第百十二話……生命線を撃て
――聖帝国暦六四五年八月初旬。
帝国中央政府は、第二総管区に対し、大規模な臨時徴税命令を通達した。
「馬鹿な!? 中央の奴らは、いったい何を考えているのだ!」
第二総管区長クリステンション侯爵は、送られてきた命令書を机へ叩きつけた。
「奴らが、さらなる食料増産を望むというから、つい先日、第四総管区の銭ゲバどもに頭を下げて、軌道エレベーターを四百基も新造したのだぞ!」
第二総管区は、旧帝国領最大の食料生産地帯である。
その農業惑星で大量に生産される穀物や食肉を、宇宙へ運び出すうえで最大の問題となるのが、惑星の重力だった。
穀物のような重量物を、いちいちロケットや輸送艇で衛星軌道まで打ち上げていては、燃料費だけで莫大な費用がかかる。
そこで重要になるのが、軌道エレベーターである。
一度建設してしまえば、地上から衛星軌道まで大量の物資を、比較的安価に運ぶことができる。
そのため、第二総管区の有力貴族たちは、主要な農業惑星への軌道エレベーター建設を積極的に進めていた。
だが当然、その建設費は安くない。
超高強度素材。
巨大な軌道施設。
地上側の輸送設備。
一本建設するだけでも、莫大な資金が必要となる。
そのため第二総管区の地方貴族たちは、金融業が発達した第四総管区から巨額の融資を受け、将来の食料輸出収入を担保に建設することが多かった。
つまり、今の第二総管区は、食料価格の高騰によって大きな利益を得ている反面、巨額の借金も抱えているのである。
「このうえ中央政府へ、さらに税を払えだと?」
クリステンション侯爵は怒りに肩を震わせた。
「そんな要求に応じられるものか! 総管区内の軍艦艇を招集せよ! 諸侯にも命令を出せ! 私兵艦隊も集められるだけ集めるのだ!」
「ははっ!」
……だが。
その命令が第二総管区全土へ届くよりも早く、事態は動いていた。
◇◇◇◇◇
「全艦、前進!」
帝国中央政府艦隊が、すでに第二総管区との境界を突破していた。
「進路を妨害する艦艇、軍事施設は、すべて実力で排除せよ!」
「はっ!」
中央政府は初めから、第二総管区が臨時徴税命令を拒絶すると見越していたのである。
徴税命令を発した時点で、すでに一個艦隊を国境近くへ集結させていた。
拒否すれば攻める。
その準備をすべて整えたうえでの、最後通牒に等しい徴税命令だった。
この第二総管区制圧艦隊を率いているのは、レオンハルト=トラヴァース元帥である。
本来ならば、すでに予備役へ編入されることが決まっていた提督だった。
彼が再び現役へ呼び戻されたことには、理由がある。
軍上層部の多くが、この任務を嫌ったのである。
第二総管区は帝国最大の食料供給地であり、外国と国境を接しているわけでもない。
そこに配備された軍事力は、帝国辺境の総管区に比べれば明らかに弱かった。
そのうえ、今回の戦争の発端は反乱でも独立宣言でもない。
中央政府からの増税に反発しただけである。
軍の高官たちから見れば、これは戦争というより、弱者を武力で脅して金を取り立てる行為に近かった。
武門の汚れである。
そう考え、何かと理由をつけて指揮官就任を避ける将官が相次いだ結果、この不人気な任務は、政治的な後ろ盾の乏しいトラヴァースへ回されたのである。
「第二総管区境界警備艦隊、撃破!」
「残存艦は撤退しております!」
「うむ」
トラヴァースは短く答えた。
政治的な立場こそ弱い。
だが、それにもかかわらず元帥まで昇っただけあって、その戦術指揮能力は一流であった。
「敵主力が集結する前に進むぞ。ハブ星系を優先して押さえよ。正面から艦隊決戦などする必要はない」
「はっ!」
第二総管区の諸侯が私兵艦隊を集めている間に、トラヴァースは交通と通信の要衝となる星系へ次々に艦隊を差し向けた。
抵抗すれば攻撃する。
降伏すれば一切危害を加えない。
単純な条件を突きつけ、短期間のうちに重要なハブ星系を次々と降伏させていった。
クリステンション侯爵が、ようやく千隻近い艦艇を集結させた頃には、第二総管区の主要航路の多くが、すでに中央政府軍の手に落ちていたのである。
◇◇◇◇◇
「クリステンション侯爵殿」
両軍が対峙する宇宙空間。
トラヴァース元帥は、旗艦から侯爵へ通信を送った。
「艦隊を解散させ、中央政府の臨時徴税命令に従われたい。そうすれば、今回の件について一切罪には問わないと、総統閣下は申しておられる」
「……こ、この成り上がり者どもめ!」
モニターの向こうで、クリステンション侯爵が顔を真っ赤にした。
「それは勝ってから吐け! ローゼンタールの飼い犬めが!」
両軍の艦艇数は、およそ一千隻ずつ。
中央政府軍は今回の作戦を嫌ったため、意図して旧式艦も多く配属され、純粋な艦艇戦力だけを比較すれば、ほぼ互角であった。
クリステンション侯爵にも、十分に勝算はあるように見えた。
……だが。
「そう言われると思っておりました」
トラヴァースの表情は暗かった。
「では、一つ映像をお見せしましょう」
「何?」
通信画面が切り替わった。
そこには、第二総管区の農業惑星が映っていた。
緑豊かな大地から、宇宙へ向かって一本の巨大な軌道エレベーターが伸びている。
その衛星軌道上。
中央政府軍のビーム砲艦が砲門を開いた。
「ま、待て……」
クリステンション侯爵の顔色が変わった。
閃光。
軌道上の中継施設が爆発した。
さらに数発の砲撃が加えられ、軌道エレベーターの宇宙側施設が炎に包まれていく。
「や、やめろ!」
だが、映像は一つではなかった。
二つ。
三つ。
四つ。
各地の農業惑星へ分派された中央政府艦隊が、主要な軌道エレベーターを順番に破壊している。
「き、貴様ら……!」
侯爵は椅子から立ち上がった。
「卑怯者め! それが帝国軍人のすることか!」
トラヴァースは答えなかった。
「そんなことをされては、我が総管区の経済は破綻するのだぞ!」
侯爵の怒声が続く。
「穀物を軌道へ上げられなくなる! 他星系への輸送もできぬ! 輸出収入が絶たれれば借金も返せぬ! 第四総管区から借りた建設資金だけが残る!」
さらに声が震えた。
「それだけではない。食料流通そのものが崩壊すれば、帝国の何十億もの民が飢えるかもしれぬのだぞ!」
「……」
トラヴァースも、それは分かっていた。
だからこそ、この作戦を知らされた時、強い嫌悪を覚えた。
敵艦隊を撃破するのではない。
戦争が終わった後にも必要となる民生インフラを破壊し、それを人質として服従を迫る。
事前に中央政府が立案していたこの作戦を、壮年の元帥自身も酷いものだと思っていた。
だが。
軍人が、自らの政治的判断によって上位政府の命令を選別し始めれば、軍という組織そのものが成り立たない。
トラヴァースは感情を押し殺した。
「三十分待つ」
低い声で告げた。
「その時に、回答をいただきたい」
通信が切られた。
◇◇◇◇◇
クリステンション侯爵は、直ちに総管区内の有力諸侯を通信会議へ招集した。
巨大なモニターに、次々と地方貴族たちの顔が映し出される。
「……戦うべきだと思う者はいるか?」
侯爵が尋ねた。
誰も手を挙げなかった。
やがて、一人の農業伯が口を開いた。
「艦隊戦ならば、勝てる可能性はございましょう」
「うむ」
「ですが……その間にも、軌道エレベーターを破壊されます」
別の伯爵も頷く。
「我が領では、すでに二基が破壊されました。残りまで失えば、今年収穫した穀物の大半を他星系へ出荷できませぬ」
「我が家も同じです」
「こちらもです」
誰も予想していなかった。
まさか帝国中央政府が、敵国でもない自国の農業惑星に対し、軌道エレベーターを破壊して回るとは。
艦隊決戦に勝ったところで、領地そのものが破綻してしまえば意味がない。
まして、軌道エレベーターは今日壊されて、明日建て直せるような施設ではない。
再建には莫大な費用と長い年月がかかる。
農業惑星の支配者たちにとって、それは宮殿や軍艦以上に重要な財産だった。
「……降伏しかありますまい」
「残念ながら」
「ここは耐えるべきかと存じます」
結論は、全員一致だった。
クリステンション侯爵は拳を握り締めたまま、長く俯いた。
「……悔しいですが」
傍らに控えていた老侍従が、絞り出すような声で告げた。
「ここは、忍ぶしかありませぬ」
「分かっておる……」
侯爵は震える拳を、ゆっくり開いた。
「分かっておるわ……」
そして、回答期限を待つことなく、中央政府艦隊へ通信を送った。
「第四総管区長の名において、我が第二総管区艦隊は、ただちに武装を解除する」
しばらく沈黙した後、侯爵は唇を噛んだ。
「……臨時徴税命令を受諾する、と総統閣下へ伝えられたい」
「承知した」
モニターに映るトラヴァース元帥は、勝者であるにもかかわらず、少しも嬉しそうには見えなかった。
「ただちに軌道エレベーターへの攻撃を停止させる」
通信が切れた。
こうして第二総管区の反抗は、大規模な艦隊決戦を行うことなく終わった。
中央政府が破壊したのは、敵艦隊ではない。
第二総管区の経済そのものを支える生命線であった。
そして地方諸侯たちは、この時初めて理解したのである。
ローゼンタール政権にとって、帝国臣民の財産さえも、必要とあらば服従を引き出すための武器になり得るのだと。




