第百十三話……金の卵は一つの籠に盛るな
第二総管区への臨時増税が、大筋で決まった頃。
財務尚書ジョンソンは、さらなる税収増加策をまとめた書類を携え、ローゼンタール総統の執務室を訪れていた。
「ふむう……」
ローゼンタールは書類をめくりながら、眉をわずかに寄せた。
「増税そのものには異論はない。だが、あまり露骨に反発を招かぬようにせよ」
「畏まりました」
丸坊主で、でっぷりと太った中年男であるジョンソンは、深々と頭を下げた。
彼が次なる増税対象として目をつけたのは、第四総管区であった。
そもそも、ローゼンタール政権がここへ来て急激な増税政策へ舵を切ったのには、単なる財政事情だけではない理由がある。
帝国最高議会への対策であった。
かつて皇帝の権力が絶大であった時代には、最高議会など半ば形式的な存在にすぎなかった。
だが現在は、幼帝が玉座にあるのみ。
実質的な皇帝不在とも言える状況では、さすがのローゼンタールとて、議会を完全に無視するわけにはいかない。
その最高議会を構成する議員の、およそ七五パーセントは第一総管区の貴族で占められていた。
つまり、第一総管区への大規模な増税は、政権にとって自殺行為に等しい。
ローゼンタール政権は、深刻な財政危機を乗り切るため、可能な限り第一総管区を避け、他の総管区から税を搾り取る必要があったのである。
◇◇◇◇◇
財務尚書ジョンソンは自分の執務室へ戻ると、超光速通信機の前へ腰を下ろした。
呼び出した相手は、第四総管区長マスターデリオン侯爵である。
しばらくして、モニターに禿げ頭の老人が映し出された。
「これはこれは、財務尚書閣下。閣下におかれましては、ますますご機嫌麗しく――」
「そんな御託はよい」
ジョンソンは面倒そうに言葉を遮った。
「新たな税制案を送る。目を通してほしい」
「……畏まりました」
マスターデリオンは愛想笑いを浮かべたまま、送られてきた資料を開いた。
……だが。
一頁。
二頁。
三頁。
読み進めるにつれ、その笑顔が消えていく。
「……これは」
金融取引税。
金融所得税。
双方の税率を、それぞれ十ポイント引き上げる。
第四総管区の経済構造そのものを直撃する、大幅な増税案だった。
「こ、これは困りまする!」
マスターデリオンが思わず声を荒らげた。
「我ら第四総管区は、つい先日も帝国政府の新規国債を六兆ルーブルも引き受けたばかりではありませぬか!」
「承知している」
「既発債についても、中央政府の要請に応じ、利払い条件の緩和まで受け入れましたぞ! それなのに、なぜ我らにこのような仕打ちをなさるのです!」
第四総管区は、金融取引と投資によって繁栄してきた。
簡単に言えば、巨大な金貸し屋である。
だが、金貸し屋とは、自分の金だけを貸しているわけではない。
企業、貴族、市民、年金基金、商会。
幅広い層から資金を預かり、一定の利息を約束したうえで、それより高い金利で別の相手へ貸し出す。
その利ざやこそが、金融業の利益となる。
当然、金融取引そのものに重い税を課されれば、その利益は急激に細る。
さらに、最大の貸出先である中央政府が国債の利払い条件まで悪化させれば、第四総管区の金融機関は、出資者への利払いすら苦しくなりかねない。
下手をすれば、大規模な金融破綻につながる。
……だが。
その最大の債務者こそ、銀河聖帝国ノヴァ中央政府なのである。
簡単に取引を打ち切れる相手ではなかった。
「侯爵殿」
ジョンソンは、諭すような笑みを浮かべた。
「今は帝国全体が危機に瀕しているのだ」
「しかし――」
「帝国臣民が一致協力し、この難局を乗り切らねばならん。第四総管区だけが利益を守ろうとするのは、いささか道理に反するとは思わぬかね?」
「……」
「分かってくださるな? 侯爵殿」
長い沈黙。
マスターデリオンの頬が、わずかに引きつった。
「…………畏まりました」
「うむ。さすが侯爵殿だ」
ジョンソンは満面の笑みを浮かべた。
「帝国への忠誠、総統閣下もお喜びになるだろう」
通信は切れた。
モニターが暗転する。
マスターデリオンは、その画面をしばらく睨みつけていた。
やがて、手にしていた葡萄酒のグラスを卓上へ乱暴に叩きつけた。
「……帝国への忠誠、か」
低い声だった。
「人の財布へ手を突っ込んでおいて、よく言うわ」
しばらくして、彼は傍らに控えていた美しい秘書へ顔を向けた。
「おい」
「はい、閣下」
「旧第六総管区を今支配しているのは、誰だったかな?」
「アストレア偽帝にございます」
第四総管区は、少なくとも形式上は中央政府へ忠誠を誓っている。
したがって、彼らにとって正統な皇帝は、ローゼンタール政権が擁立する幼帝である。
「そうだったな」
マスターデリオンは目を細めた。
「では、その偽帝殿へ内密に使者を送れ」
「……どのような?」
「金を貸すとな」
秘書が目を丸くした。
「金を?」
「超低金利でよい。復興資金でも開発資金でも名目は何でも構わん。望むなら、相当な額まで用意すると伝えよ」
「お、お待ちください!」
秘書の顔から血の気が引いた。
「そのようなことが中央政府に露見すれば、いかがなさいます!?」
「何を慌てておる」
「しかし、アストレア家への融資など、事実上の利敵行為ではありませんか?」
「では聞こう」
マスターデリオンはソファーへ深く身を沈めた。
「今の我らの味方は誰だ?」
「……」
「我らの商売を守ってくれる者は誰だ?」
秘書は答えられなかった。
「先ほどの通信を、お前も聞いていただろう」
中央政府は、六兆ルーブルもの国債を引き受けさせた相手に、さらに増税を要求してきた。
忠誠を尽くせば守られる。
もはや、その保証はない。
「今や、どこも戦乱の傷跡だらけじゃ。道路も宇宙港も工場も壊れ、艦隊も再建せねばならん。金を欲しがらぬ為政者など、この宇宙のどこにもあるまい」
「ですが……」
「中央政府にだけ貸す必要などない」
老人の口元に、いつもの柔和な笑みが戻った。
「ルドミラにも貸す。アストレアにも貸す。必要なら辺境の地方諸侯にも貸す」
「……」
「誰が勝っても、我らの債務者であるようにな」
秘書はようやく、主人の意図を悟った。
マスターデリオンは、誰が天下を取るかを予想するつもりなどない。
すべての有力者に金を貸す。
そして、最後に生き残った者から返してもらう。
「ワシらは軍人ではない。金融屋だ」
マスターデリオンは葡萄酒を一口含んだ。
「金の卵は、一つの籠に盛ってはならぬのだよ」




