりますけど」
「……え?」
ユリウスが動きを止めた。
「今、なんて?」
「生産量が二倍に、生産可能埋蔵量が三十倍ほどに」
「なんだって!?」
ユリウスは目を見開いた。
トロストは、ようやく望んでいた反応を得て、満足そうに笑った。
「……でも、急に三十倍掘れるわけじゃないんですよ。採掘設備にも限界がありますから、生産量そのものは当面二倍程度です」
「いやいやいや!」
ユリウスは慌てて立体資料へ顔を近づけた。
「三十倍って、ここの鉱区がほとんど枯れなくなるようなものじゃないか!」
「まあ、かなり長持ちはしますな」
「それを最初に言ってよ!」
「旦那が興味なさそうだったので」
「興味あるよ!」
いつもの穏やかな皇帝の顔は、完全に消えていた。
それを見て、トロストはますます得意げになる。
その顔には、まさに怪しげな宇宙麻薬中毒者特有の笑みが浮かんでいた。




